◆第八話『親公認・決定』
初めて来たときよりもジュラル島の酒が美味く感じた。
塔の中で長らくパンだけの質素な生活をしていたからだろうか。そう考えれば、あの退屈な時間も悪くはなかったと思えるから不思議だ。
いましがたディバルは《喚く大豚亭》をあとにしたところだった。中央広場の噴水前をとおってひとりのんびりと歩く。目的地は《プルクーラ》という酒場だ。
少し洒落ていて自分には不釣合いな店だが、《喚く大豚亭》で興奮した体と心を静めるには打ってつけの場所だった。
まだ深夜という時間ではないが、ひと気はそう多くない。少しだけ酒が回ったせいか、自分だけの世界に入り込んだかのような気分に陥りそうになった。だからか、眼前に現れた者が余計に目についた。
「お前はアッシュの……」
「そう、僕はアッシュくんの親友……レオ・グラント!」
宣言するように高らかに声をあげた。
左手には盾、右手には長剣。防具は9等級防具の《セラフ》シリーズで固めた本気装備だ。こんな真夜中にわざわざ狩りに行くわけでもないだろう。ではなぜ、と疑問に思った瞬間――。
「ディバル・ブレイブ殿……いや、父上殿! 手合わせ願う!」
そう叫びながら、レオが突進してきた。《セラフ》シリーズとあって重装備とはとても思えない速度だ。繰りだされた突きから逃れんとディバルは少し早めに横へと身を移動させる。
と、すぐそばの虚空を銀閃が走っていった。
こちらが回避行動をとった瞬間に踏みとどまり、薙ぎへと攻撃の手を変えたのだ。……かなりの反応速度だ。
ディバルは感心しつつ、ほぼ無意識に長剣に見立てた棒を腰から抜いていた。レオの剣が引き戻されるよりも早くに突きを放つ。が、ガンッと鈍い音とともに盾に阻まれてしまった。
次なる行動を見極めんとしてか。
盾の上部から覗かせたレオの目がこちらをじっと見据えている。
相手の動きをよく見ている。
戦闘の勘もいい。
以前、アッシュチームに同行して塔内部に入ったこともあり、レオが挑戦者として優秀なことはわかっていたが……対人戦闘も相当なものだ。おそらく世界でも指折りだろう。
ただ、大きな疑問が残る。
なぜこのタイミングで仕掛けてきたのか、という点だ。ただの手合わせならこんな真夜中である必要がない。
ディバルは少し飛び退いて距離をとったのち、苦笑いを浮かべながら問いかける。
「おいおい、まさかお前まで勝負に参加する気じゃないだろうな。言っとくが、俺はもう息子はいらねえぞ」
「それもいいかもしれない。けれど、今宵の僕は愛の導き手さ……っ」
レオが盾を足蹴にして飛ばしてきた。
飛んできた盾によって大幅に狭まる視界。盾を囮にして距離を一気に詰めるつもりだろう。となれば盾を弾いた硬直後を狙っているはず――。
ディバルは瞬時にそこまで予測し、大きく後退した。勢いをなくした盾が地面に落ちる中、思わず目を見開いてしまう。レオが距離を詰めていなかったのだ。
ただ、代わりに空中から5つの人影が飛び込んできていた。全員が月明かりを受けた得物を光らせ、こちらを狙っている。
これは予想外の襲撃――。
「なんてなっ!」
ディバルは口の端を吊り上げつつ、残していた重心を移動させてさらに後退した。視界の中では飛びかかってきた者たちが悔しげに顔を歪めている。
「ちぃっ、気づかれてたかっ」
「さすがにその人数じゃあな!」
ヴァネッサとシビラ、ラピス。そしてユインとマキナといったか。5人ともアッシュの嫁候補者として連日挑んできていたので知っていた。
ふいに背中がちりついた。
数えきれないほどの戦闘を重ねてきた体が感じたものだ。身を任せるがままディバルはとっさに横へと身を投げる。
直後、先ほどまで立っていた地面に矢が鋭い音をたてて突き刺さった。続けざまに頭上から迫る異なる気配。大げさに地面の上を転がり、距離を稼ぐ。と、硝子を割ったような破砕音が辺りに響いた。
見れば、そばの地面が凍りついていた。
1等級の魔法、《フロストボール》だ。
おそらく放ってきたのは3人。
記憶の中にある後衛――クララとルナ、オルヴィの3人か。なんとかして彼女たちの位置を正確に捉えたい。
「お父様、お覚悟をっ!」
ひとりは叫んでいるのですぐに掴めたが、残り2人はかなり離れているのか。おおよそでしかわからない。ただ、そちらの探知に気を向けてばかりはいられなかった。
近接組の2人が両側から迫ってきていた。ユインとマキナだ。どちらも小柄なうえに地を這うような疾駆とあって視線を下げざるを得ない。
「今度は下か! ははっ、忙しいな!」
限界まで留まったのち、後退。勢いを殺しきれずにユインとマキナが衝突する中、さらなる攻撃の手が迫ってきていた。
「こちらもいるぞっ!」
いつの間にか背後に回り込んでいたシビラから薙ぎが繰り出される。回避が間に合わない。振り返りざまに得物を当てて弾く。その間に距離を詰めていたか、ヴァネッサの大剣が肩を粉砕する軌道で迫りくる。
こちらも回避が間に合わない。ディバルはあえて得物を当て、自らの身を弾き飛ばした。転がったのちに跳ね起きる。が、それを見計らっていたかのように鋭い攻撃が向かってきた。
ラピスの槍だ。穂先がこちらの額を捉えんとしている。そこに〝もし刺さったら〟なんて遠慮はいっさいない。ディバルは恐怖を押し殺し、あえて頭を前へと倒した。ラピスの槍が頭部の表面すれすれを通り過ぎていく。
「なっ」
こちらの大胆な回避を前にして、ラピスが驚愕の声をもらした。しかし、すぐさま槍を引き戻して方向転換。すれ違ったこちらの背中目がけてほぼ間を置かずにしかけてくる。
「っと、危ねぇっ」
ディバルはよろめきつつ、なんとか彼女の槍の軌道から体をそらした。
もともとの俊敏性もあるかもしれないが、装備の関係か。彼女はほかの挑戦者よりも数段速い。さらに長得物。厄介なことこのうえない。もっとも警戒すべき相手だ。
「うおっ」
ディバルはまたも飛んできた矢や《フロストボール》から慌てて逃れる。近接攻撃を凌いでも遠距離攻撃が待っている。本当に休む暇がない。
「ちょっとアシュたんのお父さん、やばすぎでしょぉっ!」
「本当に強いです……!」
マキナとユインが感嘆の声をこぼしているが、こちらも余裕はなかった。
集中力が途切れたわけではない。
若干の酒が入っているが、それで動きが鈍っているわけでもない。ただ、徐々に回避や防御が間に合わなくなってきていた。
おそらく彼女たちが対応し、いまこの瞬間にも成長しているのだ。ジュラル島に来るほどの実力者とあってやはり全員が優れた素質を持っている。それに攻撃にも人柄の良さが滲み出ている。
状況が苦しいにもかかわらず口元を緩めてしまう。
だが、そんな笑みを作っていられなくなった。
「ごめん、みんなっ」
クララの声が遠くから聞こえてきた、瞬間。
ほのかに落ちていた月明かりが一気に弱まった。
ディバルはいやな予感がして空を見上げる。
「……おいおい、冗談だろ」
空一面を覆うのではないかという数の《フロストボール》が浮遊していた。
ディバルは振り返って全力で駆けた。
確認せずとも、いまもこちらを押し潰さんと迫っているのがわかる。それほどの存在感だ。《フロストボール》群はすでに真上まで迫ってきている。
このまま走って逃れられるか。……いや、無理だ。
ディバルはとっさに頭から前へと飛び込んだ。皮膚をすり、体のあちこちを打ちつつ転がる。その最中、頭に響くほどの破砕音が聞こえてきた。
地面に激突した《フロストボール》群が四散したのだろう。尻をつけたまま様子を確認したところ大量の氷晶が夜の闇に美しい光景を作りだしていた。そのさまに見惚れつつ、ディバルは安堵の息をもらした。
「さすがにいまのはひやっとしたな……」
「なにがひやっとですか」
静かな怒りの声が聞こえた、瞬間。
ごんっ、となにか硬いもので頭を叩かれた。





