◆第二話『その姿は』
おおよそではあるが、88階の中間地点を越えた辺りでようやく敵の出現しない空間に辿りついた。
黒の塔とあって壁の色合いは不気味だが、全員が手足を伸ばして寝転んでも余裕があるほど、と広さは充分。休憩するにはもってこいの場所だった。
たたた、と前に歩み出たクララがいち早く座り込む。
「やっと休めるー!」
「ほら、クララ。見えてるよ」
「わわっ」
めくれ上がったローブの裾をルナに指摘され、慌てて両手で閉じるクララ。頬を赤らめながら、「見た?」とばかりにこちらへと視線を向けてくる。
肩をすくめて平然と応じたところ、なぜかむすっとされてしまった。
大方、大人の女性として意識してもらいたいといったところか。とはいえ、下着を見た程度で鼻息を荒くして興奮することはまずない。そもそも大人の女性を目指すのであれば、下着を不用意に見せない行動を心がけるべきだ。
そんなことを思いながら、アッシュはほかのメンバーとともにゆっくりと腰を下ろした。
「それにしても《テレポート》が厄介すぎるね」
ルナがそばに弓を置いたのち、ふぅと息を吐いた。
ねー、とクララが力強く相槌を打つ。
「あれで迫られたらあたし絶対反応できないよ」
「でもクララ、さっきちゃんと距離を把握して魔法当ててたよね」
「えへへ。ま、まああれぐらいは余裕だよっ! ……って言ってもアッシュくんが個体ごとに決まってるって教えてくれたおかげだけどね」
彼女たちがそんな会話を交す中、アッシュはスティレットとソードブレイカーの刃を軽くこすりあわせていた。
もちろんそれで刃が鋭くなるなんてことはない。
とくに意味のない行為だ。
そばに座っていたラピスがそっと距離を詰めてくると、顔を横に倒した。一房垂れた金の髪越しに青い瞳がじっとこちらを覗き込んでくる。
「アッシュ、どうかしたの?」
「ああ……ちょっと武器を変えようか迷っててな」
「それじゃダメなの?」
「これだとどう頑張っても一撃で仕留められないからな。さっきみたいなときにどうしても処理が遅れてきつくなるだろ」
天使は小型ながら耐久力も非常に高い。
ゆえに、しかたのないことかもしれないが、いざというときのことを考えれば一瞬で倒せる程度の火力は欲しいというのが本音だった。
「かといって重い武器を持っても速さについていけない、か」
レオが補足するようにもらした言葉に、アッシュは「そういうことだ」と首肯した。
9等級の斧やハンマーなら一撃で倒せるかもしれないが、やはり重すぎるために回避の面で不安が残る。《テレポート》を多用してくる黒の塔ではまず間違いなく生き残れないだろう。
クララが「ふむー」と難しい顔を見せたのち、感心したようにもらす。
「でも改めて思うけど、選べるだけ色んな武器使えるなんてすごいよね」
「たしか父親に教え込まれたんだっけ」
そう思いだしたように訊いてきたルナに、アッシュは「ああ」と頷く。
「血統技術の関係で長剣が使えなくなるからってな。楽しみながら覚えたからべつに苦じゃなかったが……ま、親父に感謝だ」
ここまで昇ってこられたのは多様な武器を扱えたことで器用に立ち回れたからにほかならない。長剣が使えれば、という思いはあるが――それでも与えられた選択肢はいまの自分にとって大きな糧となっていることは間違いなかった。
クララが天井を見上げながらしみじみと言う。
「アッシュくんのお父さんかぁ。なんかすごい強そう」
「実際強いぜ。俺がニゲルに勝てたのも、たぶんそれ以上の相手……親父と闘いまくってたからだしな」
ニゲル以上、という言葉を聞いてか。
全員が驚いたように目を瞬いていた。
「でも、そんなに強いのにどうしてジュラル島にきてないの?」
「そうだね。ニゲル以上ってことは仲間次第ではこの等級に達していてもおかしくないってことだしね」
ラピスに続いて怪訝な顔を向けてくるレオ。
優れた戦士の誰もがジュラル島を目指すとは限らない。しかし、頂に達すればあらゆる願いが叶うのだ。より実力のある者ほどジュラル島にくる価値がある、と思うのも無理はない。
実際、父親がそうした考えを持っていたかはわからない。ただ――。
「それなんだが、来てるはずなんだよな」
「はずってどういうこと?」
ルナが首を傾げながら訊いてくる。
どう答えたものかと悩んだが、ありのままを話すことにした。
「いや……6年前、廃棄された塔を攻略したあと、先にジュラル島に行ってるって言って別れてな。それっきり会ってない」
「それってもしかして……って、ごめん」
ひとつの答えに至ったか。
クララが半ばで濁し、ばつが悪そうに謝罪した。
「見かけないってことはやられちまったのかもな」
「な、なんかごめん……」
「気にする必要はない。そういうこともあるって覚悟で挑んでるだろうからな。ただ、どうも死んでるとは思えないんだよな」
希望的な思いから発したものではない。
父親は昔から飄々としてなにを考えているかわからない男だった。そんな彼だからこそ〝死んだ〟姿がまるで想像がつかなかったのだ。
ともあれ、せっかくの休憩時間に辛気臭い話をしたくはなかった。早々に話を切り上げ、アッシュは仲間とともに疲れきった体の回復に努めた。
◆◆◆◆◆
その後、充分に回復してから狩りを再開。
何度も危険にさらされながらもなんとか奥へと進み――2箇所目の安全地帯と思しき空間に辿りついたのだが……。
こちらに背を向ける格好で人が寝転んでいた。
「魔物……ではないよね」
「巨人装備を着てるね」
「でも、あたしたち以外に人はいないはずじゃ……」
「そのはずだけど……」
仲間たちが驚愕する中、アッシュはひとりあることを思いだしていた。
それは初めて島に来たとき、ウルから知らされた言葉だ。
――70階を突破した方はわずか10人。
この者たちは……。
《ソレイユ》のヴァネッサとオルヴィ、ドーリエ。
《レッドファング》のベイマンズとロウ、ヴァン。
《アルビオン》のニゲルとシビラ、ゴドミン。
そしてラピスで間違いない。
ニゲルを始めとした旧アルビオン連中が去ったいま、シビラ以外の挑戦者がこの9等級階層にいるはずがない。
しかし、あのときのウルの言葉をさらに遡れば〝生還者〟と口にしていた。もしミルマの中で特定の階への到達が、塔から帰還することで正式に認められるものだとすれば……。
70階を突破した時点で一度も帰らずにここまで昇っていれば、ミルマに数えられていなくとも不思議ではない。
装備の質やら食事のことやら色々と疑問点は残る。
80階の主の強さに鑑みても、たったひとりで突破できるとはとうてい思えない。
だが、それでも――。
ここまで来られる者がいるとするならひとりしか考えられなかった。
アッシュはほぼ確信に近いものを感じながら、その〝見覚えのある後ろ姿〟へと恐る恐る問いかける。
「親父……なのか?」





