◆第七話『2つの蕾』
攻撃すべきか、様子見すべきか、
そんなことを悠長に考えている暇などなかった。
2つの蕾が頭部の口をすぼめたかと思うや、同時に空へと鱗粉らしきものを吐きだしたのだ。向かって左側の蕾から噴出された鱗粉は紫色、右側からは黄色とどちらも見るからに体に有毒そうな色をしている。
頭上の空間を埋めつくした鱗粉は左側が紫色、右側が黄色と綺麗にわかれていた。きらきらと煌きながら広間全体にゆっくりと舞い落ちてくる。回避の余地はなく、触れるまでそう時間はない。
ベイマンズが見上げながら叫んでいた。
「左は毒か!?」
「たぶんな! 全員、左側に移動してくれ!」
毒とわかっているなら対応がしやすい。
逆に不確定要素である黄色の鱗粉は避けるのが無難だ。
ただ、効果だけは把握しておきたい。
「俺は右側の効果をたしかめる! オルヴィ、もしものときは頼む!」
「このオルヴィ! 常にアッシュさんを視界に入れてますからご安心くださいっ!」
張りのあるオルヴィの声が飛んできた、そのとき。
舞っていた鱗粉が広間全体へと覆いかぶさった。触れた黄色の鱗粉が体に付着する。と、わずかな間を置いて一気に体がしびれはじめた。辛うじて動かせはするが、かなり鈍くなっている。
「麻痺か……っ!」
戦闘に支障をきたすほどだ。
とてもではないが、これを受けるのは得策ではない。
近場で待機していたオルヴィが自身に《ピュリファイ》をかけていた。やはり左側の区画に舞い落ちた紫色の鱗粉は毒だったようだ。彼女は駆け寄ってきたのち、そっと体を支えてくれる。
「も、申し訳ありません。麻痺を解除する魔法はなくて……」
「検証に乗りだしたのは俺だ。気にしないでくれ。それより――」
毒の鱗粉による挑戦者への被害はクララやロウ、リトリィたちの《ピュリファイ》によってすぐさま解除されている。が、問題は足場に付着した毒の鱗粉だった。
「小さな穴が空いてる!」
「この鱗粉でも溶けるっぽいぞ!」
足場の大きな葉に無数の穴が空いてしまっていた。まだ落ちるほどではなさそうだが、また蕾から鱗粉が吐かれたら足場が崩れて一巻の終わりだ。
「全員で左側の蕾に集中攻撃! 一気に落とすぞ!」
前衛組が駆けだす中、魔術師たちによる攻撃が毒の蕾へといち早く命中。《フレイムバースト》が主体とあってけたたましい爆音が響く。だが、煙が晴れたとき、蕾にはいっさいの傷がついていなかった。
毒の蕾だけの可能性を考慮してか、ロウがすかさず麻痺の蕾へと《フレイムレイ》を放つ。が、触れる直前で光の膜によって弾かれていた。妖精女王が纏っていたものとまったく同じだ。
「魔法無効化かっ!」
魔法耐性の高い妖精相手だ。
この可能性は充分に考慮していたが、いざ直面してみると厄介なことこのうえない。
視界の中では、すでに接近した前衛組による毒蕾への攻撃が始まっていた。とても植物の肌を攻撃したとは思えない金属音が響いている。
「ありがとう、オルヴィ。もう大丈夫だ」
アッシュはオルヴィから離れるなり駆けだした。
まだしびれは残っていて万全ではない。
ただ、戦闘はできる程度まで回復している。
前衛組に合流後、スティレットで早々に一撃を加えた。やはり相当な硬さだ。かすかに削る程度しかできない。
と、蕾がふくらんだかと思うや、ぼんっと音を鳴らした。見上げた先、上部の口からまたもや鱗粉を吐きだしていた。毒と麻痺の鱗粉が再び広間に降り注ぐ。
先ほどと同様に《ピュリファイ》によってすぐさま挑戦者にかけられた毒は取り除かれたが、足場の葉はそうもいかない。
1度目で開けられた穴の間を埋めるように2度目の鱗粉が降り注ぎ、穴がさらに大きくなっていた。場所によっては崩れ落ちている箇所もある。
「3度目を吐かれたら終わりだぞ! 急げ!」
アッシュは喉が痛むほど叫んだ。
全員が一心不乱になって眼前の蕾へと攻撃しはじめる。
損傷具合によって変わるのか、蕾の色は下部から上部へと向かう格好でどんどん赤味を増していた。やがてその赤味が上部の口もとへと達した、瞬間――。
きぃぃぃ、と耳鳴りに近い奇声が毒の蕾からあがった。破裂を警戒し、前衛組が後退する。が、蕾は破裂することなく急激にしぼみ、まるで腐ったように消滅した。
「次は麻痺のほうを――」
アッシュは出そうとした指示を途中で止めた。
妖精王と妖精女王たちが躍り出てきたのだ。
なにかをしかけてくるかと思いきや、彼らはその場でくるりと横回転。瞬くうちに全身を無数の燐光と化し、近場で停止していた茨の巨人へと飛び込んだ。
妖精王たちの燐光を得て、息を吹き返したように茨の巨人が動きだした。これまでなかった頭を埋めるようにぽんっと生えた緑の球体には、まるで王を示すかのような小さな薔薇を連ねた王冠が乗っている。
茨の巨人はそばに残っていた蕾に左手を突っ込むや、接合してしまった。持ち上げられた蕾の尻部分がうねり、ぱかっと開く。
「避けろぉおおおおおッ!」
アッシュは誰よりも早くに動きだし、敵の足下へと飛び込んだ。《ゆらぎの刃》を使ったのか、身を投げるようにしてシビラも遅れて飛んでくる。が、後続はそこで途絶えた。
振り返った先、視界を埋め尽くすほど大量の麻痺粉がまかれていた。先ほど降り注いできたときとは比べ物にならないほど過剰な量だ。
やがて麻痺粉の噴射が終わった。
視界が晴れ、片膝をついた挑戦者たちの姿が映り込む。
敵が蕾のない右手を払うようにして繰りだした。レオがなんとか盾を押しだす格好で構えるが、そばにいた前衛組もろともなすすべなく弾き飛ばされてしまう。
敵が残った前衛組や後衛組へと目標を定め、さらなる払いの一撃を加えんとした、そのとき。遮るように長髪をなびかせた挑戦者が割り込んできた。
ヴァネッサだ。
彼女には《ウェディング・ベール》と呼ばれる、あらゆる行動不能系の攻撃を無効化する血統技術がある。麻痺粉を受けてただひとり無事だったのもそれが理由だ。
「ぐっ……!」
「ヴァネッサッ!」
自慢の大剣で敵の攻撃を受け止めた、ヴァネッサ。だが、防げたのはあくまで一瞬だった。耐え切れずに遠くへと弾き飛ばされてしまう。彼女のおかげで威力は半減したものの、ほかの味方も勢いよく弾かれてしまう。
すでに半壊状態だ。
もはや残された選択肢はひとつしかない。
その結論に至ったとき、シビラから切羽詰った声が飛んできた。
「このままではっ」
「一旦撤退だ! シビラは待機部隊と一緒にみんなの撤退を手伝ってくれ!」
「アッシュは!?」
「こいつを引きつける!」
アッシュは敵へと属性攻撃を放ちながら、味方のいない左方へと駆けだした。ぐぐぐ、と音をたてておもむろに敵が体の正面をこちらに向けてくる。両腕で払いや突き。さらには槌のような振り落としを見舞ってくる。
敵の予備動作が大きいこともあり、回避に専念すれば避けられる。が、麻痺を受けた影響か、かすかに体に違和感が残っていた。加えて足場のあちこちに穴が空いていることもあってすさまじく窮屈な感覚に見舞われていた。
すでに広間には待機部隊が駆けつけてくれていた。味方の撤退は順調に進んでいる。あと少しだけ敵を引きつけられれば――。
そう思ったとき、敵が左手に装着した蕾から麻痺粉を飛ばしてきた。人を10人まとめて包めそうなほどの大きな球形だ。アッシュは身を投げるようにして躱す。が、さらに飛んできた麻痺粉の球の一部が両脚に付着してしまった。
「ちぃっ」
脚に上手く力が入らず、その場にくずおれてしまう。はいずって逃げる間もなく敵の右手による突きが飛んでくる。もう避けられない。
覚悟して受けの準備を始めた、瞬間。
横合いからなにかに突き飛ばされた。
次いで聞こえてきた、ひどく重い衝撃音。
アッシュは勢いが止まるなり顔をあげる。
と、先ほどまでいた場所に巨体の挑戦者が立っていた。
ソレイユの幹部――ドーリエだ。
野太い咆哮をあげながら、彼女は右手に持った巨大なメイスで敵の拳をがつがつと攻撃し、退けた。肩越しに振り返り、たくましい顔を向けてくる。
「あとは任せなっ!」
「……ドーリエ! 助かる!」
アッシュはすぐさまはいずって自力で後退を始める。と、小さな手と細い腕によって体が持ち上げられた。顔を上げた先、そこにいたのはキノッツだった。
「ほら、掴まんな」
「……キノッツ、悪いな」
「気にする必要はないよ。こっちは裏方で楽させてもらってるからねー」
戦闘中とは思えない呑気な声で応じたのち、えっほえっほと懸命に歩くキノッツ。
身長差があまりに大きすぎるため、腰から下をほぼ引きずる格好となっていたが、こちらは救助される側だ。文句は言えなかった。
それからほぼ全員の撤退が完了。
最後に残ったドーリエが緩やかに後退し、飛び込む格好で蔦の門をくぐった。
直後、蔦の門を塞ぐように青い光の壁が張られ、近場まで迫っていた茨の巨人が諦めたように背を向けて後退を開始。まるで何事もなかったかのようにその姿を消した。いつの間にか穴だらけだった足場も塞がっている。
なにもかも元通りとなった妖精王と妖精女王の庭。
その光景を前に参加者全員が戦闘終了とともに敗北を受け入れた。





