◆第六話『アイティエルの鎖』
「ぶひぃいいいいいいいいいいっ!!」
馴染みある歓迎から始まる豚の酒場こと《喚く大豚亭》に、アッシュはレオ、ディバルとともに訪れていた。
「おい、みんな! アッシュが来たぞ!」
「なんだそいつ見たことねえな。新人か?」
「頼む、アッシュ。40階の攻略法教えてくれ!」
「あとでこっち来いよ! 酒、奢っからよ!」
進むたびにかけられる声に応じながらエールを購入。
いつもの奥の角席へと向かった。
「お前、知り合い多いんだな」
席につくなりディバルが驚いたように言った。
アッシュはエールをぐいと飲み、ぞんざいに答える。
「べつに馴染みの酒場だからだろ」
「こう言ってるけど、それだけじゃないよ」
レオがすぐさま訂正したのち、まるで自慢するかのように語りはじめる。
「アッシュくんはこの島で色んなことしてきたんだ。人助けはもちろん、幾つもの事件を解決したりね。だから、いまじゃ島でアッシュくんのことを知らない人はいない。それだけじゃなく、みんなアッシュくんのもとに集まるぐらいだよ」
たしかに面倒なことに首を突っ込んだり、巻き込まれたりもした。思い返せば大したことはない、と一蹴できないほどのものばかりだ。
ただ、興奮気味なレオの口から語られると必要以上に誇張されて伝わっている気がしてならなかった。
ディバルが感心したような顔でしみじみと口にする。
「あのアッシュがなぁ……」
「……なんだよ」
「いーや。ただ、親としては子の成長が嬉しいってだけだ」
ディバルはこちらの未熟だった頃と、いまとの差を誰よりも知っている。親だからしかたのないこととはいえ、なんとも居心地が悪かった。
「そういやお前、あれで100階まで昇れると思ってるのか?」
唐突に切り出してきたディバルの言葉に、アッシュはカップを傾けようとした手を思わず止めてしまった。なんのことだ、とわかっていながら視線で問いかける。
「武器だ武器。昨晩の感じだと、結構ぎりぎりだろ。91階以降の敵相手ならもう無理なんじゃないか」
ディバルの言葉は容赦なく腹の底まで刺さった。
いまでも充分に戦えてはいる。だが、この先に待ち受けるさらなる強敵を相手にも同じように戦えるのか。最近、そんな疑問が湧き上がっては無理矢理に押しつけるといったことを続けていた。
「……それでも行くしかないだろ」
選択肢にもっとも得意とする武器はないのだ。
こう答えるほかなかった。
しかし、ディバルの反応は不満げだった。
不正解だとばかりにため息をついたのち、気だるげに頬杖をついている。
「お前、自分の力がどこまで通用するかを知るためにきたんだろ。本当の力で挑まなくてどうする」
「んなこといってもな……長剣は持てないんだからしかたないだろ」
「その長剣を持てるとしたら?」
「どういうことだ?」
こちらの目つきが変わったことを見てか、ディバルが楽しげに口元を緩めた。
「黒の塔88階……そこに血統技術を封印する装飾品、《アイティエルの鎖》を落とす敵がいる」
まるでときが止まったかのような感覚に見舞われた。
血統技術は使用者にとって有用なものであることが多い。それを封印するとなれば呪いとも言える効果だが、自分にとっては最高の装飾品となりえた。なぜなら――。
《ラストブレイブ》が発動しなければ長剣を使えるようになるからだ。
その言葉を頭で描いたとき、心臓が大きく跳ねた。
「もしかして黒の塔だけを昇ってたのって……」
そうこぼしたレオの推察にディバルは無言で応じた。
白と黒の塔は回復や阻害魔法を使ってくる敵が多いため、ほかの塔よりも難度が高くなっている。そんな色の塔をわざわざ選んで昇る理由はなにか。疑問に思っていたが、その《アイティエルの鎖》を得るためだったというわけか。
しかし、大きな疑問が残る。
「その情報、どこで知ったんだ?」
「88階に入った奴は俺しかいなかった。ってことは答えはひとつだろ」
「倒したのか? じゃあその装飾品をいまも持ってるのか?」
「入手方法が少し特殊みたいでな。俺じゃ手に入れられなかった」
言って、ディバルが両手を開いてみせた。
いずれにせよ戦利品として確認していないにもかかわらず〝出る〟と断定しているのだ。ディバルの線もなくなれば、これはもうひとつしか答えはない。
「……ミルマか」
「でも、入手したことのない物の情報は教えてくれないはずだよね」
レオが怪訝な顔で言った。
ミルマは原則として未知の情報を与えてはくれない。ましてや『なにかを倒せばなにかを得られる』なんて詳細な情報はなおさらだ。
「ま、そこらへんについては色々あってな」
ディバルはおどけながらこちらの詰問の目をひらりと躱し、カップを口につけた。ごくごくと喉を鳴らしたのち、「ぷはぁっ」と呼気をもらす。
「ともかく挑むなら命をかける覚悟でいけ。《ラストブレイブ》で倒しはしたが、あれは別格だ」
ディバルが別格とまで言う敵。
相当な強さであることは間違いない。
命をかけろ、なんて忠告も脅しではないのだろう。
これは個人的な問題だ。
果たしてそこまでして仲間を危険にさらすべきか。
それに長剣がなくとも戦闘はできる。
回避する方向へと思考が傾きはじめた、そのとき。
「取りにいこう、アッシュくん」
レオが力強い声で言った。
彼はカップの取っ手が軋むほど握りながら、もどかしそうな顔で続ける。
「最近、アッシュくんが悩んでいたことは薄々気づいていた。もしその悩みが武器のことだったならすぐにでも行くべきだ」
「……レオ」
「きっとみんなも快く頷いてくれるよ。だって僕たちは仲間だからね」
言って、にこやかな笑みを向けれくるレオ。
個人的な問題だ、と胸中に押し留めようとした自分を殴りたかった。アッシュは自身の右手に拳を作ったのち、気持ちを切り替えんと大きく息を吐きだした。
「わかった。付き合ってくれ」
「うん、任せておくれ」
レオがどんっと自身の胸を叩いた。
本当にふざけていないときは頼もしい限りだ。
「そんじゃ道案内は任せろ。レア種みたいに隠し通路の先にいたからな」
ディバルが残りのエールを飲み干したのち、勢いよく立ち上がった。空のカップを持ち上げながら、「もう1杯くれー!」と叫びながらカウンターのほうへと向かっていく。
12歳を迎えた日から、《ラストブレイブ》の影響なく長剣を振るう姿を数えきれないほど夢想してきた。そのたびに胸に残る虚しさに苛立ちを感じる日々が続いていたが――《アイティエルの鎖》を手に入れればすべてが終わる。
アッシュは溢れでる興奮を押し殺すように人知れず拳を作ったのち、待ち受ける強敵へと意識を向けた。





