◆第一話『緑の塔80階・リントヴルム』
稲妻が雨のように降り注いでいた。
床を叩くたびに耳をつんざく音を轟かせ、辺りに激しい明滅を届けている。
アッシュは稲妻から逃れんと全力で駆けながら視線を上げる。
そこには、この緑の塔80階の主。
リントヴルムが猛然と翔け回っていた。
角ばった翼で持ち上げられたその身は細長く、蛇に酷似している。もっとも特徴的なのは、その尾。まるで矢尻のような形状をしており、触れれば容易に肌が抉られそうなほどの鋭さを持っている。
突如として一筋の赤い光が空へと迸った。
それは敵の腹へと命中すると同時、腹まで届くほどの重い音を響かせて炸裂した。さらに次々と赤い光が空へと上がり、とめどなく敵の腹を叩く。
あれはルナによる9等級弓の赤属性の特殊攻撃だ。
効果は対象に命中と同時、爆発するというもの。
単純だが、それゆえに圧倒的な威力を誇る。
敵が体をうねらせながら悲鳴のごとく呻き声をあげた。呼応するようにその身が眩く煌き、ついには白い発光体と化した。
狂騒状態に入った合図だ。
アッシュは叫ぶ。
「全員、レオのところに!」
今回で挑戦は2度目。
次にくる攻撃も経験済みだった。
敵が両翼を広げて哮ると、天井を埋め尽くすように幾つもの魔法陣が描かれた。その中から人と同程度の大きさを持つ角ばった岩石が顔を出しはじめる。
広間の中央に陣取ったレオのもとへと全員が集合しおえた、そのとき。
頭上を埋め尽くした魔法陣から岩たちがその身を一斉に放った。逃げ場はないとばかりに壁のごとく襲いくる岩石の群れ。
――前回、壊滅状態にまで追いやられた攻撃がここから始まる。
「ルナはそのまま敵に集中! クララは岩の破壊を頼む!」
岩の隙間を縫って執拗に敵へと矢を射続けるルナ。
そのそばでクララが指示に応じて岩石の迎撃へと当たっていた。
放たれたのは《フレイムバースト》。威力は申し分なく岩石を破壊するが、飛び散った無数の破片がこちらに向かってきていた。
「アッシュくん、ラピスくん!」
「ああっ!」
「ええ……!」
後衛組に被害が及ばぬよう前衛組が揃って前へと出た。レオが盾を構える中、アッシュはラピスとともに属性攻撃を放って破片を迎撃していく。
頭上に描かれた魔法陣からはなおも追加で岩石が降り注いできている。先と同様に迎撃するが、あまりに岩石の破片が多く、すべてを破壊するには至らなかった。幾つもの礫が肌をかすめ、血が飛び散っていく。
永遠にも感じたその時間が終わったのは敵がひと際大きな金切り声を上げたときだった。おそらくルナの執拗な攻撃が効いたのだろう。発光していてもはっきりとわかるほど敵の体のあちこちに傷が見える。
ようやく上方に描かれていた魔法陣が消えた。
だが、試練の間を照らす光は弱まるどころか強くなっている。敵がその身をさらに強く光らせながらくねらせた。まるで引き絞るようにその長い体を縮めている。
「全員、散開ッ!」
そう叫んだ、瞬間。
敵が弾かれたように向かってきた。
その姿はまさに流星。
おそらく触れれば命が潰えるどころか骨すらも残らない。
アッシュはラピスと安全圏まで辿りついたのち、振り返る。視界の中では、先ほどまで全員が立っていた床に敵がちょうど激突するところだった。
けたたましい衝突音に似つかわしく床が大きく抉れていく。敵の勢いは留まることなくその先の壁に激突し、さらなる凄惨な光景を作り上げていた。
アッシュは思わず戦慄しそうになるが、気持ちを奮い立てるように踏み出した。傍らでその場に踏みとどまったラピスへと叫びながら敵へと向かう。
「ラピス、頼む! ここで決めきるぞ!」
「ええ、任せて!」
長引かせれば確実に削りきられる。
ゆえに、この瞬間に勝負を決めると事前に話し合っていた。
ラピスが《限界突破》の準備に入る中、アッシュはいち早く敵へと飛びかかった。激突の衝撃のせいか、敵がゆったりと振り返ったところ、頭部の口先を足蹴に眉間へとスティレットを突き刺す。
敵が悲鳴をあげながらこちらを振り落とさんと上下に頭部を振りはじめた。アッシュは振り落とされまいとソードブレイカーを敵の右目へと刺し込み、体を固定する。
レオも辿りつき、敵の顎を下から剣で突き刺していた。ルナとクララも敵の両翼へと攻撃をしかけている。こちらの猛攻に敵の抵抗も激しくなり、接触が限界近くなってきた、瞬間――。
「アッシュ、レオ! 退避ッ!」
飛んできたルナの声に応じて、アッシュはレオとともに敵から離れた。入れ替わる形でラピスが敵へと雷光のごとく速度で突っ込んでいく。
敵が迎え撃たんと大口を開け、その鋭い牙を見せる。が、構わずにラピスは槍の穂先をその口先へと押し込んだ。
ウィングドスピア特有の穂の根元につけられた突起すらも無視して、柄のほとんどが突っ込まれた。敵の身が勢いよく壁に押しつけられ、広間に轟音を響かせる。相変わらずの凄まじい威力だが――。
敵はまだ生きている。
アッシュはいまにも倒れそうなラピスを抱き上げ、即座に離脱する。
「クララッ!」
「うんっ!」
すでに用意していたのだろう。
クララが突き出した右手の先、描かれた特大の魔法陣から火球が飛び出した。《ファイヤーボール》とも《フレイムバースト》とも違う。
さらなる暴力的な炎を孕んだそれは《インフェルノ》。以前、赤の9等級階層で運よく巨体の天使から入手したものだ。
それは敵に触れた瞬間、正体をあらわにした。
一瞬にして敵の巨体をすべて包み込み、まるで波打つように激しく揺らめきながら炎が轟々と音をたてはじめる。
対象を喰らい尽くすまで決して燃え尽きないのではないか。そう思うほど敵がどれだけもがき苦しんでも解放することはなかった。
やがて助けをこうような敵の慟哭が終わった。
あれほど猛々しかった姿ももはや見る影もない。
ついには灰と化し、さらさらと空気に解けるように消滅していった。幾つかのジュリーとともにラピスの槍が床に落ち、からんからんと音をたてる。
全員が息をついた。
そこには敵を倒した安堵だけでなく、目の当たりにした《インフェルノ》の凄まじい威力への感嘆が含まれているのがありありと伝わってきた。
「見るのは2度目だが、ほんとすごい威力だな」
「うん、ちょっと使うのためらっちゃうぐらい……」
戦果を上げたクララだが、その顔は少し引きつっている。大方、誤って味方に当たってしまったときのことでも考えているのだろう。
「でも使わない手はないね。難点は《フレイムバースト》より速度が少し落ちることぐらいかな?」
「そうだね。どうにかみんなで足止めする方向がベストかな」
ルナに続いてレオが《インフェルノ》の攻撃方法について話しはじめる。そんな中、腕の中にいたラピスが胸辺りの服をぐいと引っ張ってきた。
「……アッシュ、そろそろ」
「ん、無理しなくてもいいぞ」
「わかってて言ってるでしょ……この体勢、恥ずかしいのよ」
綺麗な眉を吊り上げ、睨まれた。
2人きりのときと違って周囲の目が気になるようだ。
アッシュは笑いつつ彼女を下ろし、肩を貸す形に変えた。
「さてさて~、なにがあるかなぁ~っと」
浮かれた様子で戦利品を確認しはじめるクララ。
そのかたわらでルナがラピスの槍を拾いあげる。
「昨日で青も攻略したし、これで80階は3体目だね」
「白と黒もそのうち攻略しにいかないとな」
「だね。それでなにか突破口が開ければいいけど」
赤の塔81階を攻略してから20日。
あれから2階ほど進めたが、早くも行き詰っていた。
いまになってほかの80階に挑戦しているのもそれが理由だった。
「ま、とりあえず今日はこれで切り上げだ。みんな、おつかれ」





