◆第五話『昇るために』
「今日はやけに賑やかだねぇ」
「あんなことがあったあとだからな。しかたないだろ」
アッシュはヴァネッサと行きつけの酒場を訪れていた。
こん、とカップをかち合わせ、互いにエールを喉に流していく。
少なくない数を飲み交わした仲だからか。
こうしている時間さえもひどく落ちつけた。
ヴァネッサがカップを置くなり、そっと訊いてくる。
「アッシュはあの特別措置をどう見てる?」
「ただでさえ変わった仕組みのある塔だからな。ああいうのがあってもべつにいいんじゃないかって感じだ」
ただ選択肢が増えるだけだ。
とくに悪いことはない。
アッシュは置いたカップを指で軽く小突いた。
「話題になってた60階を攻略した挑戦者のみってのはたしかに残酷な気もするが……それがなかったらメンバー選びの重要性も薄れそうだからな。ま、60階は妥当だろう。それにアイリスが言ってたことにも頷ける」
「神が求めてるのは100階に到達できる挑戦者。そこに近いものほど優遇されるのは当然と言えば当然、か」
ヴァネッサはしみじみそう口にすると、ぐいとエールをあおった。ごくごく、と音にあわせて彼女の喉が大きくうねる。豪快ながらそこに粗雑さはなく、むしろ上品とさえ思えた。
ふぅ、と息を吐いたのち、彼女は続きを語る。
「頂に辿りついて願いを叶えたい……そんな挑戦者の欲望を食らってるのかと初めの頃は思っていたが、最近は神にも目的があるんじゃないかと思うようになったよ」
「実際そうだと思うぜ」
「やっぱりあんたもそう思うかい。ただ、大きな矛盾があるね」
100階に挑戦者を到達させたいなら、あれほど強力な魔物を配置する必要がない。もっと言ってしまえば5人という制限を設ける必要がない。ほかにも幾つかあるが……。
いずれにせよ神アイティエルが、挑戦者に明かしていないなんらかの目的をもって塔を創ったことは間違いないだろう。
「ま、昇ってみてのお楽しみってやつだ」
「ほんと、あんたを見てると羨ましくなるよ」
ヴァネッサが穏やかな笑みを浮かべながらも、どこか遠い目をしていた。
アッシュは覗き込むようにして彼女の目を見つめる。
「リセット、するつもりなのか?」
その問いにヴァネッサが驚いたようにまぶたを跳ね上げた。
一瞬目をそらしたのち、ばつの悪そうな顔で苦笑いする。
「…………よく気づいたね」
「あの話を聞いたあとの顔を見て、そうなんじゃないかって思ってな」
ヴァネッサとはいまや飲み友として深い付き合いをしている。心のすべてを見透かすことはできないが、顔の変化からなにを考えているか予想するぐらいはできる。
「実はあの話をミルマを介して持ちかけたのはあたしなんだよ」
「……さすがにそこは予想できなかった。よく受けてもらえたな」
「駄目もとだったからね。驚いたのはあたしも同じだ」
塔に関する仕組みが変更されたなんてことは、いままでにあったという話すら聞いたことがなかった。それほどまでに特異な出来事だ。驚くのも無理はない。
「まあ、さっきも話したが神は挑戦者が100階に到達することを望んでる。挑戦者と一緒にこの島自体も成熟して頃合だと思ったのかもな」
もしくはなんらかのトリガーを引いたか。
その可能性も少なからずあるのではないかと思った。
「ん……ってことは誘う相手はもう決めてるのか?」
「実現するかわからないうえに、いまの等級じゃ相手がいないからね。受け入れられたら探すつもりだった」
レッドファングのベイマンズたちとは同等級だが、3人同士のため合流すれば1人あふれてしまう。そもそも犬猿の仲とあってまず実現しない組み合わせだ。
シビラたちのところも3人のため、合流はできない。そもそもシビラ1人だけが9等級でもう2人は8等級と状況が複雑だ。ニゲルが起こした問題のこともあって合流するイメージがまるで湧かなかった。
ふとヴァネッサが顔を俯けた。
悔しげに下唇を噛み、カップの取っ手を強く握る。
「ただ、ここまで3人でやってきたって意地がいまだに邪魔してる。希望した身でなにを言ってるのかと思われるかもしれないけどね」
「……珍しいな。ヴァネッサがそこまで悩むなんて」
「あたしをなんだと思ってるんだ」
「島の女たちを守る格好いい女だ」
「ったく、よく言うよ」
嘆息したのち、互いにカップを傾ける。
が、ヴァネッサのほうはもう空っぽになっていたようだ。
すぐになくなるのはいつものことで予め多めにテーブルに運んでいた。そのうちのひとつをヴァネッサが掴んで口元へ運ぼうとする中、アッシュは言う。
「ま、どっちを選んでも俺は応援するぜ」
「それはなによりも心強いね」
ふっと笑って2杯目のエールを喉に流しこんでいくヴァネッサ。酒のせいか、その頬はほんのりと赤らみはじめている。相変わらず見惚れるほど気持ちのいい飲みっぷりだ。
「けど、そうなるとちょっと予定を変える必要があるかもな」
「予定ってなにかあるのかい?」
「いや、妖精郷の奥に大型レア種がいるって言われてるだろ。それを知り合いのギルドに声をかけて討伐しにいこうと思ってさ」
アッシュはそうさらっと説明する。
と、ヴァネッサがきょとんとしていた。
「またえらいことを考えてるね。ほかのギルドって言うと……」
「アルビオンやレッドファングだ。あとレオのファミーユもな」
ヴァネッサが思案するように少し黙り込んだのち、再び口を開く。
「そういうことなら参加させてもらうよ。大体、まだ相手も探せてない状態だ。今日明日にリセットするってわけでもないしね」
「それは助かる。ヴァネッサたちの戦力には期待してたからな」
いまでは8等級で詰まっているヴァネッサチームだが、仲間さえ見つけられれば必ず9等級に到達できる実力の持ち主だ。彼女たちの参加は心強いことこのうえない。
「にしてもアルビオンとファミーユはいいとして……レッドファングか」
「やっぱきついか?」
「アッシュの誘いだ。うちの子たちも喜んで参加するだろうが、上手くいくかは知らないよ。なにしろ荒い男たちが嫌いだからねえ」
「そこらへんはまあなんとかなるだろ」
7等級まで到達できた挑戦者たちだ。狩りさえ始まれば、下手ないざこざなど起こさず戦闘に集中してくれるだろう。…………と思いたい。
「とりあえずほかのギルドの幹部も集めて会議だな」
ヴァネッサたちがリセットを考えている状況だ。
明日にでも行動を起こし、討伐へ向けての会議を早々に開くべきだろう。
そうして今後の予定を決めるやいなや、アッシュはぐいと勢いよくエールをあおった。





