◆第一話『黒の塔88階』
黒の塔88階。
その広間に入った瞬間、退路を失った。
重々しい音をたてた落とし格子によって塞がれたのだ。
奥の壁付近で4本の黒い柱が迸り、それぞれから弓を構えた天使が1体ずつ現れた。弦が戻る鋭い音とともに放たれた4本の矢が、黒い靄をまとってこちらに向かってくる。
矢を当てた対象の敏捷性を著しく低下させる《グラビティ》の効果を持つ矢だ。当たれば狙い撃ちにされる危険性が高まるため、ひどく危険な攻撃だが――。
即座にすべてが白く輝く矢に撃ち落とされた。
ルナによって放たれた追尾能力を持つ9等級白弓の矢だ。
「ラピス、レオっ」
アッシュはそう叫びながら、彼らとともに弓型との距離を詰めんと駆けだした。
つい先日、揃った《セラフ》シリーズを着込んでいることもあって敏捷性が大きく上がっている。おかげで風を切るような感覚に包まれていた。
またレオも《セラフ》シリーズによって、ラピスは《ティターニア》シリーズによって敏捷性を大きく上げている。揃って並の近接とは比べ物にならない速度を手にしていた。
このままなら次の矢が放たれるよりも早くに到達できる。と、思った瞬間、前方で再び4つの柱が噴出。新たに4体の天使が現れた。
剣型2、槍型が2体だ。
「ルナはそのまま弓型の対処を! クララは全体の補助を!」
「了解っ」
「わかった!」
こちらが指示を出している間にも、近接の天使たちが解き放たれた野獣のごとく勢いよく翔けだしていた。かと思いきや、その輪郭がぼやけるようにスッと消失。気づけば眼前まで迫ってきていた。
属性石をはめた数に応じて転移する魔法――《テレポート》だ。
槍型はそれぞれラピスとレオに接近。
残った剣型2体はこちらに狙いを定めたようだった。
両側面につけた剣型たちが突きの一撃を繰り出してくる。
アッシュは半ば反射的にしゃがみ込んだ。敵の剣同士が触れたのか、頭上でガキンッと金属音が鳴った。敵の攻撃直後を狙い、体ごと伸ばした両手を旋回。刃を煌かせたスティレットとソードブレイカーが敵の硬質な肌を捉える――。
直前、敵の姿がまた消えた。《テレポート》を使用し、後退したのだ。2本の短剣ですぐさま属性攻撃を放ち、追い討ちをかける。が、敵はまたもや《テレポート》を使用。2体揃って属性攻撃をすり抜ける格好で肉迫してきた。
「ちぃっ」
アッシュは思わず舌打ちをし、敵2体から繰り出される激しい連撃をかいくぐるようにして回避する。
黒の塔の敵が《テレポート》を使うようになったのはこの88階からだ。おかげで難度が跳ね上がっていた。
アッシュは隙をついて一方の敵の背後へと回り込んだ。敵の背へとスティレットを突き込み、剣身の根元まで深く刺した。が、敵に損傷による弱体化は見られない。
むしろ勢いを増したように体を振り回しはじめた。アッシュは弾き飛ばされ、床の上を転がる。止まることなく跳ね起きた、瞬間。2体の剣型が揃って《テレポート》を使って2方向からこちらに飛びかかってきた。
ソードブレイカーで一方を受けつつ、もう一方の攻撃を回避するか。しかし、勢いに乗った敵の攻撃を回避できるか。
そうして逡巡するうち、一方の剣型の側面へと燃え盛る火球が衝突した。クララの《フレイムバースト》だ。衝突とともに轟音を響かせ、もう一体の剣型も巻き込んで弾き飛ばした。
どちらも体勢を崩したものの、大きな損傷はない。
ただ、魔法を受けたからか、標的をクララに定めたようだ。体の向きを彼女へと変えていた。
《テレポート》で移動されれば瞬く間に詰められてしまう。が、そうはならなかった。横合いから1体にレオが盾で体当たりをかまし、もう1体にはラピスが槍を突き刺さしたのだ。
どうやら2人とも槍型を倒したらしい。
それどころか弓型の姿もない。
アッシュは瞬時に状況を把握し、走りだした。レオによって弾かれた敵へと接近。ソードブレイカーで剣を押しのけた。強引に懐へともぐり込み、無防備な胸元へと体ごと押し込む格好でスティレットを刺し込んだ。
感触は悪くない。
だが、この一撃で倒せないことはわかっていた。
苛立ち混じりに足裏で敵の体を蹴りつけ、スティレットからはがすようにして突き飛ばした。フラついた敵の首へとレオが背後から長剣を突き刺し、抉るようにして破壊する。
鉱物が砕けたような音を鳴らして敵の首が落ち、転がる。と、ようやく敵は消滅を始めた。視界の端では、もう一方の敵もラピスとルナによってちょうど倒されていた。
広間から敵がいなくなったのを機に、奥の壁の一部分が重厚な音を鳴らしてずれた。現れたのは人が3人並んでとおれるほどの通路。おそらくあれが次の道で間違いないだろう。
アッシュはだらりと両手を下ろした。悪い方向へと昂ぶりだした気持ちを落ちつかせんと大きくを息を吐いたのち、近くに立つレオへと声をかける。
「悪い、処理が遅れた」
「2体を相手にしてたんだからしかたないよ」
予想どおりの優しい言葉が返ってきた。
誰よりも厳しい条件の中、戦っていたのだ。責められることはないとわかっていた。ただ、それでも〝自分はもっとできる〟という思いがあった。
――これは自惚れではなく、事実だ。
「アッシュくんっ」
駆け寄ってきたクララが不安げな顔を向けてきた。
アッシュは柔らかな笑みを浮かべて迎える。
「さっきは助かったぜ、クララ」
「う、うん。でも大丈夫? 怪我してない?」
「問題ない」
両手を軽く持ち上げて無事であることを示した。
よかった、とほっと息をつくクララ。そんな彼女を見たおかげか、ようやく心の底から毒気が抜けたような気がした。
「それより急ごう。すぐに湧くかもしれない」
言って、アッシュは次なる道へと足早に歩きだした。





