◆第十一話『ブレイブの血』
「明日、90階に挑戦するからな。今夜はあんまり付き合えないぜ」
アッシュは席につきながらそうこぼした。
ここは酒場の《プルクーラ》。
目の前には父親のディバルが座っている。
すでに少なくない酒を入っているようで顔がわずかに赤い。
「そう時間をとるつもりはないから心配するな。にしてもついに90階か……正真正銘、前人未到の地だな」
「ああ。どこかの塔じゃ誰かが荒らしてやがったからな」
「いったいどこのどいつだろうな」
ディバルがわざとらしくとぼけながらカップをあおった。ただあまり残っていなかったようだ。物足りなさそうな顔で中を覗きこんでいる。
「もうなくなっちまったか。おーい、もう1杯頼むー!」
ディバルの声に店員のミルマが「はーい」と応じる。
この《プルクーラ》は《喚く大豚亭》と違って静かだ。おかげで両者の声はよくとおっていた。
「で、話ってなんだよ」
一向に本題に入らないので催促した。
ディバルが掲げていたカップを静かに置いたのち、さらりと口にする。
「大したことじゃないんだがな。そろそろ島を出ようと思ってるってだけだ」
「やっとか……」
「おい、ここは惜しむところだろ」
「こっちは余計なことされてんだから当然だろ」
その余計なことが〝息子の嫁探し〟を指していることにすぐさま気づいたようだ。ディバルが少し前のめり気味に抗議の目を向けてくる。
「なにが気に食わねえんだよ。可愛いから綺麗まで勢ぞろいじゃねえか。大国の王でもこうはいかないぜ。むしろ感謝してほしいぐらいだ――おっ、きたきた!」
ちょうど店員のミルマがエールを運んできた。
ディバルが早速とばかりにカップを傾け、ごくごくと豪快な音をたてて喉へとエールを流していく。そんな呑気な父親を見つつ、アッシュはため息をつく。
「あれから大変なんだからな」
「知ってるぜ。好色家のアッシュ」
「誰のせいだと思ってんだ」
「俺が来る前から言われてたそうじゃねえか。あんなに多くの女に気を持たせたお前の責任だ。腹くくれ」
自分も男であり、女性に対して惹かれることは多々ある。今回のディバルのお遊びに付き合ってくれた彼女たちのような魅力的な女性ならなおさらだ。
ただ、そうした好意からくる行為が〝塔を攻略してから〟という考えと矛盾することは充分理解している。ゆえに痛いところをつかれた格好だが……それでも色恋に関して父親に介入されたくはない。
こちらが言葉に詰まっているところを見てか、ディバルがふっと笑みをこぼした。視線を落とし、どこか遠くを見るような目でしみじみと言う。
「お前があんなに多くの奴に好かれてるとはなあ。あの娘たちだけじゃねえ。ほかにも多くの奴らがお前の周りには集まってる」
「この島に来てから色々あったからな……成り行きってやつだ」
「それだけじゃあんな風にはならねえよ」
なにか確信したような口振りとともに、ディバルが嬉しそうに顔を綻ばせた。ただ、その顔はすぐに曇った。
「知ってのとおりブレイブの血は人間の手には大きく余る力を持ってる。その力を欲した時の権力者に利用されたり、民衆に恐怖から迫害されたりなんてこともあったと聞いてる。そしてそのたびに決まって危害を受けるのはブレイブの周囲にいる者たちだった」
カップの取っ手が潰れるのではないか。
それほどの力でぐっと握りしめながら彼は話を継ぐ。
「ブレイブの人間が表舞台から遠ざかったのも、そうした悲劇を避けるためだ」
後悔、憎悪。
ほかにも多くの感情が、その言葉には集約されているようだった。
「ただ、だからこそ俺は思うんだよ。自分の息子にはブレイブのしがらみから離れて好きに生きてほしい。そんでもって誰よりも幸せになってほしいってな」
いまの自分の性格は成長していく中で己で積み上げたものだ。少なくとも自分ではそう思っている。だが、もっとも根っこの部分にはディバルの教えがしっかりと残っている。
――好きに生きろ。
成長したいま、あらためて思う。
もっとも自分に合った……最高の教えだ、と。
「なあ、親父」
「ん、なんだ」
「いま、かなり似合わないこと言ってるぜ」
「……おい、俺だって色々考えてんだぞ」
「ここの塔で時間を持て余してただけだろ」
「それに関しちゃ否定できねえな」
ディバルが誤魔化すようにエールを含んだ。
普段はあまりしないような会話をしたせいか、少しばかり居心地が悪くなった。
「話はもう終わったよな。そろそろ帰るぜ」
アッシュはカップの水を飲み干したのち、立ち上がる。と、「アッシュ」とすぐさま呼び止められた。振り向くと、ディバルから真剣な顔を向けられる。
「お前は強い。お前なら……ブレイブの誰もが辿りつけなかったところまでいけるはずだ。90階、突破してこい」
信じて疑わない。
ディバルの瞳からは、そうした強い想いを感じられた。
アッシュはにっと勝ち気に笑みながら応じる。
「言われなくてもそのつもりだ」





