◆第十二話『この島で得られたもの』
振り返ると、頬の赤らんだラピスが立っていた。
ただ、なにやら足がふらついているし、目がうつろだ。
「ラピス……って酔ってるのか?」
「酔ってないわ」
きりりとした顔で即答された。
見れば、彼女の手にはカップが握られていた。
一見してジュースのようにも見えるが……。
取り上げて試しに一口飲んでみる。
と、やはり果実酒だった。
ジュースと間違えて飲んだか、あるいは強がって飲んだか。どちらかはわからないが、いずれにせよ彼女が酔っているのは間違いなかった。
アッシュは呆れつつ、両肩を掴んでそっと近くの椅子に座らせた。そばで見ていたヴァネッサがくすくすと笑みをもらす。
「あのラピスがずいぶんと可愛らしくなってるじゃないか」
「酒、弱いみたいでな」
「アッシュ、余所見しないで」
ラピスの拗ねた声が飛んでくる。
周囲で見ていた者たちから笑われる中、アッシュはため息をつきながらラピスへと視線を戻した。
ラピスは酔うと、素直なうえに甘えたがりになる。たしかに可愛くはあるが、厄介でもあるのは否定できなかった。
こちらの胸元を右手でぎゅっと握ってきたかと思うや、潤ませた瞳を向けてきた。
「ティターニア、欲しかったの……」
「それに関しては悪かった。でも、チームのためには――」
「わかってる。わかってるけど諦められないの……」
かすれた声で心情を吐露するラピス。
どうやらこちらが思っていた以上にラピスの《ティターニア》シリーズへの想いは強いようだった。なんとかしてあげたい気持ちはやまやまだが、すでにオークションは終わっているし、どうにもならない。
どうしたものか、と頭を悩ませていた、そのとき。
たたたっ、と走ってきたキノッツが飛び込むようにしてラピスの向かいの椅子に座った。テーブルにばんっと艶やかな緑の宝石を置く。それは先ほどオークションで彼女が落札したばかりの《ティターニア》シリーズ一式と交換できる宝石だった。
「はは、これはちょうどいいね! 《ティターニア》シリーズ、1500万ジュリーなら売るよ!」
「買うわっ!」
すぐさま意気盛んに返答するラピス。
その突然な流れに一瞬混乱してしまったが、冷静に考えれば認められないやり取りだ。
「いや、それはだめだろ」
アッシュはそう待ったをかけた。
どうしてとばかりにキノッツから怪訝な顔を向けられる。
「転売禁止なんて約束はなかったはずだろ?」
「だからって競り落とした直後に転売する奴がいるかよ。しかも参加者の前で堂々と」
「でも、裏でこそこそやるよりはいいと思うけどね」
「たしかにそうかもしれないが……」
大型がすぐには湧かないことを考えれば、200万ジュリーを上乗せされても欲しいのが本音だ。しかし、体裁的に欲しいとは言えないのが現状だった。参加ギルドのマスターたちへと目で是非を問いかける。
「まあ、俺たちはどっちにしろ使わない装備だからな」
「悔しいが、あんたたちがいなけりゃ敵わなかったことだしね。いいんじゃないか」
「ファミーユはもとからアッシュさんたちの力になれたら、と思って参加したので」
ベイマンズに続いて、ヴァネッサ。そしてウィグナーから意外にもあっさりと了承を得られた。残るアルビオンのマスターであるシビラはというと――。
「うちのキノッツが本当にすまない……本当にすまない……」
頭を押さえながらまるで呪文のように周囲へと謝罪していた。
合同討伐の際に決めた条項こそ破っていないが、キノッツの行動は参加者の不満を煽るようなやり取りだ。秩序を重んじる彼女が後ろめたく思うのは無理のないことだった。
参加者たちから理解を得られたのなら購入しても問題はないだろう。ただ、ひとつ気になることがあった。
アッシュはキノッツと同じくアルビオンに所属するリトリィを見やる。
「いいのか? 欲しがってただろ」
「キノッツさんが個人の儲け第一なことはよく知っていますから」
苦笑しながら応じたリトリィを見て、キノッツが胸を張る。
「理解あるギルドメンバーだろ?」
「購入する側として言えたことじゃないが、ほんと大切にしてやってくれよ」
「もちろんさ」
屈託のない笑みを浮かべて答えるキノッツ。
したたかというかなんというか、本当に食えない相手だ。
「……どうしよう、アッシュ。900万ジュリーしかないわ」
テーブルの上に置いたガマルの頬を指先でつつきながら、ラピスが悲しげに訴えてきた。静観していたクララやルナ、レオが歩み寄ってきて声をあげる。
「あたし、出すよっ」
「もちろん、ボクもね」
「足りない分は僕が出すよ」
「みんな、ありがとうっ」
普段なら絶対にしないような、眩しい笑みで礼を口にするラピス。クララとルナが揃って「可愛い」と面食らっていた。
オークションの落札価格は、オベロンの腕輪とティターニアシリーズで4300万。ほかに属性石やら交換石をまとめたものが100万。さらに通常で100万ジュリーほどが落ちたので、今回の合同討伐で得られたのは合計で約4500万ジュリー。
参加者51人なのでひとりあたりの分配金は約88万ジュリー。そんな凄まじい額が配当されたこともあり、なんとか1500万に到達。《ティターニア》シリーズを購入することができた。
ほかのギルドに借りができた形だ。
また討伐することがあれば今度は譲らないといけないな、とアッシュは思う。
「次回からは転売禁止も条項に入れることだね」
キノッツが口の端をにっと吊り上げながらそう忠告してきた。
その裏では、いまもなおシビラが「みな、本当にすまない……」と謝罪の言葉を口にしている。他人事ながら本当に大変そうだ。
「アッシュ~、見てみてっ! てぃたーにあっ」
「ああ、よかったな」
酔いが冷めたときにラピスがいったいどんな反応をするのか、いまから楽しみでしかたなかった。
そうして子どものように浮かれるラピスをよそに、アッシュはキノッツへと問いかける。
「どうしてそこまで金を集めるんだ?」
「ん~? 単純にお金を集めるのが好きなだけだよ。まあ、強いてあげるなら……そうだね。戦闘じゃ一番になれないから資金だけでは一番を目指そうと思ってるかも」
丸々と太ったガマルの腹をぷにぷにと両の親指で触りながら、答えるキノッツ。わずかに寂しげな顔を見せたのは、きっと気のせいではないだろう。
「ちなみにいくら持ってるんだ?」
「教えないよ。でもま……億は超えてるかもね」
そう答えたのち、キノッツは席を立った。
そばに置かれていた串焼きを1本手に取ると、「用事も終わったし、先に帰らせてもらうよ~」と言い残してひとり去っていった。
所持金が億を超えている。
本当かどうかはわからないが、なんとなく本当な気がしてならなかった。
「そりゃ勝てないわけだ」
今回、なにもかもキノッツの掌の上で踊らされた気はするが、得られたものが大きいことはたしかだった。
アッシュは席を立ち、ログハウスの壁に背を預けた。庭でいまも騒いでいる参加者たちを視界に収めながら、持ってきたエールを口に運ぶ。
と、ルナとクララが歩み寄ってきた。
同じ光景を見ようとしてか、2人がなにも言わずに両脇に並ぶ。
「少し前じゃ考えられなかった光景だね」
「みんな、アッシュくんを中心に集まってるんだよ」
島にくる前はべつにひとりでもいいと思っていた。
それがいつしかいまのメンバーとチームを組み、そして色んなギルドの挑戦者と交友を持つようになっていた。
この現状が塔への挑戦に影響するかどうかはわからない。ただ――。
「アッシュの兄貴! なにしてんすか! こっちに来て飲みましょうよ!」
「いいえ、アッシュさんはこちらへ! このオルヴィがもてなしますわっ」
以前よりも見える景色が広がっていることは間違いなかった。
アッシュは手に持ったエールを一気に飲み干した。
両隣にいたクララとルナと顔を見合わせたのち、声をあげる。
「おう、いま行くっ!」





