◆第一話『漂流者』
落下の勢いが急激に収まり、視界が白で満ちる。
だが、瞬きひとつする間には見慣れた光景が広がっていた。
いましがたリフトゲートを使って青の塔前の広場へと帰還したところだった。
アッシュは仲間とともにそろって体を起こす。
「いやぁ。狩った狩った~」
「ねー。まさか一気に20階まで行けるとは思わなかったー」
満足気に語り合うルナとクララ。
そんな2人を横目にしながら、アッシュは口にする。
「俺としちゃ20階の主に挑戦したかったけどな」
「まだ根に持ってるんだ」
「フロストクイーンって言ったか。そんなに強いのか?」
「前のチームで挑んだけど、まったく歯が立たなかったよ」
ルナが言う前のチーム。
それは以前に交戦したルミノックス所属の3人組のことだ。
たしかに彼らのほうがジュラル島にいた期間は長い。加えて装備も優秀なものを所持していた。だが、それでも実力で負けているとは思えない。
「俺たちじゃ越せないと思うか?」
「そうは言ってない。言ってないけど……もう少し装備を充実させてからにしてほしいかな」
ルナの瞳には怯えのようなものが見える。
普段、こんな姿を見せないから余計に目立った。
どちらが強いとか弱いとか、そんな単純な問題ではないのかもしれない。
「ごめん。ボクの心の問題なんだ」
「……わかった。この件はもう言わない」
「ありがとう」
「なるべくメンバーの意思は尊重したいからな」
「アッシュ……!」
ルナが感極まったような顔を向けてくる。
そんな中、クララが細めた目でこちらを見ていた。
「あの~……」
「ん? どうしたんだい、クララ」
ルナがあっけらかんと対応する。
「ルナさん、ちょっとくっつきすぎだと思う……!」
そろそろ注意が入ると思っていた。
正式にメンバーとなってからというもの、戦闘時を除いてルナはことあるごとにボディタッチをしかけてきていた。いまも腕にひっしと抱きついている。
こうして密着していると、極々わずかながら膨らんだ胸の弾力を感じることができる。初めはなんの冗談かと思ったが、いまはどうして男と認めていたのか自分に問いたいぐらいだった。
いまなら断言できる。
ルナの肢体はとてもしなやかで紛れもなく女性のものだ。
クララに注意を受けたルナが平然とした顔で首を傾げる。
「そうかな?」
「そうだよ! っていうか、おかしいよっ。前は全然そんなくっついてなかったのに、いきなりそんなベタベタ……!」
「前は男で通してたからね。女だったらべつに問題ないだろ?」
「も、問題ない……のかな?」
クララが眉根を寄せたまま頭を抱えた。
見るからに混乱している。
「アッシュもそう思うだろ?」
「否定はしない。けど、普段からくっついてたらありがたみがなくなるのも事実だな」
「それは大変だ」
ルナはおどけながらスパッと離れた。
これほど未練なく離れられる辺り、別の意図があったとしか思えない。
「あんまりクララをからかうなよ」
「はーい」
本当に反省しているのか、ルナが笑顔で返事をする。
そんなやり取りを見て、クララが「え、えっ?」と目を瞬いていた。やがて意味を理解したのか、ぷくっと頬を膨らませた。
「ごめんごめん、クララはからかうと面白くてね」
「ルナさんひどいっ」
なにやら2人による追いかけっこが始まった。
とても狩りを終えたあととは思えない速度だ。
「そんなに元気があるならべつの塔にでも行くかー!?」
「えー、今日はもう休もうよー!」
「ボクもクララに賛成ー!」
仲が良いのか悪いのか。
アッシュは仕方ないなとため息をついたあと、2人のあとを追う。
青の塔の周辺は、その特色である「水」をイメージしてか。
泉や川、天然の井戸などが見られる。
赤の塔前とは正反対に涼やかな場所だ。
左手には浜辺が広がり、初日に訪れた船着場を一望することもできる。
ふと、そこで浜辺のほうに見覚えのある姿を見つけた。
あのすらりとした手足や美しく流れた金の髪は間違いない。
「ラピス……?」
「ほんとだー。なにしてるんだろ?」
クララも足を止めて同じところを見ている。
以前に見かけたとき、ラピスは座って海のほうを眺めていた。
だが、いまは立って足下のなにかを見つめている。
「人が倒れてるね」
そう言ったのはルナだ。
この距離でもはっきりと見える辺りさすがは狩猟者といったところか。
「とにかく行ってみよう」
人が倒れているなら放ってはおけない。
全員でラピスのところへ向かった。
◆◆◆◆◆
辿りつくなり、ラピスに声をかける。
「どうしたんだ?」
「アッシュ・ブレイブ……どうしたもなにも、この人をどうするか悩んでるの」
ラピスは呆れたようにそう答えた。
その視線の先では老齢の男が倒れている。
白髪や豊かな髭だけでなく、騎士のように立派な軽鎧すらもびしょぬれだ。その姿から考えても、ただ浜辺で倒れたのではなくおそらく海から打ち上げられたのだろう。
「ウォレスっ!?」
そう声をあげたのはクララだった。
信じられないとばかりに小さく首を振っている。
「クララ、知ってるのか?」
「う、うん……」
彼女は頷いたのち、漂流者のそばで屈み込んだ。
杖をかざしてヒールをするが、目を覚ます気配はない。
「かなり衰弱してるみたい」
「色々聞きたいことはあるが、いまは後回しだ。とにかく宿屋まで運ぼう」
「だね」
そう同調したルナがクララとともに漂流者を持ち上げようとする。
だが、かなり重いようで苦戦していた。
アッシュはすぐさま背負いやすいように屈むと、そばで棒立ちになっていたラピスへと声をかける。
「ラピスも手伝ってくれ」
「どうしてわたしが――」
「頼む」
「…………」
ラピスは大きく息を吐いたあと、無言で漂流者の肩を持ち上げた。
◆◆◆◆◆
「ったく、面倒事持ち込むんじゃないよ」
「宿泊代もちゃんと払うから勘弁してくれ」
「当然だよ」
アッシュはひとり分の宿泊代を受付台に置くが、ブランはなかなか受け取ろうとしなかった。もっと寄越せとその顔が言っている。ため息をつきながら50ジュリーを上乗せしたところで、ようやくブランは受け取ってくれた。
「アッシュ、目を覚ましたよ」
ルナが2階の手すりから顔を出して知らせてくれた。
急いで漂流者が寝ている部屋へと向かう。
部屋にはラピスもいた。
むすっとした顔で隅の壁に寄りかかっている。
なんだかんだ言いながら、ここまで付き合ってくれたのだ。
「こ、ここは……」
漂流者は半身を起こしながら辺りを見回していた。
まだ意識が覚醒しきっていないのだろう。
「ウォレス、あたしのことわかる?」
クララは椅子から身を乗り出すと、優しい声で訊いた。
漂流者――ウォレスがクララを見た、瞬間。
その体を小刻みに震わせながら、ゆっくりと問いに応じた。
「はい、もちろんでございます。クレイディア姫……っ!」





