◆第九話『特異生体②』
敵の動きだしはひどく荒々しかった。
高々と上げ、力任せに振り落とされた翼剣2本。それらが床に激突したと同時、2本の亀裂が入口側へと勢いよく走り抜けた。亀裂は足を踏み外すほどの幅はない。ただ、見るからに妖しい黒いもやを生みだしていた。
「亀裂から離れろ!」
そう叫んだ直後、亀裂から黒い液体が噴出した。それらは勢いよく天井へとぶつかり、飛び散るようにしてあちこちから落下。床に触れるたび、じゅぅと音を鳴らす。
「うわっ、服溶けてるんだけどっ」
「鎧もだっ」
クララとレオのあわてふためく声が聞こえてくる。
どうやら溶解液の類のようだ。
溶解液の噴出が止みはじめたとき、敵が虚空を薙ぐようにその場で両手の翼剣を振りだした。あわせて巻き起こった突風の中、まるで風の流れを可視化するように細かな黒い斬撃が混ざりこんでいた。
広範囲に渡るうえ、とても避けられる数ではない。
アッシュは即座に属性障壁を展開する。が、完全には勢いを殺しきれず、幾つもの斬撃の突破を許してしまった。肌を刻まれ、自身の血が舞うように飛び散る。
レオとラピスは属性障壁、クララとルナは《ストーンウォール》でなんとか凌いでいたものの、やはり同様に肌を刻まれてしまっていた。防具の関係もあってクララとルナの損傷がとくに激しい。
突風が止んだと同時、敵の翼剣から幾本かの羽根が飛んできた。それらは全員のすぐそばの床に突き刺さり、ばりばりと炸裂音を鳴らしはじめる。
序盤で敵の飛ばした剣が爆発した際と同じ挙動だ。仲間たちもすぐさま気づいたようで全員が回避行動をとった、その直後。予想どおり羽根は腹に響くような轟音とともに爆発。黒煙を撒き散らした。
悪くなった視界の中、強襲を警戒して身構えるが、一向に敵が迫ってくる気配はない。
ふいに慟哭のごとくけたたましい悲鳴が聞こえてきた。その声の主を披露せんとしてか、まるで示し合わせたように黒煙が晴れる。と、黒の天使が白の天使の腹へと翼剣を刺し込んでいた。
黒の天使が抉るように翼剣を回し、さらに白の天使がもがき苦しむように声をあげる。
今回の戦闘は黒の天使をただ倒せばいいわけではない。
白の天使を生かしたうえで黒の天使を倒す必要がある。
アッシュは誰よりも早く動きだし、敵へと接近。その真っ黒な背中へと飛びかかる。が、敵は振り向きざまにこちらのスティレットを翼剣で弾いてきた。まるで背中に目でもあるかのような反応だ。
ほんのわずかに遅れて接近したレオ、ラピスも腕を伸ばして突きを繰り出すが、敵が繰り出したもう片方の翼剣でまとめて迎撃されてしまう。
さらに敵は猛り、衝撃波を飛ばしてきた。
体勢を崩していたこともあり、前衛3人が揃って吹き飛ばされてしまう。
こちらが床の上を跳ね転がる中、敵がまたも翼剣を床に叩きつけていた。ルナを閉じ込める形で迸った2本の亀裂。瞬く間に逃げ場を失ったルナへと敵が斬撃交じりの突風を放った。
ルナは単独で防御する術を持っていない。必死に両腕で頭部を守ったものの、ほぼ直撃を受けた格好だった。血だらけとなってその場で膝をついてしまう。
敵が流れるように翼剣をクララへと放り投げた。凄まじい勢いだが、クララは焦ることなく《テレポート》で回避する。が、その先に敵の羽根がすでに設置されていた。
「えっ」
クララの顔が恐怖に染まりきる間もなく、羽根は爆発。その小柄な体を吹き飛ばした。転がったクララが意識を失ったように動かなくなる。
「ルナッ、クララッ!」
一瞬にして後衛組が戦闘不能に追いやられてしまった。
ルナへの動きを制限する攻撃。
そしてクララへの動きを予測した攻撃。
やはりこれまでのパターンありきの魔物とはまるで違う。
その異質さに改めて戦慄しつつ、アッシュは駆けだした。2人の状態は心配だが、いまはなにより敵の注意をこちらに引きつけることが先決だ。
敵がたぐりよせるように招いた手に先ほど放り投げられた翼剣が戻った。ほぼ同時、アッシュは敵に接近。スティレットを突き込もうとするが、悪寒に苛まれ、とっさに後退した。直後、眼前を凄まじい勢いで翼剣が横切った。
先のタイミングで飛び込んでいれば間違いなく刻まれていた。
これまではどんな強敵であっても懐に潜り込める自信があった。だが、今回の敵だけは格が違いすぎるのか、懐までとてつもなく遠く感じる。
それでも長剣なら。
一瞬脳裏を過ぎった言葉を振り切るように、アッシュは強くスティレットを握った。いまの自分にとって、これが最高の得物だ。これで倒すしかない。
恐怖を押し殺して飛び込む覚悟を決めた、瞬間。騒がしい金属音とともに視界に煌く銀閃が割り込んできた。レオの剣だ。
彼は盾を前面に押し出しながら、脇から伸ばした剣で敵の右脛を突き刺した。敵が離れろとばかりに右手の翼剣を振り回し、レオの盾を上方から叩きはじめる。
響く音は耳を塞ぎたくなるほど鈍く重い。想像を絶する衝撃に見舞われているに違いない。だが、レオは潰されまいと踏みとどまっている。
「いまだ! アッシュくん……っ!」
苦しげにもらされたレオの言葉を聞くよりも早く、アッシュは敵の視界から姿を消していた。敵の左手後方から、身を低くして疾駆。敵の左腕へと飛びつき、左肩の前面側からスティレットを深く突き刺した。
敵が悲鳴をあげ、鬱陶しそうに左腕を動かしはじめる。アッシュは即座にスティレットを抜いて叫ぶ。
「ラピィィイイイイイスッ!」
意図を汲み取ってくれたか、ラピスが敵の左肩に空いた穴へとウィングドスピアの穂先を突き込んだ。そのまま敵の脇下をくぐり抜けるように駆け抜け、左肩をさらに抉る。
敵の胴体と左腕を接続する部分はあとわずか。アッシュはそこへソードブレイカーの刃を勢いよく押し当て、削ぎ切った。ごとっと音とたてて敵の左腕が床に落ちる。
激痛に見舞われてか、敵がけたたましい声をあげる。その隙を逃さずにレオがさらに敵の左脚へともう一突きを繰り出し、ラピスが背中へと槍を刺し込む。こちらも負けじと敵の頭部へとスティレットを刺し込もうとした、そのとき。
敵が金切り声をあげはじめた。
呼応して放たれた衝撃波に耐え切れず、アッシュはラピスともども吹き飛ばされ、右方の壁に打ちつけられた。
レオは敵の脚に刺した剣を支えにその場で踏みとどまっていたが、ついには入口側へと弾き飛ばされてしまう。
敵が理性を失ったように残った右腕だけで翼剣を振り回しはじめた。巻き起こる突風とともに繰り出される無数の斬撃に肌がどんどん刻まれていく。アッシュはラピスと揃って急いで属性障壁を展開し、被害を最小限に留める。
レオはというと《虚栄防壁》を展開し、クララとルナを守ってくれていた。ただ、自らの身を犠牲にした手段とあって、その表情はどんどん歪んでいる。
視界の端では白の天使に変化が起きていた。先ほど黒の天使に受けた腹部の傷から広がるようにして体の大半が黒に染まっていたのだ。残るは手足の先と頭部のみ。
すべてが染まれば白の天使は消滅、もしくは白の天使ではなくなるような気がした。もしそうだとすれば残された時間はほぼない。
敵もすでにかなりの損傷を負っている。
おそらくこの攻撃も最後の悪あがきだ。
――あと少しで倒せるはずだ。
そう決めつけることでアッシュは自身を奮い立たせた。
「ラピス、道を作ってくれ! 突っ込む!」
「突っ込むってこの中を!? あれじゃ防ぎきれないわっ」
「それでもいい! 時間がない!」
こちらを睨んで反対の意を示したのも一瞬、すぐさま彼女は床へと穂先を突き立ててくれた。敵のすぐそばを横切るように両側に壁を持った白光の道が形成される。
アッシュはすぐさま駆け出した。属性障壁と同様、白光の道とともに現れた壁が敵の斬撃の威力をわずかに軽減してくれていた。だが、敵との距離が近づくにつれ、軽減する度合いが低くなり、軽装ごしにも肌を刻まれてしまう。
全身が焼けるような痛みに見舞われ、頭がおかしくなりそうだった。だが、ここで決めなければ失敗になる。協力してくれた仲間のためにも、それだけは絶対にしたくない。
「ぁあああああああああ――ッ!」
アッシュは速度を上げ、敵のすぐそばまで到達。咆哮をあげながら白光の道から飛びだした。もう守ってくれるものはない。容赦のない斬撃の嵐にさらされる中、左腕で顔面を守りながら突き進む。
やがて敵の脚が見えたのを機にがばっと顔を上げた。躊躇なく敵へと飛びかかり、その眉間へとスティレットを押し込んだ。ぴしっと音をたててまるで鉱物が割れるかのように敵の額にヒビが入る。
たしかな感触を抱いた、その瞬間――。
どんっという凄まじい衝撃に見舞われるとともに視界が無数の線となって流れた。敵の振り回した翼剣に突き飛ばされたのだと気づいたときには、すでに壁に体を打ちつけていた。
「アッシュッ!」
ラピスの悲鳴にも似た声が聞こえてくる。
脳が揺れたせいか、意識が朦朧としていた。それでも仲間に紡いでもらった一撃の結果を確認せんがため、アッシュは重いまぶたを持ち上げる。
敵の姿が弾け飛ぶようにして無数の黒点と化していた。
これまでの敵と同様、そのまま消滅していくのだろう。そう思ったのも束の間、黒点たちはわずかな間たゆたったのち、吸い込まれるようにして白の天使の中へと入っていった。





