◆第四話『真の実力』
月明かりのおかげで最低限の視界は確保できていた。
辺りに人の気配はなく、波が崖に打ちつける音だけが響いている。
青の塔にほど近い沿岸部。
アッシュはディバルと対峙していた。
少し離れたところで仲間たちも見学に来ている。
「やっぱこの島の空気は美味いな」
ディバルが一杯に吸い込んだ空気で胸を膨らませる。
彼の手には腕より少し長い程度の棒が握られていた。
あれは余っていた3等級槍の穂先を砕いたものだ。
「べつにお前まで等級下げる必要なかったんだぞ」
相手にあわせ、こちらもスティレットとソードブレイカーを3等級に落としていた。そもそも3等級相手に9等級の武器で戦えば簡単に破壊してしまう。そしてそんなことを相手もわかっていないはずがない。単なる挑発だ。
「んなの、俺がすると思うかよ」
「そうだったな……ちっさい頃から対等に闘おうと必死だったもんな」
「昔のことはいいだろ」
未熟な頃からの付き合いとあってか。
父親相手だとどうにもやりにくい。
アッシュは腰裏の鞘から2本の短剣を逆手に抜いた。
身を低くして構え、開始を促す。
応じてディバルが顔を引き締めた。
なんのへんてつもない棒の切っ先を向けてくる。
「さあ、いつでもこい」
相手は長らく食っちゃ寝していただけの男だ。
本来なら肉体的に衰えているはずだが……。
ディバル・ブレイブは規格外だ。
そもそもそういったことに囚われるような戦士ではない。それは彼の子であり、幼い頃から数えきれないほど手合わせをしてきた自分が一番よくわかっている。
手加減はいらない。
いまも泰然と構えるディバルへと、アッシュはつま先を滑らせるようにして距離を詰めていく。隙だらけに見えるが、どこから攻撃しても打ち返されるような気がしてならなかった。
近づけば近づくほど相手の体が大きくなっていくように感じる。ほかの戦士とは一線を画すこの威圧感。
昔もいまも変わらない。
やはり自分が知る中で最強の戦士だ。
覚える圧迫感を消し飛ばすようにアッシュは地を蹴った。這うように進み、一気に相手との距離を失くす。
ディバルの対応は左足をゆったりと下げたのみ。
しかし、それだけの動きで一瞬にして隙が消えた。
相手の得物はいっさい動いていないが――。
――このまま仕掛ければ迎え撃たれる。
アッシュは踏み込んで勢いを殺し、体を横へと強引に動かした。相手の右側面へとつけた格好だ。ディバルが体の向きをあわせようとする間に懐へともぐり込む。スティレットを瞬時に順手へと持ち替え、突きを繰り出そうとした、そのとき。
いつの間にか相手の得物が視界の中心に映り込んでいた。こちらの眉間を貫かんと真っ直ぐに向かってきている。
総毛立つような感覚に見舞われ、アッシュはとっさに上半身を右側へとひねった。さらに相手の得物の下側からソードブレイカーを押し当て、軌道をずらす。左頬、肩のそばを相手の棒が貫いていく中、前へとさらに踏み込んだ。
先ほどは不発に終わったスティレットの切っ先を相手の腹部へと押し込もうとする。が、視界ががくんと下へとぶれた。ソードブレイカーで支えきれず、相手の得物に左肩を叩かれたのだ。ただ、手の力だけとは思えないほどに重い。
それもそのはずでディバルは自身の得物へと全体重をかけていた。さらに切っ先を地に押し当てて跳躍。こちらの背後へと回り込んでくる。
普通の戦闘ではありえない動きだ。
驚愕で意識がそれそうになるが、この程度は慣れたものだった。即座に切り替え、アッシュは空いた間合いを詰めんと駆ける。
牽制とばかりにディバルが棒を薙いできた。アッシュは足裏を地に打ちつけ、急停止する。眼球のすぐそばを流れていく相手の得物。その切っ先が月明かりを受け、虚空に美しい軌跡を残していく。
それをかき消すようにディバルが一気に踏み込んできた。すぐさま引き戻した棒を斜めに振り下ろしてくる。得物的にもまともに受ければ押し負けることは明白。回避しかないが、それだけでは後手になるだけだ。
一瞬の逡巡後、アッシュはソードブレイカーを相手の腰辺りへと投げつけた。ディバルの選択が回避か、得物で迎撃か。目を凝らし、微細な動きも逃さずに確認する。
と、相手が身をよじっての回避へと動きはじめていた。アッシュはすぐさま勢いが弱った相手の得物を空いた左手で握り、押しのけるとともに肉迫。右手に持ったスティレットをディバルの喉もとへとすっと突きつけた。
ディバルがふっと笑みをこぼす。
「……参った。俺の負けだ。不利な得物にこだわるとは思ってたが、まさか投げてくるとはな」
「普通に撃ち合って勝つつもりだったんだけどな」
絡め手でなければ勝ち筋がまるで見えなかった。
もちろん悔しいのではっきりと伝えるつもりはないが。
互いに距離をとり、息をつく。
と、ディバルが不満げな顔を向けてきた。
「なんだ、あんま嬉しくなさそうだな」
「……昔と違って勝って当然だからな」
「生意気言いやがって」
言葉とは裏腹にその顔は嬉しそうだった。
そうして懐かしい親の顔を見ながら、アッシュは口にする。
「それで、どうだった?」
「昔よりも立ち回りが器用になったな。思考の選択肢も増えてるくせに最善手を打ててる。戦士として見違えるほど成長した。だが……やっぱ昔のほうが強いな」
最後に付け足された言葉。
それは痛いほど突き刺さった。
アッシュは手に持った2本の短剣を見ながら、ぼそりとこぼす。
「やっぱ親父もそう思うか」
「なんだ、自分でもわかってたのか」
「じゃなきゃ衰えた相手に本気なんか出すかよ」
昔といま。
どちらが強いかを客観的に見てもらいたいがため、いっさい手を抜かなかった。その結果が先のディバルが話したものというわけだ。
「ったく、相変わらず可愛げのねぇ奴だな」
ディバルは自身の得物に手の甲をこつんと当て、にっと笑う。
「せっかくだ。もう少し語ってこうぜ」
「ああ、そうだなっ……」
アッシュは身を低くし、加速。
勢いのまま父親へと飛びかかった。
◆◇◆◇◆
再開されたアッシュとディバルの戦闘を見つめながら、ラピスは息を呑んだ。
「あれがアッシュのお父さん……」
おそろしく強い。
それが率直な感想だった。
仮に対峙しても勝てる見込みはほぼないだろう。
それほどまでに実力に開きがある。
「さすがお父さん……」
「まさかあんな人がいたなんてね」
「どうりでアッシュくんが強いわけだ」
そばではクララとルナ、レオも同様に驚愕していた。そうして4人揃って呆けながら観戦していると、ルナが思い出したように口を開いた。
「それにしてもさっきディバルさんの言ってたことが気になるね」
「昔のアッシュくんのが強いって言ってたこと?」
クララの問いにルナが頷く。
「普通に考えれば子どもの頃のほうが強いって信じられないからね」
「アッシュくんの年齢的にも全盛期は間違いなくいまだろうからね」
そう言ったのはレオだ。
身体能力の面では彼の言い分は間違っていないだろう。ただ、総合的な戦闘能力で見た場合――。
「ありえる……というか、実際にわたしも昔のアッシュのほうが強いと思う」
いまも目まぐるしく動いているアッシュを見つめながら、ラピスははっきりと言い切った。そばの仲間たちから信じられないといった目を向けられる中、その理由を説明する。
「前に話したと思うけど……昔、アッシュがまだ長剣を使えた頃に会ったことがあるの。そのときの……彼の動きは異常だったわ。とても10歳程度の子どもとは思えないぐらいにね」
幼い頃の記憶だったこともあり、思い出的な補正がかかってより衝撃的に見えていた可能性はあるかもしれない。ただ、そうした可能性を考慮したとしても、おそろしいほどの強さだったことはたしかだ。
「予備動作を予備動作として認識できないほど静かでおそろしく速い剣を振っていて……正直、いまのわたしでも勝てるかどうかわからないわ」
「いまのラピスさんでもって……」
「ラピスがそこまで言うってことは相当だね」
長剣を使うだけであそこまで変わるのかという疑問は残る。ただ、事実として足運びや得物の振り方、もっと言ってしまえば存在感すらも別人のようだった。
アッシュが長剣を使えればチームがより強くなることは間違いないだろう。しかし、それは決してかなわない。彼の持つ血統技術、《ラストブレイブ》がある限り――。
もっとも得意とする武器を使えないもどかしさを感じながら、塔の魔物を相手に日々戦っている。そんな彼の胸中を推し量りながら、ラピスは人知れず拳を作った。





