◆第五話『ブランの止まり木の乱』
アッシュはウル、シャオとともに《ブランの止まり木》前まで駆けつけた。
通りからそれた細い道の先、いまにも崩れそうな建物を見ながらシャオが顔をひきつかせながら言う。
「す、すごいところにある宿ですね。それにちょっと古い気が……」
「島で一番安くてボロい宿だからな」
そう答えたとき、中から怒声が聞こえてきた。
くぐもってはっきりと聞こえないが、剣呑な空気であることはわかる。
シャオが見るからにうろたえ、一歩下がる。
「か、帰りましょう。こんなの、案内人の仕事じゃないですっ」
「いいえ。案内人たるもの、迷惑行為には毅然とした態度で対応するのです!」
ウルが凛々しい顔でシャオを引っ張り、ずかずかと踏み込んでいく。ウルにとって親しい間柄であるブラン絡みの用件とあってか、いつもとは打って変わって強気だ。
アッシュはあとを追いかけて宿屋内へと入る。
と、早々に威嚇するような男の大声が耳に飛び込んできた。
「だからお前たちが出ていけって言ってんだよ!」
「ふざけんな、俺のほうが先に住んでたんだぞ!」
「早い者勝ちってんなら俺が一番先だろ!」
「んな順番なんか関係ねえ! ここはジュラル島だぞ! 勝負するなら力だろうが!」
言い争っているのは4人。
いまにも殴り合いを始めそうな空気だ。
シャオが「人間やばい野蛮……!」といった言葉を繰り返し呟きながら隅で怯える中、勇んでウルが輪の中へと躍り出る。
「喧嘩はだめです!」
「あぁ? んだよ、ミルマには関係ねえだろ。どっかいってろ」
「関係あります! ブランさんが困ってます!」
ウルが負けじとひとりの男に食い下がる。
だが、馬鹿馬鹿しいとばかりにほかの男たちが鼻で笑っていた。
「放っておけよ。こんぐらいじゃどうせ追い出されはしねえよ」
「うっ」
以前、旧アルビオン連中の多くが島から追放されたときから、同様の処罰を恐れてミルマに逆らう者は少なくなった。
だが、あの件は特別な例であり、これまでどおりミルマは基本的に挑戦者に介入しない、というのが最近では知れ渡ってしまっている。
おそらく、それゆえの強気な態度だろう。
実際にそのとおりのようでウルは一気に勢いをなくしてしまっている。
アッシュはウルを下がらせ、代わりに男たちの前へと出る。
「たとえ追放されなかったとしても、やめてくれって言われたら素直にやめとけよ」
「ア、アッシュ・ブレイブ!?」
最上位のチームメンバーとあってか。
どうやら顔を知られていたようだ。
男たち全員が揃ってうろたえはじめる。
「どうしてあんたがこんなとこに……」
「こんなとこで悪かったね」
ブランから即座に嫌味が飛んできた。
当事者であるにもかかわらず、彼女は我関せずといった様子で本を片手にしている。相変わらずの神経の図太さだ。
男のひとりが勇気を振り絞るように口にする。
「ミ、ミルマと同じくあんたにも関係ねえ話だ」
「あいにくと俺はここの出でな。世話になったブランさんに迷惑をかける奴を放っておくわけにはいかない」
こちらの言葉を聞いてか、ブランが「ふんっ」と大きく鼻を鳴らした。まんざらでもないように見えるのはきっと気のせいではないだろう。
「お前、知らないのかよ。ここの伝説はあいつから始まったんだぞ」
先ほど突っかかってきた男へと、べつの男が話した言葉。
その中に気になるものがあった。
「……伝説?」
「ここに泊まれば女ができるって話だよ。たく、うちの宿をなんだと思ってるんだかね、こいつらは」
ブランが心底呆れたようにため息をついていた。
しかし、そんな彼女とは相反して男たちは熱を纏っている。
「アッシュ・ブレイブは2人の女を手にし、次にここに入ったマルセル・バロニエという男はえろい女と関係を持ち、いまもイチャイチャと幸せな生活を送っていると聞く」
「こんな男が大半のジュラル島の中でだぞ。これはこの宿に不思議な力が宿ってるとしか考えられない!」
「だから俺は決めたんだ。俺もこの宿に泊まって女を掴むって。けど、こいつらが邪魔をして……!」
「邪魔したのはお前だろうが!」
「あんだと!? やんのか、あぁっ!?」
またも始まる口喧嘩。
男たちはとてつもなく真剣だ。
誰一人として冗談を言っている様子ではない。
どうせ些細ないざこざから喧嘩に発展したのだろう。
などと思いきや、まさか予想を遥かに上回るくだらない理由からだった。
一気に毒気が抜けた。
ウルだけでなく、あれほど怯えていたシャオですら唖然としている。というよりシャオにいたっては「人間の男、意味がわからない……!」と頭を抱えて混乱中だ。
「あ~……つまり部屋がもう埋まってて女性が入ってこられない。だから誰が出ていくかで揉めてるってことで合ってるのか?」
「誰かっていうか自分以外全員だな」
「どうせ女が泊まっても俺以外じゃものにできないだろうけどな」
発言ひとつで険悪な空気になるのは面倒なことこのうえない。ともあれ、事情はよくわかった。凄まじくくだらない理由だが、このまま放っておくにもいかない。
どうしたものかと悩んでいたところ、シャオが挙手をして訥々と話しはじめた。
「だ、だったら、これから中央広場に出て、一番に女の人を口説いてきた人が残ればいいのではっ。ほ、ほら。せっかく部屋が空いても女の人を連れ込めなかったら意味がないじゃないですか……っ」
「な、なるほど一理あるな」
シャオの提案に男たちが神妙な顔で頷く。
そもそも自力で女性を連れ込んだり、口説けないからこそこうした噂にすがっていたのではないか。そう疑問を抱いたが、当人たちは納得しているようだし、いまさら口を挟むのも無粋だろう。
シャオが賛同を得られるなり声を張り上げる。
「で、では制限時間は正午まで! 開始です!」
「もうかよ!」
「くそ、出遅れた!」
「待ちやがれ!」
「俺が、次の伝説になるんだよ!」
男たちがどたどたと部屋を出ていった。
先ほどまで騒がしかったうえに圧迫されていたこともあり、一気に解放感溢れる空間に変貌したかのような、そんな錯覚を抱いてしまう。
「すごいです、シャオちゃん! 平和に収めてしまいました!」
ウルにそう褒められ、シャオが腕を組んで誇っている。
「ふ、ふふふ。なんでも屋たるもの、これぐらいはお安い御用です」
「案内人ですっ」
いまや見慣れた2人のやり取りをよそに、アッシュはぼそりとこぼす。
「問題は誰も連れてこられなかったとき、どうするかだな」
「そのときはあいつらで仲良くよろしくすりゃいいんだよ。あたしにとっちゃ部屋が埋まってればそれでいいんだからね」
たしかにブランからしてみれば、それが一番稼げる道だ。きっと男たちの恋路は二の次どころか、どうでもいい問題だろう。
ふいにブランが本の上部から目を覗かせ、ちらりと視線を向けてくる。
「まったく、あんたたちが出ていって静かになったかと思えばこれだよ」
「ま、いいじゃねえか。ちょっとぐらい騒がしいほうが退屈しないだろ」
「ふん……そうかもしれないね」
いつもどおり嫌味のひとつやふたつを返してくると思っていたが、予想外にしおらしい声が返ってきた。そこに違和感を覚え、アッシュはブランの顔を覗き込む。
だが、見つけられたのは大したものではない。
出会ったときよりも少し増えたような気がする、幾つかの深い皺だけだった。





