◆第三話『新人ミルマ』
「うぅ、生きた心地がしないよ……」
塔から飛び下りて帰還するなり、クララが情けない声を出した。
いつもながら軽く咎めるところだが、今回ばかりはしかたない。なにしろ入口でさえも安定して狩りを続けることが困難だったのだ。
あけすけなく言えば、何度も壊滅しかけては撤退。
再挑戦の繰り返しでなんとか少しずつ狩れていた状態だった。
「一番怖いところはあれがまだ散発的に来てるってことだよね」
「もし複数で来たらいまのままだと壊滅するのは間違いないね」
レオの言葉にルナがはっきりと言い切った。
否定したい気持ちはあるが、残念ながらいまの状況では事実として受け止めるしかない。悔しさを噛みしめながら、アッシュは塔の上層を見上げる。
「またしばらくは入口で狩りだな」
「退屈?」
ラピスが軽く顔を傾け、覗き込むようにして訊いてきた。
「さすがにあれだけの敵だからな。天使のときとはわけが違う」
天使を相手にしていたときよりも成長できる期待感もある。ただ、それ以上にいまは長剣を思う存分に振れる相手と戦えることがなにより楽しくてしかたなかった。
「これはこれは、アッシュさんチームではないですか」
そんな弾んだ声で話しかけてきたのは緑の塔管理人のミルマだ。普段からにこやかな彼女だが、今回は何倍にも増して笑顔が輝いている。
「とてつもなく嬉しそうな顔だな」
「はい、あなた方が悔しげに帰ってくることは少ないですから」
「ったく、どこの管理人もタチが悪いな」
「それぐらいしか楽しみがないのですよ。え~と、いつもどおり照合はしていかれますか?」
塔の管理人が趣味から仕事の顔へと変貌させた。
一度でも対峙した魔物であれば名前を教えてもらえることになっている。弱点がわかるわけではないのであまり必要性はないが、呼称の際に役立つので大抵の場合で照合するようにしていた。
「ああ、それじゃ鉄人形の名前から頼む」
「《オートマトン》ですね」
「三叉の槍を持った人型は?」
「そちらは《シヴァ》です」
塔の管理人の返答を聞いて、ラピスが首をかしげる。
「どっちも聞いたことがない名前ね」
「ボクたちとは違う世界の生き物も参考にしてるって話だしね」
塔に出現するのは、この世界に存在する魔物だけとは限らない。むしろ上層に行くにつれ、この世界以外の魔物ばかりが出ているように思う。
「ねね、管理人さん。あのでっかい石ころを落としてきたのってもしかして魔法?」
なにやらクララが期待に満ちた顔で塔の管理人に問いかけていた。
「おそらく《メテオストライク》ですね。10等級の魔法です」
「おぉ、じゃああたしも使えるかもなんだ!」
感嘆の声をもらし、興奮するクララ。
あれほどの凄まじい威力を持った魔法とあって、その反応は大いに理解できる。ただ、あの魔法がもたらす危険性を考えると、仲間として素直に喜ぶのは難しかった。
「あれ、かなり場所を選ぶよね……逃げ遅れたら巻き添えくらいそうだし」
「俺とラピスは退避できるかもしれないが、レオは厳しいかもな」
アッシュはルナとともにそう危惧を口にする。
そのせいか全員の視線がレオに向いた。
クララがぼそりと一言。
「でもレオさんなら生きてそう」
「さすがに僕もあれの直撃はちょっと……」
「《ヒール》は任せてっ」
「ク、クララくんっ」
さすがにクララなりの冗談だとは思うが、本気にしたレオがいまにも泣き崩れそうだった。そんな2人を見つつ、控えめな笑みをこぼすルナとラピス。
そこに悲観的な空気はない。
惨敗とも言える初の10等級階層への挑戦。
仲間たちの精神面を心配していたが、どうやら心配はないようだ。
アッシュは人知れず笑みをこぼしたのち、長剣の柄尻に手を当てる。
「ひとまずここの91階でしばらく装備集めだな。天使のときみたいにガツガツ狩れなさそうだが、相手が相手だ。焦らずにじっくりいこう」
◆◆◆◆◆
翌朝。
午後開始の狩りまでの暇な時間を利用して、アッシュは中央広場をうろついていた。
……そういえば10等級階層のクエストを見てなかったな。
思い立つなりベヌスの館を訪れたところ、クエストの受付に見慣れた顔を見つけた。そこにいることがおかしいはずなのに、いまや自然にも感じる人物――ウルだ。
ただ、彼女は見ない顔のミルマとともにいた。
キノッツほどではないが、近しいほどに小柄なミルマだ。総じて胸の大きなミルマにおいて胸は慎ましやか。顔もあどけないこともあって人間で言うところの12歳程度の子どもにしか見えない。
席についたその幼いミルマに、なにやらウルが指差しては話しかけていた。その姿は指導しているようにも見える。
なにはともあれ、知らない顔をして立ち去る仲ではない。アッシュはウルがいる受付へと向かったのち、声をかける。
「よ、ウル」
「アッシュさん、こんにちはですっ」
相変わらずの明るい笑顔が返ってきた。
反して、幼いミルマは目にも留まらぬ速さで席を立ち、後退。ウルの背中に隠れてしまった。そっと顔を出してはこちらの様子を窺ってくる。が、目が合うなりまた引っ込んでしまった。
「そっちの子は……見ない顔だな」
「あ、はい。今日からこちらに来た子なので」
「ミルマってジュラル島以外にも住んでるのか?」
「というより多くがべつの場所で暮らしていますね」
初めて耳にする情報だった。
ミルマが暮らす場所とはいったいどんなところなのか。当然ながら世界中を旅した際にそういった場所を見たことはないし、聞いたこともない。
神の使いと言われるぐらいだ。
もしかすると天上に存在するのかもしれない。
「さ、シャオちゃん。ご挨拶を」
ウルが背中に隠れたミルマ――シャオへと優しく声をかけた。ただ、シャオは出たくないとばかりにウルの服をぎゅうと握っている。
「ごめんなさい。この子、人間の方を前にするのは初めてで……」
困ったようにまなじりを下げるウル。
初めてであれば無理もない。
「アッシュ・ブレイブだ。よろしくな」
安心してもらえるように、と前かがみになって話しかける。そのかいあってか、おそるおそるシャオが顔だけを出してくれた。
そんなしぐさに加えて髪留めでさらけだされた可愛らしい額のせいか、見た目以上に幼く映ってしまう。
こちらの姿をまじまじと見てきたのち、彼女は意を決したように口を開いた。
「せ、先輩のお話によく出てくる方、ですよね」
「シャ、シャオちゃんっ!?」
大きな声で反応したウルがあたふたとしはじめる。
「あの、違うんです! 違わないですけど、ほら、アッシュさんのチームはいま1番高いところまで昇ってるので、それで少し話題に出したと言いますか――」
「塔のことは初めて聞きました」
「シャオちゃん~っ!」
完全に墓穴を掘り、顔を真っ赤に染めるウル。
シャオはただ事実を口にしているだけのようだが、そのやり取りは後輩にいじられる先輩といった構図にしか見えなかった。
「そ、そうです! お仕事をしましょう! アッシュさん、クエストを受けに来られたんですよね」
あからさまな話題転換にくすりと笑みをこぼしつつ、アッシュは応じる。
「ってより確認だな。昨日、91階に挑戦したんだ」
「みたいですね。塔の管理人さんから聞きました」
「さすがの情報網だな」
さすがに挑戦者全員の塔の攻略情報を常に追っているわけではないだろう。ただ、こちらはいまやもっとも高いところまで塔を昇っているチームだ。ほぼ知られていると思って間違いないだろう。
ふいにウルがシャオを横目に見つつ、思案顔になった。
かと思うや、再びこちらに視線を戻してくる。
「あの、お願いがあるのですが、シャオちゃんに任せてもいいでしょうか?」
「うぇっ!? せ、先輩それはまだ早すぎるのではっ」
「いつかはすることになりますから」
ウルの提案にシャオが見るからにうろたえだした。
どうにか逃げ道を作ろうと必死な顔で抗議をはじめる。
「ほら、この人間さんも困惑していますし、そもそもこんな素人に10等級まで辿りついた挑戦者の相手をするなんてそんなおこがましいこと――」
「俺はべつに構わないぜ」
「そ、そこは断ってほしかったです……」
恨みがましく涙目を向けられた。
ウルの言うとおりこれからいやでも経験することであれば早いほうがいい。たとえ嫌われたとしても、彼女のためになるなら喜んで引き受けるつもりだった。
いまだ乗り切れないシャオの背中をウルがそっと押す。
「アッシュさんは優しいですから緊張しなくても大丈夫ですよ」
「うぅ……」
「練習だと思ってくれていい」
「う、うぃ……」
シャオが渋々ながら席についた。
意地でも目を合わさないつもりか、下を向いたまま話を切り出してくる。
「で、では。クエストを受けたい塔と階を教えてください」
「緑の塔の91階で頼む」
「かしこまりました」
いまのところなかなか流暢なやり取りだ。
意外と問題なく終わるのでは。
そう思っていたところ、シャオがクエストが載った本を取り出した瞬間にウルから待ったがかかった。
「シャ、シャオちゃん。それ9等級ですっ」
「うわっ」
慌てて取り出した本を戻し、改めて10等級のクエスト本を机に置いた。いきなり失敗したからか、ばつが悪そうに縮こまっている。
「べつに急いでないし、ゆっくりでいいぞ」
「あ、ありがとうです。えっと……」
今度は失敗しないとばかりに入念にページをめくっては戻して確認するシャオ。間違いないことを確信できたか、深呼吸をしてから話しはじめる。
「《シヴァ》1000体で武器交換石1個と100万ジュリー。《オートマトン》1000体で防具交換石と50万ジュリーの2つ、です。どちらも報酬の交換石は初回のみとなってます……っ!」
言い終えるなり、ウルに「よくできました」と褒められ、満足そうな顔でほっこりするシャオ。なんとも微笑ましい光景だ。
なにも考えずに見ていたいところだが、いまはやはりクエスト内容が気になってしかたなかった。
「9等級と似てるな。っても、相手の強さが比べ物にならないが……」
単純な計算でははかれないが、シヴァとの戦闘で覚える疲労感は天使10体……いや20体討伐にも匹敵する。ゆえに多額のジュリー報酬も当然と思うほどだ。
「シヴァのクエストに関してですが、ほかの塔にも同格の魔物がいるのでそれらを倒してもクエストは進行する仕組みとなっています」
「同格の魔物?」
「対峙していただければお答えできます」
ほかの塔の90階を突破し、91階に挑戦。
該当する魔物と対峙するまではお預けのようだ。
と、なにやらシャオが尊敬の眼差しでウルを見上げていた。
「本を見ずに答えるなんて……さすがなんでも屋さんです」
「ウルは案内人ですっ。なんでも屋さんじゃないですよっ」
慌てて修正したのち、ウルが人差し指を立てて説明する。
「案内人は色んなことを知っておく必要があるのです。ということでシャオちゃん、これから中央広場の色んなお店を見て回りますよ」
「えぇ、シャオはこのままずっとベヌスの館で暮らしていたいです……」
「ベヌスさまに怒られてしまいますよ」
「そ、それはいやです。でも外にはたくさんの人間が……」
がくがく、と怯えるシャオ。
どうやら外に出たくない理由は人間のようだ。
「なあ、よかったら俺も少し付き合ってもいいか?」
「ウルは大歓迎ですけど……いいのですか?」
「午後の狩りまで暇だからな」
シャオはどうなのか、と目で問いかける。
と、予想どおり視線が交差するなりすぐにそらされてしまった。アッシュは苦笑しつつ、こちらの考えを伝える。
「人間に慣れるためと思ってくれたらいい」
「悪くない申し出、かもです」
どうやら改善したい気持ちはあるようだ。
シャオはちらちらとこちらを窺いながら話を継ぐ。
「それに人間さん――アッシュさんと仲良くすれば、先輩みたいに立派ななんでも屋さんになれるかもですし」
「シャ、シャオちゃん! それはお仕事とは関係なくてっ。って違うんです、アッシュさん。この違うという意味は……ああっ、あとあと、ウルは案内人ですっ!」
なにから訂正すればいいのかわからずこんがらがるウル。
どうやら彼女にとって大変な後輩が来てしまったようだ。
アッシュは他人事のように笑いつつ、彼女たちとともに中央広場巡りへと繰り出した。





