◆第二話『ライアッド王国』
アッシュはウォレスが口にしたことをすぐには理解できなかった。
あのラピスでさえもまぶたを大きく持ち上げている。
「あ、あのちょっと待って。姫って……?」
ルナにいたっては凄まじい速度で瞬きをしていた。
そんな混乱の極みにある部屋の中、クララがボソリと口にする。
「クレイディア・スクル・ライアッド。それがあたしの本当の名前」
なんの冗談かと思った。だが、いまも俯きながら拳を握るクララの姿からは冗談を言っている様子はいっさいない。
「……ライアッドっていや世界でも有数の大国じゃねぇか」
もちろん、旅の途中に立ち寄ったこともある。
大魔導師でもあった初代の王が《精霊の泉》と呼ばれる無限に魔法を放ち続けられる血統技術を駆使し、周辺諸国を制圧して生まれたのが始まりだ。
ルナの視線が恐る恐るクララに向けられる。
「その名を持ってるってことは……」
「まさしく、クレイディア様はライアッド王家に連なるお方です」
部屋が静まり返った。
無理もない。
誰もが知っている国の王族がそばにいるのだ。
当のクララは居心地が悪そうだった。
「そんな人がどうしてこんなところに?」
質問したのはラピスだ。
これまで沈黙していたが、さすがに気になったらしい。
クララが難しい顔をしたあと、訥々と語りはじめた。
「話すと長くなるんだけど……あたしが幼い頃に国で謀反が起こってね。そのときにあたしの両親……つまりライアッドの前国王とその妃が殺されちゃったの」
さらりと言ったが、とんでもない話だ。
ルナが苦笑しながら「い、いきなりすごいね」などと漏らしている。
クララは話を続ける。
「あたしも殺されかけたけど、なんとか生き延びて。そこにいるウォレスの主、バルバド公に保護されたの。でも、もし生きてるって知られたらまた狙われるかもしれないから、死んだってことにしてバルバド公のもとでひっそりと暮らしてきた」
やけに世間知らずなうえに人見知りだとは思ったが、そんな人生を送ってきたなら無理ないかもしれない。
凄惨な話に堪えられなくなったか、ルナがクララのそばに行き、その肩を優しく抱いた。
「辛い思いをしてきたんだね」
「そう、なのかな。あたしのお父さん、あんまり良い王様じゃなかったみたいだから。他人の恨みを良く買ってたみたいだし、仕方ないかもって気持ちもあるかな……」
言い終えたあと、クララは乾いた笑みを浮かべる。
「あ、あはは。ひどいよね、娘なのに」
「姫……」
ウォレスが痛ましげに顔を歪める。
話を聞く限り、彼は幼い頃からクララのそばにいたのだろう。
おそらくクララのことを誰よりも理解しているに違いない。
「それで、どうしてジュラル島に来たのかって話なんだけど……べつにジュラル島に来たかったわけじゃないんだ。ただジュラル島しか外で暮らせる場所がなかったっていうだけで」
以前、レオが言っていた。
ジュラル島には外の世界では生きていられなくなった、わけありの者たちも来る、と。まさしくクララがそのわけありの者だったのだ。
「ずっとあたしを匿ってくれたうえに育ててくれたバルバド公には感謝してる。けど、あそこにいたままだと、ずっと外に出られないまま一生を終えることになってたから。だから、我侭を言って……」
「ウォレスに手伝ってもらって試練の塔を攻略したってわけか」
「……うん。って、ひとりで攻略したんじゃないって気づいてたの?」
意外だとばかりにクララが目を見開いているが……。
そんな反応をされるほうが意外だった。
「バレバレだ。そうじゃなきゃ《青塔の地縛霊》なんて言われてないだろ」
「うぐっ。その二つ名、恥ずかしいからもう忘れてよっ」
「それボクも聞いたことある」
「わたしも」
どうやらルナもラピスも耳にしたことがあったらしい。
「えぇっ。そこまで広まってたの……っ」
先ほどまでのしんみりした空気はどこへやら。
クララが羞恥に悶えながら頭を抱えていた。
そんな彼女を見ながら、ウォレスが慈しむような笑みを浮かべる。
「変わられましたな、姫」
「……ウォレス」
「以前より良い顔をするようになられた」
「そ、そうかな」
身内の前だからか。
クララの照れ笑いは普段より控えめだった。
「叶うなら、永遠に自由を差し上げたかった」
ウォレスはその顔に刻まれた皺を一層深めると、空気を一変させた。
「姫の存命が陛下の耳に入ってしまいました」
「……え」
「どこから漏れたのかはわたしにもわかりません。ただ、たしかなのは陛下が正統後継者である姫の表舞台への復活を恐れ、姫を暗殺するための部隊を編成したということです」
暗殺とは穏やかな話ではない。
緊迫した空気の中、ウォレスは話を継ぐ。
「姫に危険を知らせるため、わたしはすぐにジュラル島を目指したのですが……どうやらあとをつけられたようで道中で襲撃を受けました。幸いにも撃退はできましたが、このざまです」
憔悴しきった姿で浜辺に打ち上げられていたのも、それが理由というわけか。
だが、ひとつ気になることがある。
「ちょっと待ってくれ。部隊で乗り込んでくるっても、ここはジュラル島だぜ。試練の塔を攻略してからじゃないと――って、まさか」
「はい。全員が資格を持っております」
試練の塔には人数制限がない。
だから、いくら力の足りない者でも強者に同行すれば攻略することは可能だ。それを大人数でやってのけたというわけか。
「数は?」
「正確にはわかりませんが、100は下らないかと」
「あはは……予想以上の数だ」
ルナが肩をすくめながら抑揚のない声で言った。
「奴らはそう遠くないうちにこの島へと辿りつくはずです。いまのうちに島を――」
そのとき、宿の下階で破砕音が響いた。
木の跳ねる音も聞こえてくる。
この話の内容に、このタイミングだ。
いやな予感しかない。
「アッシュ!」
「ああっ」
アッシュはルナと顔を見合わせたのち、すぐさま部屋を飛び出る。
2階の手すりから1階を覗くと、ロビーに真っ黒な衣装に身を包んだ者が侵入してきていた。壊れた扉を踏みながらブランに詰め寄ろうとしている。
「ブランさんっ!」
アッシュは即座に飛び下りた。
黒ずくめの後ろ手から両腕、両脚へとソードブレイカーを這わせ、沈黙させる。宿の入口から新たに侵入者が現れたが、ルナの矢によって瞬時に床に転がった。
眼前の凄惨な光景を見ながら、ブランが怒り顔を向けてくる。
「これはどういうことだい!?」
「あ~、話すと本当に長くなる。とにかく、いまはどっかに隠れててくれっ」
「アッシュくん!」
2階の手すりからクララとラピスが顔を出す。
彼女たちも心配して見にきたのだろう。
暗殺部隊の数は100は下らないと言っていた。
大勢を相手に狭い場所で戦うのは無難だが、ここは木造建築だ。下手に篭城すれば破壊されて逆に不利になりかねない。
「ここだと逃げ場がない! 外に出るぞ!」