◆第九話『騒がしい日々』
不意打ちだったこともあり、ディバルは思わず「いてっ」と間抜けな声をもらしてしまう。
振り返った先にあったのはレオの大きな盾だ。
頭を打たれた衝撃か、一瞬浮いているのかと思ったが、違った。盾の上部からぴくぴくと可愛らしい三角の耳が覗いている。
「最近、あなた方が所構わず暴れている、と苦情が入っていたので注意をしにきました」
その言葉とともに盾が地面に置かれる。
と、ひとりのミルマが姿を現した。
たしか《スカトリーゴ》の看板娘――アイリスといったか。
「あまり目につくようであれば相応の対処をさせてもらいます」
アイリスが憤懣を隠さずにぎりりとした目で辺りを睥睨する。
先ほどまで勝負をしていた女性たちもぞろぞろと集まってきた。《テレポート》でそばに現れたクララが怯えつつ聞き返す。
「そ、相応ってやっぱり……」
「もちろん《スカトリーゴ》の出入り禁止です」
「そっち!? ってそれも地味にきついかも……」
大方、島から追い出されるかもしれない、と思ったのだろう。ほかの者たちも同様のようでほっと息をついている。ただ、人気店である《スカトリーゴ》の出入り禁止も厳しいようで複雑な表情をしている。
彼女たちの中では、〝親公認〟を得るための勝負を続けるかいなかで揺れているのだろう。ただ、その必要はない。すでに勝負は終わったのだから――。
ディバルはゆっくりと立ち上がり、アイリスを見据えながら告げる。
「決定だ」
「……はい?」
「俺の娘に決定だ! あんたこそアッシュの嫁に相応しい!」
後ろから「はっ!?」や「えぇっ」などと、先ほどまで戦闘していた女性たちの驚愕と不満の声が聞こえてきた。そんな彼女たちの声を遮らんと、ディバルはあえて力強く口にする。
「息子を頼む」
「意味がわからないのですけど……」
アイリスが答えを求めんと視線を巡らせた。
代表してシビラが説明する。
「彼に一撃を与えた者が、その……アッシュと親公認の仲になれる、と」
「ああ、その話ですか。まったく興味がないのでお断りします」
悩む間もなく心のこもっていない声で告げられた。
先ほど襲ってきた《フロストボール》群よりよっぽど冷たい感じだ。
「マジかよ。言っちゃなんだが、俺の息子はかなりの優良物件だと思うぜ。まあ、ちょっと生意気だし、意地っ張りなところはあるけどな」
「どうでもいいです。では、忠告しましたからね」
そう言い残して、アイリスは早々に去っていく。
相当にきつい性格だが、その後ろ姿はひどく綺麗だった。美しいミルマの中でも、さらに頭ひとつ飛びぬけている。
ほかの点も問題なし。
種族の違いなど関係なしに彼女がアッシュの嫁になれば、と本気で思ったが――。
「……残念だったな、アッシュ」
知らないところで撃沈した息子へと、ディバルは慰めの言葉を吐いた。そんな中、立候補者たちから困惑の声があがりはじめる。
「でも、これどうするの?」
「どうするもなにも釘を刺されちまったからね」
「続けるのは無理そうですね……」
「わ、わたくしとアッシュさんの将来が……っ」
誰もが消化不良といった様子だ。
ひとりはこの世の終わりとばかりに絶望し、膝をついている。
勝負はアイリスの勝ちとなったが、目の前の女性たちも充分な力を示してくれた。多くの戦闘を重ねたことで彼女たちの人となりも知れた。そのうえで彼女たちにならアッシュを任せてもきっと大丈夫だと自信を持って言い切れる。
となれば彼女たちに贈る言葉はこれしかない。
ディバルはにかっと笑いながら伝える。
「あいつの親であるこのディバル・ブレイブがお前たちをアッシュの嫁として認めよう! ってことで全員合格だ!」
◆◆◆◆◆
「――ってことで、じゃないだろ。おかげでこっちは後ろ指さされまくってんだぞ」
「いいだろべつに。悪いことしてるわけじゃねえんだからよ」
「流れてくる噂はどれも悪いものにしか思えないけどな」
翌日、《スカトリーゴ》にて。
アッシュはディバルから昼食も兼ねて昨夜の顛末を聞いていた。
「こんだけたくさんの美人がお前の嫁になったんだから、そんぐらい受け止めとけ」
ディバルがにやにやと笑いながら周囲に目線を巡らせた。
周囲には〝親公認〟の称号を得るためにディバルと戦った女性たちも席についていた。打ち上げと称してディバルが全員を招待したのだ。
「残念なことに相応しくない方々も認められてしまいました。ですがご安心ください。わたくしが正妻としてしっかりとほかの方々をまとめ上げてみせますわ」
「なにを言っているオルヴィ。それではわたしが妾みたいじゃないかっ」
「え、そうですけれど? なにを言っているのですか、シビラさん」
「おかしいのはそっちだ。アッシュのお嫁さんは……わ、わたしだっ」
自信満々な発言をするオルヴィに、顔を真っ赤にしながらも対抗するシビラ。いまにも戦闘が始まりそうなほど白熱している。
そんな彼女たちを呆れつつ見ていると、視界に赤く丸い野菜が映り込んできた。見れば、ユインがフォークに刺して口へと差し出してきていた。
「アッシュさん、どうぞ」
「どうぞって……なにしてんだユイン」
「妻として当然のことをしています」
その言葉どおり羞恥心もなく真顔を向けつづけてくる。食わなければ終わらなさそうなのでさっさと一口で食べた。
ユインがふっと満足そうに笑ったかと思うや、体を横に開いた。後ろで控えていたマキナへと声をかける。
「さあ、マキナさんも」
「え、なんでわたしもっ。わたしはいいよ、そういうつもりじゃなかったしっ」
「そうですね。いやいやさせるのも悪いですし、やめておきましょうか」
「べつにいやってわけじゃないけどっ。わ、わかったよ、やるよっ! はい、アシュたん……あ~んっ」
ユインと同じ野菜を差し出してくるマキナ。
目をそらして耳まで真っ赤、と羞恥心にまみれている。
悪戯心に任せてこのまま普段とは違った彼女を見続けるのも悪くはないが、そのためには周囲の視線に耐え続けなければならない。さすがにそんな苦行を選ぶつもりはなく、早々にぱくっと一口で収めた。
「ず、ずるいぞ2人とも!」
「せ・い・さ・いのわたくしを差し置いてなにをしているのですかっ」
当然のごとくオルヴィとシビラが反応。
同様にべつの料理を口内に突っ込まれた。
味がよくわからなくなるほど口内に入ったものを咀嚼していると、隅のほうに座ったラピスとルナが目に入った。この混沌とした中でも2人は優雅に食事を続けている。
「ラピス、落ちついてるね」
「彼女たちと違ってアッシュとはひとつ屋根の下で暮らしているから。あれぐらいどうってことないわ」
ラピスが〝ひとつ屋根の下〟をやけに強調して言った。直後、寒気を感じた。見れば、ほかの女性たちの顔つきが変わっていた。瞳に静かな敵意を宿しつつ、ラピスとルナの会話に全員が耳を傾けている。
「そういうルナだって余裕ね」
「まあ、アッシュの胃袋はボクが握ってるようなものだからね」
圧倒的な優位を示されてか。
多くが衝撃を受けたように仰け反っていた。
先ほどまで勝ち誇っていたラピスに至っては放心したように固まっている。ただ、ヴァネッサだけは唯一ルナに負けないほど余裕の笑みを浮かべていた。
「ま、あたしもいまさら焦るつもりはないよ。なんたってアッシュとは何度も熱い夜を共にしてるからね。そのまま朝を迎えたことだってある」
「おい、ヴァネッサ。誤解されるような言い方はやめろ」
「あたしはありのままを口にしてるだけだよ」
言って、彼女は茶で湿った唇を舐めながら艶やかに笑う。
その意味深なしぐさにまたも多くの者が衝撃を受ける中、クララがびしっと挙手をした。頬を赤らめながら必死な様子で声を張り上げる。
「あ、あたしだってアッシュくんのベッドで寝たことあるよっ! ちゃんと朝までっ!」
たしかにそんなこともあった。あったが――。
人が多く集まる中央広場で宣言するのはやめてほしい。おかげで遠くの挑戦者たちからさらにひどく冷めた目を向けられていた。
近くではオルヴィが石化したように動かなくなり、シビラとユインはなにか決意するかのように拳を握っている。マキナはなにを想像したのか、「ララたん、大胆……っ」と興奮していた。
そしてヴァネッサとルナは笑いを堪えていたが、ディバルは遠慮なしに大声で笑っていた。完全に他人事といった様子だ。
「相変わらず騒がしいですね、あなたの周りは」
そんな呆れた声とともにそばに立ったのはアイリスだ。彼女は言葉とは裏腹にトレイからテーブルへと丁寧にさまざまな飲み物が入ったカップを置いていく。
「そういや昨夜はありがとな」
「……なんのことですか?」
「いや、親父を止めてくれたんだろ」
「ああ……べつにあれはミルマの仕事として行ったまでです。あなたのためにしたことではありません」
「それでも助かったからな」
「そうですか」
変わらず素っ気なく返事をした彼女は早々に離れていった。
最近は敵対心よりもなにか無関心でいようとされることが多くなっている気がする。彼女の中でなにか変化があったのだろうか。いずれにせよ彼女を観察するのは塔を昇るのとはまた違った楽しさがある。
そうして仕事に戻ったアイリスの姿をこっそり目で追っていると、視界を遮るようにレオが目の前に立った。なにやらにんまりとした笑みを浮かべている。
「ねえ、アッシュくん。実は昨日、僕もあの場にいたんだ」
「らしいな。なにしてたんだよ?」
「きみの親友として戦っていただけさ。ただ、よく考えてみて欲しいんだ。きみの父上は全員合格だといった。それはつまり僕も合格だってことだよね」
「……さすがにやめてくれ」
「もちろん僕もきみにそういった関係を求めることはしないよ。僕が求めるのはただひとつ。お尻触り放題の――」
レオがその言葉を最後まで紡ぐことはなかった。
押し寄せたオルヴィとシビラに勢いよく押しのけられたのだ。
「どいてくださいっ。アッシュさん、今夜はわたくしと過ごしましょう! マスターにもクララさんにもできないことをなんでもして差し上げますっ」
「落ちつけオルヴィ、暴走しすぎだっ! ぐっ……アッシュ、もし心配ならわたしに言ってくれ! オルヴィの襲撃からわたしがきみを守って見せる!」
「なにを抜けぬけと! そんなこと言ってアッシュさんに迫るおつもりでしょう!?」
「べつにそんなつもりはっ」
取っ組み合い混じりの言い合いがまたも始まった。
アイリスに言われたとおり本当に騒がしい毎日だ。
彼女たちに料理を破壊されないよう、アッシュは器用に皿を動かしつつ苦笑した。





