◆第三話『仲間の紹介』
空に星がくっきりと顔を出した頃。
ログハウスの居間にて。アッシュはテーブルに頬杖をつきながら、受け入れがたい光景を前にしていた。
「いやー、美味い! こんながっつり食うのは久しぶりでたまんねぇなあっ!」
そんな歓喜の声をあげながら、対面の席で料理を豪快に貪っているのは先ほど黒の塔から連れ帰ってきた男だ。
その身なりは打って変わって清潔なものとなっている。ありえないほどに伸びきっていた髪や髭は適度に処理され、風呂に入ったことで臭いもない。歳が40過ぎなこともあり、いまや〝ただのおっさん〟だ。
しかし、その見た目は誰よりも知っているものと相違なかった。
少し硬そうな髪。力強い目。無駄に膨張していない引き締まった筋肉。5年ぶりとあって肌にわずかな衰えは見えるものの、やはり間違いない。
父親――ディバル・ブレイブだ。
彼はこちらの視線など構うことなく、口内のものをごくんと嚥下。さらに水を飲んで「ぷはぁっ」と息をもらすと、からっとした笑みを向けてきた。
「しっかし、いい嫁さんを見つけたな、アッシュ」
「よ、嫁って……」
新たな料理をちょうど置きにきたルナが目を瞬かせていた。
ディバルが「違うのか?」と聞き返す。
「……いや、そうだね。うん、アッシュの妻のルナです。よろしく、お父様」
「聞いたかアッシュ! お父様だってよ! 器量もよさそうだし、いい子を掴まえたじゃねえか!」
「違いますよ。ボク……わたしが掴まえたんです」
「はは、こりゃ参ったな! 気に入った! 今日からきみは俺の娘だ!」
上機嫌なディバルをよそに、ルナがこちらに向かってちろりと舌を出しながら片目をつぶった。なんとも厄介なことこのうえない組み合わせだ。
「ちょ、ちょっとルナさんっ、嘘はダメだよっ」
「そうよ。それにアッシュはわたっ、わたしのっ――」
「悪いね、2人とも。もうこれは決まってしまったことだから」
慌てて声をあげるクララとラピスに、余裕の笑みで迎え撃つルナ。一触即発の空気が漂いはじめた中、レオがすっくと立ち上がった。
「みんな、喧嘩はよくないよ。ここは僕が預かるから、ひとまず落ちつこう」
「それが一番落ちつけないんだけど」
「うんうん、レオさんは黙ってて」
ラピスとクララにすぐさま追い出されたレオ。
ひどい、と涙ながらに崩れ落ちていた。哀れ。
そうして女性陣の睨み合いが続く中、ディバルが興味深そうに頷いていた。
「そうか……アッシュを定住させるとこうなるのか」
「再会して早々に場をかき乱すなよ」
「ほんの冗談だ、冗談。あ、でも料理が美味い娘ってのは俺的には点数高いぜ」
そんなディバルの何気ない一言で勝負が決したようだ。
「もっと頑張ろ……」
「……やっぱりわたしも挑戦するしか」
悔しげに両手を握り、下唇を噛むクララ。ラピスにいたっては椅子にすとんと座りなおし、魂が抜けたように放心していた。
戦場跡のような虚しさ漂う場となってしまったが、ひとまず静かにはなった。アッシュは深くため息をついたのち、気になっていたことを訊こうと口を開く。
「にしても帰還せずにどうやって生きてたんだよ。食糧とかまずもたないだろ」
「野営道具売ってるクルミンってところがあったろ。あそこで買った奴のおかげだ」
「たしか1日1回だけパンが出てくるってやつだったか」
「ああ、栄養もたっぷりらしくてな。正直あんま美味くはないが、とりあえず生きるのには困らなかったぜ」
思い返してみれば、店員のミルマが「過去に一度だけ買われたことがある」と言っていた。その購入者がまさか父親だったとは。
「食糧に関してはわかった。で、あそこまで昇ったのは――」
「使ったぜ」
ディバルがさらりと答えた。
使った、とは原初の血統技術。
《ラストブレイブ》のことだ。
「試練の階では大体使った。70階からは通常戦闘でも必要なら使ったな」
ディバルは血肉沸き踊る戦闘を楽しむ人間だ。
少なくとも自分の知っている父親はそうだった。そんな彼が躊躇なく〝絶対に勝てる〟手段を選び続けることに違和感を覚えた。
気になることはほかにもある。
「それであの階が限界だったのか? 時間的にもっといけたんじゃないか?」
「つってもこの島に来るまで色々やってたからな。実際に島に来て昇りはじめたのは4年前ぐらいだ」
「それでも充分な時間だろ」
――頂に辿りつくには。
あえて口にはしなかったが伝わっているようだった。
ディバルがばつが悪そうに頭をかきはじめる。
「いや、それが剣が折れちまってな。7等級の奴に硬化の魔石をはめまくってたんだが……88階の天使に当てたときにポキン、とな」
言いながら、ディバルがそばに置いていた自身の鞘から刺さっていた剣を抜いた。話に聞いていたとおりちょうど剣身の半分辺りで折れてしまっている。
「でまあ、帰還するにもできなくてあそこでずっと生き長らえてたってわけだ。いやー、さすがに精神的におかしくなりそうだったぜ」
なぜか自慢げだが、そこまでに至った流れを聞いていると間抜けとしか言いようがなかった。
「大体、70階を突破した時点でなんで戻らなかったんだよ。そうすりゃ8等級の武器を使って折れることもなかっただろ」
「このままでもいけるだろって思ってな。まっ、一番の理由は面倒だったってのが大きいけどな」
たしかに塔と中央広場との行き来は面倒だ。
そのうえ交換石やら属性石やらを使った装備の準備もあって色々と手間がかかるのは否めない。だが、たとえそれらを踏まえても〝帰還しない〟ほうが損することは明らかだ。
「やっぱり親子だね」
「うん、アッシュくんに似てる」
ルナとクララがなぜか納得していた。
「……頼むから一緒にしないでくれ」
色々と横着しがちなことは認めるが、さすがにディバルほどではない。
親子というだけでこちらがあらぬ風評被害を受ける中、ディバルは構うことなくなにかを思い出したような声をあげた。
「そっちの嬢ちゃんは魔術師で合ってるのか?」
「い、一応……そういうことになってます」
あまり話しなれていない相手だからか。
妙にかしこまった様子でクララが応じた。
「自信なさげだな」
訝るディバルに、アッシュは代わりに答える。
「2年前、島にくるまでまともに戦ったことがなかったらしくてな」
「それで9等級まできたのか。将来有望じゃねえか。……そんじゃ、そんな優秀な嬢ちゃんにはこれをプレゼントだ」
褒められて照れるクララへと差し出すようにして、ディバルが黒くて丸い宝石をテーブルの上に2つ置いた。
「ま、魔石っ!? しかもこれ9等級……っ!」
クララが信じられないとばかりに受け取った2つの魔石を掲げた。彼女と頬をつける格好でラピスとルナも魔石を覗き込む。
「どっちもべつの種類ね」
「黒の魔石ってことは《テレポート》と《グラビティ》かな?」
「すっごい欲しかったやつ!」
クララが興奮するのも無理はない。
それほどまでにどちらも強力な魔法だ。
「あとはこれもだ」
続けてディバルが防具の交換石を置いた。
ルナが摘み上げた途端、まぶたを跳ねさせる。
「《ヴァルキリー》シリーズの交換石……しかもちょうど残りの部位だ」
「そいつはちょうどよかったな」
ディバルが満足そうに微笑んだ。
歳の差も相まって親から子にプレゼントを渡しているようにも見える。だが、この島においてはどちらもひとりの挑戦者であり戦士だ。
代価もなしにこれほど高価なものを受け取るわけにはいかない。《ラストブレイブ》を使って得たものだとすれば、なおさらだ。
アッシュは約58万の表示がされたガマルの白い腹を見せつける。
「いまはこれしかない。足りない分はあとで返す」
「なに言ってんだ。んなもんべつにいらねえよ」
「俺がいやなだけだ」
断固として譲らないことを目で訴えた。
ディバルが呆れた様子で肩をすくめる。
「お前はまた妙なところで意地張りやがって。ったく誰に似たんだか」
「親父じゃないことはたしかだな」
「しかたねえな。んじゃ有り金全部よこせ。で、相場はいくらだ」
「俺たちしかいまは狩ってないからあってないようなもんだな」
「んじゃいい装備っぽいし、とりあえず500万でいいか」
8等級の装備と照らし合わせれば価値的に破格なことは間違いない。だが、資金難の現状、さすがに吊り上げろとは言えなかった。
「あ、あたしも出しますっ」
「もちろんボクも出すよ」
「わたしも、あまりないけど」
クララとルナ、ラピスもガマルを出して支払ってくれる。それでも300万ジュリー以上残っていたが、レオが「それじゃ、あとはこれで」とすべてを返済してくれた。
「お、早くも返済だな」
ディバルが金額を確認したのち、ガマルを手放した。彼のガマルが「グェップ」と満足気に息をもらしたのち、ぴょんぴょんと跳ねて主人のもとへと戻っていく。
「悪いな……みんな。付き合わせて」
アッシュは仲間の顔を見回しながら言った。
自分でも面倒な性格だとは理解しているが、ずっと貫いてきた方針だ。ここで歪めたくはなかった。
「ううん、あたしもタダでもらうのは悪いなって思ってたし」
「そもそもアッシュならそうするってわかってたしね」
「ええ、最初からそのつもりだったわ」
「アッシュくんが気持ちよく塔を昇るためなら僕はどんなことでもするよ!」
必要以上に熱がこもっているものもあったが……。
返ってきた言葉に胸中が温かいもので満たされた。
そうして仲間に感謝していると、なにやらむず痒い視線を感じた。辿れば、ディバルがにんまりと笑いながらこちらを見ている。
「……なんだよ」
「いや、なんでもねえよ。美味かったぜ、料理」
言って、ディバルはゆっくりと立ち上がった。
軽く伸びをしたのち、玄関のほうへと体を向ける。
「うし、アッシュ。ちょっと外に出るぞ」
「……もう夜だぞ。なにしにいくんだよ?」
「んなの決まってんだろ」
ディバルがにっと口の端を吊り上げると、自身の右腕を左手で叩いた。
「食後の運動だ」





