◆第一話『神に届く剣』
ベヌスは屋敷内でゆったりとした時間を過ごしていた。
壁には塔を必死に昇る挑戦者たちの光景が幾つも映っている。
中でも目を引くのはヴァネッサ、シビラチームだ。
立ちはだかる魔物たちをものともせず猛然と突き進んでいる。
特別措置――リセットを利用し、1階から塔を昇りはじめたところだが、すでにすべての塔において30階近くまで到達している。
装備こそ適正等級に落ちているが、実力は世界でも有数のものを持っている者たちだ。それほど長い時間を要せず、もとの8等級階層に戻ってくるだろう。そして、9等級階層にも踏み入る可能性も高い。
ただ、彼女たちの戦闘は見ていて爽快なものの、いまいち刺激には欠ける。かといってほかのチームは戦闘自体が退屈なものばかり。
ベヌスは手に取ったカップに口をつけ、茶を含んだ。ほのかな甘味のあと、わずかに残る苦味を感じながら気だるげにソファへと身を預ける。
なにか面白いことはないか。
そんなことを考えたとき、切羽詰ったミルマの声が脳内に直接響いてきた。
『――ベヌス様っ、屋敷に入ってきた挑戦者がベヌス様にお会いしたいと。お断りしているのですが、聞いてくださらなくて』
「名は?」
『ディバル・ブレイブですっ』
「よい、とおせ」
『よ、よろしいのですか』
「構わん」
この場にアイリスがいれば間違いなく反対されていただろう。だが、ちょうど退屈していたところだ。暇つぶしにいいだろう、という軽い気持ちで許した。
間もなくして扉が開けられ、精悍な顔つきの男――ディバル・ブレイブが勇み足で入ってきた。こちらの姿は見えないよう細工をしている。だが、まるで気配を正確に感じ取っているかのように彼は真正面に立った。
「久しいな、ディバル・ブレイブ」
「相変わらず姿を見せるつもりはないんだな」
「我自身は見せることに抵抗はないのだがな」
退屈な時間から解放されるためにも、むしろ外に出たいと思うほどだ。ただ、万が一のことを考えればやはり姿をさらすべきでない。そんなままならない現状に不満を吐きだすようにベヌスは催促する。
「それでなんの用だ?」
「これのことだ」
ディバルが右手に持ったものを見せつけてくる。
鎖の模様が描かれた太めの腕輪。それは先日、アッシュチームが入手した《アイティエルの鎖》だった。
「24年前。俺がジュラル島にいたとき、あんたはこれを血統技術を封印できるものとして俺に教えたな」
当時、ひとりで塔を昇っていたディバル。《たったひとりの英雄》の血筋とあって目をかけていたこともあるが……血統技術を封印したい、という彼の変わった願いをミルマ伝いに聞いたので教えてやったのだ。そのための道具がある、と。
「それがどうした」
「アッシュがこれをつけて血統技術を発動したら倒れた。どういうことだ?」
「お前がそれをつけて発動させても倒れたのか?」
「……いや」
アッシュが倒れた、その日。
ディバルが試しに《アイティエルの鎖》を装着して長剣を持ったところは確認していた。そして倒れることはなかったことも。
「つまりはそういうことだ」
「……わかるように説明しろ」
「歴代の英雄の中でも、お前の息子は始祖の血を色濃く受け継いでいる。いや、まるで醸成されたかのようにより強くなってすらいるように見える」
「あいつの血統技術が強くて、抑え切れなかったってことか」
その問いにベヌスは無言で肯定を示した。
「作り直させることはできないのか?」
「詳しい話をすることはできないが、ただひとつ言えることは……それが偶然の産物だということだ。作り直されることはもちろん、再び生成されることもないだろう」
「じゃあ、こいつは使い物にならないってことかよ」
ディバルが悪態でも吐くかのようにこぼした。
彼は息子であるアッシュの血統技術を封印するため、《アイティエルの鎖》を得ようとしていた。費やした時間は6年、と命の短い人間にはひどく長い。
憤るのも無理はないだろう。
だが、彼が得たものはまだ無駄と決まったわけではなかった。
「もとは、《ラスト・ブレイブ》は御せるものとして神アイティエルが《たったひとりの英雄》に期待して渡したもの。だが、結果はお前も知ってのとおりだ。制御できずに負の血統技術として伝えられてしまっている」
与えた情報で答えに行きついたようだ。
ディバルがはっとなってまぶたを跳ね上げる。
「……これがあれば意識を割り込ませる余地があるってことか」
「だが、どちらも神によって作られた人の身に余る力だ。それらを体内でぶつけ合うことは大きな危険を伴うだろう。次に挑んだとき、どうなるかは知らんぞ」
「それでも可能性があるだけましだ」
「そこまでして賭ける必要があるのか。ただの得物を使うためだけに」
これまでアッシュは長剣を使わずに塔を昇ってきている。本人は限界を感じているようだが、それでもまだ昇れるはずだ。
なにをするかわからない面白さを秘めているうえ、挑戦者としての力もたしか。いま、もっとも頂に達する可能性を持った男であることは間違いない。
そんな男を失うことは神アイティエルにとって大きな損失だ。できればそのような賭けに挑ませることはしたくないが――。
こちらの思惑を断ち切るようにディバルから力強い目を向けられた。
「あいつが目指してるのは頂。そしてそこにいる神を倒すこと。そのためにはあいつにとって最高の武器――長剣が必要だ」
「お前のように《ラストブレイブ》を駆使して昇ればいいだろう。そうすれば間違いなく100階まで辿りつけるぞ」
「はっ、白々しいな。神からもらった力で神を倒せるのか?」
ベヌスは口を閉じた。
世界に散らばる神話において、神の力で神を倒すなんて話はありふれている。だが、こと神アイティエルと《ラストブレイブ》に関しては、ディバルの疑念どおりだった。
そもそも可能であれば〝そうさせている〟。
「ま、あいつが長剣を使えれば神を倒せるってことだ」
「武器ひとつでそこまで変わるのか」
「あいつの振る剣はただの剣じゃない。神にも届く剣だ」
大げさに言ったわけではない。
心の底から信じて放たれた言葉だった。
「ブレイブの血が神に頼ってきただけとは思わないことだな」
ディバルはそう言い残すと、悠然と部屋を去っていった。ばたんと扉が閉められ、部屋にまた静けさが戻る。
なかなか面白い話に満足できたが、余韻を感じるにはまだ早い。
「入ってこい、アイリス」
そう告げると、しずしずとアイリスが入ってきた。
後ろめたそうに目をそらしたのち、がばっと頭を下げる。
「申し訳ございません。ベヌス様が挑戦者をとおしたと聞いて……」
「よい、すべては我を思ってのことだろう」
許しを得たことで気が楽になったのだろう。
アイリスが扉のほうを見ながら、その目を鋭くする。
「それにしてもあの憎たらしさ……さすがアッシュ・ブレイブの親ですね。いますぐにでも島から追い出したいです」
「そう急かさずともあれは近いうちに出ていくだろう」
「どういうことですか?」
首を傾げながら問いかけてくるアイリス。
ふっと口元を緩めながらベヌスは答える。
「……お前も誰かを愛せばわかる」
「愛、ですか。そのようなものはわたしに必要ありません。それにもし誰かのために尽くすという意味であれば、このアイリスの愛はベヌス様に捧げております」
この忠義は大したものだが、いささか面白味に欠ける。
いつかアイリスの顔を綻ばすような者が現れればよいのだが。そんなことを思いながら、ベヌスはすっかり冷めてしまった茶を飲み干した。





