◆第二話『戒めの腕輪』
気づいたときにはまぶたが持ち上がっていた。
ベッドに寝ていたようでゆっくりと半身を起こす。瞬きを重ねるうち、霞んだ視界が徐々に鮮明になっていく。
やがて輪郭線まではっきりと視認できるようになったとき、こちらを覗く見慣れた顔が間近にあった。驚いたような顔になりつつも、そっと声をかけてくる。
「……アッシュ?」
「ルナ? ここは……俺の部屋か」
「うん、そうだよ」
声こそ穏やかだが、心底ほっとしているのが伝わってきた。そんなルナの落ち着きのおかげで意識を失う前のことをすぐに思い出せた。《アイティエルの鎖》をつけて長剣を持った瞬間――。
「アッシュくんっ」
この声はクララのものだ。
誘われるがまま聞こえてきたほう――扉側を見た瞬間、涙を散らしながら駆け寄ってくる彼女が目に入った。
このままでは体当たりを受けることになりそうだ。
そうして身構えていたところ、直前でルナが阻んでくれた。
「クララ、病人に勢いよく抱きついたらだめだよ」
「ぐぇっ」
喉に服が引っかかったか、ガマルばりの呻き声がクララの口からもれた。けほけほ、と咳をしたのち、クララが真剣な顔で抗議の声をあげる。
「だ、だって死んじゃったかと思ったんだもんっ」
「死んだって……大げさだな」
「大げさじゃないよっ。昨日の朝、倒れてからずっと寝たまんまだったんだよっ」
「いつもどれだけ強力な攻撃を受けてもひとりだけ倒れなかったアッシュだから、余計に心配しちゃったみたい」
ルナの補足にウンウンと力強く頷くクララ。
カーテン越しに射し込んでくる陽の光は弱々しい。わずかに赤味が混ざっていることからも夕刻過ぎなことがわかる。
まさか1日以上も寝ていたとは……。
どうりでひどく気だるいわけだ。
ふいに荒々しい足音が廊下側から聞こえてきた。
「アッシュ、起きたのっ!?」
ばたんと開けられた扉の音とともに飛び込んできたのはラピスだった。やけに必死な彼女の形相に一瞬驚いてしまったが、アッシュは安心してくれと微笑みかける。
「心配させて悪かった」
「……本当よ」
眉尻を下げてほっと息をつくラピス。ただ、取り乱した姿を仲間に見られたことが恥ずかしかったらしい。すぐに顔をそらして頬を染めていた。そのまま話題転換に持ち込もうとしてか、慌てた様子で話しはじめる。
「そ、そういえば、アッシュのお父さんがいま来てて――」
「よっ、邪魔してるぜ」
ディバルが廊下側からひょこっと顔を出した。
そのまま我が物顔で遠慮なく部屋に入ってくる。
「ちょうど様子を見に上がらせてもらっててな。お前が寝てる間、昔話で盛り上がってたところだ」
「余計なこと喋ってないだろうな」
「さあな」
と、おどけたように応じるディバル。
その後ろでは、ラピスのほっこりとした顔が見える。
……これは間違いなく話された。それもおそらくたくさん。
ディバルがベッド脇に立った。
容態をたしかめるように顔を近づけてくる。
「顔色はあんまよくねえみたいだが、まあ飯でも食えばすぐに治るだろ。あ、でもいきなり食いすぎんなよ。体壊すからな」
親にとっていつまで経っても子は子だ。
とはいえ、仲間の前でここまで親身に心配されるのはむず痒かった。
居心地の悪さから逃げるように体を少し動かしたとき、左腕につけていた《アイティエルの鎖》がないことに気づいた。
「あ~、これのことか。少し借りてたぜ」
ディバルが見透かしたように《アイティエルの鎖》をそそくさと上着のポケットから取り出した。アッシュは放り投げられたそれを受け取ったのち、まじまじと見る。
「……もしかしてつけたのか?」
「ああ、ただお前みたいにはならなかった」
もし同じようなことが起きればどうしていたのか。そう問い詰めたいところだが、疑問を解明したい欲求のほうが先立った。それは〝同じ《ラストブレイブ》を使っていながらなぜディバルだけなにも起こらなかったのか〟という点だ。
こちらの質問を予測したようにディバルが語りはじめる。
「なぜあんなことが起こったのか。ミルマに確認をとってみたんだが、お前の血統技術が《アイティエルの鎖》で抑えられる力を超えてるんじゃないかって言われた」
「同じ血統技術でも差があるのか?」
「そう考えるほかないってことだ」
ただ、思い当たる節はあった。ディバルが《ラストブレイブ》の意識をある程度は特定のほうへ向けられるのに対し、自分にはできなかったことだ。
己の未熟さゆえかと思っていたが、単純に《ラストブレイブ》の能力の違いによるものだったらしい。ほっとしたものの、一概に喜べる状況ではなかった。
「ってことは、これをつけても結局使えないってことか」
やっと長剣を使えると思っていただけに虚しさが込み上げてくる。同時に死ぬような思いをしてまで手伝ってもらった仲間に申し訳ない気持ちも湧き上がってきた。
そんな中、ディバルが「ただ」と低い声で補足する。
「それで《血統技術》の力が抑えられてる間なら、お前の意識を割り込ませる余地ができる。つまり制御できる可能性はあるそうだ。もちろん昨日みたいなことになるかもしれないが。最悪、死ぬんじゃないかとも言ってたな」
淡々と示された可能性と、それに伴う危険性。
たしかにディバルの言うとおり意識は保持できていた。
これまで長剣を持って《ラストブレイブ》を発動したときとは違う。
――あの体内で暴れるような力を制御できさえすれば長剣をまた使えるかもしれない。
残されたわずかな望みにしがみつくように、アッシュは「本当なのか」と問いかけようとした、そのとき。
「だ、だめだよっ!」
クララの大声に遮られた。
見れば、彼女はこちらに悲痛な顔を向けていた。
隣に立つルナやラピスも同じように顔を歪ませている。
「たしかに塔での戦闘も厳しくなってきてるけど、いまでも昇れてる」
「ええ。そんな命を賭けるようなこと、するべきじゃないわ」
彼女たちがどれだけ身を案じてくれているのか痛いほど伝わってきた。
アッシュは視線を落とし、《アイティエルの鎖》をぐっと握る。
「そう、だな……」
「ま、それをつけてる分にはなんの問題もない。使わないってんならその戒めだと思ってつけとけばいいんじゃないか」
張りつめた空気を吹き飛ばすようにディバルが明るめの声をあげた。
ディバルは昔からこうだ。
大事なことの判断はすべて自分で決めるように促してくる。そんな親の懐かしい空気を感じ取れたからか、ほんの少しだけ気持ちが楽になった。
「んじゃ、俺はそろそろ帰るとすっか」
ディバルがとくに名残惜しげもなく背を向けた。
すたすたと部屋の出口に向かっていく。
「そういや親父、これからどうするんだ?」
気になっていたことがつい口からこぼれた。
ディバルが足を止め、肩越しに振り返る。
「ん、どうするってなにがだ?」
「塔を昇るのかってことだよ」
「あ~……すでに限界は見えてるからな。装備をいくらよくしても俺が越せるのはせいぜい70階ぐらいだろ」
「チームを組めばもっといけるだろ。いい3人組紹介するぜ」
レッドファングの幹部3人組のチームが空いている。実力的には申し分ないし、性格的にもきっと合うはずだ。そう思っていたのだが、ディバルは遠慮しとくとばかりに肩をすくめた。
「俺が誰かに合わせるのが苦手だってこと知ってんだろ」
「たしかに。親父が誰かと戦ってるとこは想像できないな」
「お前もそうだと思ってたんだがな」
「それは俺が一番驚いてる」
アッシュは仲間と顔を見合わせたのち、苦笑をこぼした。
敵との戦闘方法を考えるにしても、いまでは仲間と一緒であることが前提になっている。ジュラル島に来る前では本当に考えられなかったことだ。それほどまでに自分にとって仲間は一部であり、欠かせないものとなっている。
ディバルがやけに嬉しそうに微笑んだのち、自身のガマルを見せつけるように掲げる。
「とりあえず急ぎの用事があるわけでもないし、もう少しゆっくりしていくつもりだ。幸いジュリーはたんまりあるからな」
ぐえっ、とガマルが鳴き声をもらす中、彼は今度こそ部屋から去っていった。
ディバルが《アイティエルの鎖》を得るためにジュラル島に来ていたことは明らかだ。そしてそれは結果的に徒労に終わった。にもかかわらずディバルは落ち込んだ素振りも見せずに相変わらずけろっとしている。
戦闘の実力こそ追いついたが……。
まだまだ遠い背中だ。
そんなことを思いながら、アッシュは《アイティエルの鎖》を強く握りしめた。





