◆第十二話『純粋な恋心』
赤の塔81階での狩りが続く中。
夕食の買出しのため、アッシュはクララと中央広場を訪れていた。そこでついでに委託販売所に寄ったところ――。
「う、売ってるぅ……っ!?」
クララが店内に響き渡るほどの大声をあげた。
なんだなんだと周囲の挑戦者が驚いている。
普段なら注目を集めれば身を縮めるクララだが、いまは興奮しているせいか、まったく意に介した様子がない。
「いきなりどうした?」
「売ってるんだよ。《サンクチュアリ》っ」
ぐいぐい腕を引っ張ってくると、びしっと指を指した。
その先の掲示板を確認すると、たしかに彼女が口にした品――8等級の白の塔で入手できる《サンクチュアリ》の魔石が売り出されていた。
「でも430万ジュリーだって……た、たかすぎ……」
「低価格の装飾品並みだな……」
たしかに高い。だが、8等級の魔石自体、ほとんど売りに出ないため、相場があってないようなものだった。
おそらく出品者はヴァネッサたちか、ベイマンズか。もしくはシビラたちのチームだろう。知り合いとあって値下げ交渉もできるかもしれないが……。
すでにクララがどれだけ欲しがっているかを周囲の挑戦者に知られてしまった。
挑戦者の中には常に相場を確認し、転売する者がいる。いまも店内の幾人かは委託販売所でよく見かける顔だった。少しでも悩む時間を与えれば、購入後、吊り上げて出品しなおされる可能性がある。
アッシュはすかさず《サンクチュアリ》の出品を手に取った。途端、視界の端で少なくとも2人の挑戦者が顔を歪ませていた。
安堵しつつ、クララを端に寄せて話す。
「半分なら出すぞ。なんだったら全部出してもいい」
「え、ええ。それは悪いよっ」
「これまでと違って9等級だと自力で出すしかないし、ジュリーが余るだろ。だったらその分を魔石に回したほうがいい」
剣型は800ジュリー。
弓型は850ジュリー。
と、天使1体から得られるジュリーはかなり多い。
最近では1日に150体近く狩ることもあり、低階層のときとは比べ物にならないほど資金の貯まりが早かった。ここで使ったところでまたすぐに貯まる。
だが、8等級以上の魔石はまったくといっていいほど出ない。430万ジュリーは決して安くはないが、価値的には損でないことは間違いなかった。
「で、でもあたしのだし」
「何度も言ってるが、仲間だろ。遠慮するな」
さすがに大金とあってか。
クララはなかなか頷こうとはしなかった。
「ったく、仲間で納得できないならもうひとつあるだろ」
「もうひとつ?」
「俺は兄代わりなんだろ。だったら少しぐらい甘えていいんじゃないか?」
あっ、とクララが思い出したようにぽかんとしていた。次第に綻んだ顔を隠すように顔を俯けると、もじもじとしながら言う。
「じゃ、じゃあ甘えちゃおうかな。でもでも、全部は悪いからできるだけ出すよっ。さ、300万ぐらい……」
「無理するな。半分でいい」
「う、うん」
以前もあどけないところはあったが、最近はよりその部分が表に出ていた。
アッシュは彼女の頭を少し荒めに撫でたのち、《サンクチュアリ》を購入せんと受付に向かった。
◆◆◆◆◆
「んふふ~……っ」
委託販売所を出たのち、市場へと向かっていた。
視界の中では、クララが赤みの差した空に掲げるよう《サンクチュアリ》の魔石を眺めていた。その足取りは浮いているのではないかと思うほど軽い。
「ご機嫌だな」
「だってずっと欲しかった魔法だもん。それに天使って《ヒール》にすごい反応するでしょ。でも《サンクチュアリ》なら回復力は下がるけど、そういうのないみたいだし」
クララが「それに」と言って振り返った。
後ろ歩きをしながら、こちらの顔を覗き込んでくる。
「……どうした?」
「ううん、なんでもないっ」
無邪気な笑みを残すと、またくるりと前を向いた。
気づけば目的地についていた。
市場と言われているものの、島外の都市と比べればこじんまりしている。
店舗数は6。野菜が多めで次点で魚。肉と山菜は少々といったところだ。それでもここを訪れれば大抵のものが揃うほどには充実していた。
「それじゃ、買い物してくるね」
「ああ。ここで待ってる」
ログハウスを購入してからというもの、クララはルナに料理を教えてもらうようになった。その一環として食材の買い出しも担うようになり、いまでは迷いなく頼まれた食材を購入するようになった。
初めて会ったときの、世間を知らなかった彼女とはまるで違う。
肩に触れるほどの髪を揺らしながら、楽しげに買い物をするクララ。その姿を遠目に見ながら、アッシュは思わず笑みをこぼした。
「――アッシュ?」
ふと覚えのある声が聞こえてきた。
振り返ると、そこに見知った顔が並んでいた。
「シビラ? と、リトリィだったか」
「ど、どどどどうも……」
あたふたとしながら頭を下げてくる。
と、あわせて両側で結われた髪がちょこんと揺れた。
彼女は最近、シビラと狩りをともにしている挑戦者だ。年齢は20歳程度とそう離れていない。だが、少しおどおどとしているせいか、クララに近いあどけなさがあった。
奇遇だな、とアッシュは言おうとする。
と、リトリィが「あっ」となにかを思い出したように声をあげた。
「わ、わたし、先に行ってますねっ」
「おい、リトリィ。まだなにを買うか――」
「安心してください。このリトリィ、味方の動きをしっかりと把握し、予測することには自信がありますので。ですからどうぞ、お二人はここでお話しでもしていてくださいっ」
言うやいなや、リトリィがシビラに顔を寄せた。
なにを耳打ちしたのか、シビラの顔が沸騰したように赤く染まった。
そのまま硬直したシビラから素早く離れると、リトリィは一礼をして市場のほうへと向かっていった。去り際、やりきった顔をしていたように見えたのは、きっと気のせいではないのだろう。
「きゅ、急にどうしたのだろうかっ。ま、まったく変な奴だな!」
そう声を張り上げるシビラは見るからに動揺していた。
なにを言われたのかおおよそ見当はつく。
が、触れないでいるのがきっと正解だろう。
「シビラたちも買い物か?」
「あ、ああ。リトリィをわたしの家に招待したから、そのためにな」
「もしかして料理できるのか?」
「得意というわけではないが」
控えめなわりに余裕があった。
おそらく思っている以上にできるのだろう。
ただ、これまで見てきたシビラの印象と料理がどうしても結びつかなかった。アッシュは思わず意外だという顔をしてしまう。
シビラが少しだけむすっとする。
「わたしだって少しはそういうことはできる」
「悪かった」
こちらが全面的に悪い。
降参のポーズをとって反省の意を示す。
と、シビラがはっとなったようにまぶたを跳ね上げた。目を泳がせ、そわそわとしたのち、意を決したように口を開く。
「証明するためにも、そ、その……今度よかったら、わたしの家に来ないかっ! あ、いや、無理にとは言わない! ただ、料理ができることをちゃんと証明しておかないと……」
本当にシビラは見ていて面白い。
剣を向けてきた――初対面のときの彼女にこの姿を見せたらいったいどんな反応をするだろうか。そんなことを思いながら、アッシュはくすりと笑みをこぼした。
「わかった。それじゃあ今度、頼むぜ」
◆◇◆◇◆
クララは早々に頼まれた品を買い終わった。
買出しをするようになってから少なくないときが経ち、慣れたこともある。
だが、それ以上に今日は《サンクチュアリ》を買えたことがなにより嬉しくて、自然と歩が早まってしまったのだ。
「アッシュく――むぐっ」
買い物が終わったことを報せようとした、そのとき。
突然、誰かに後ろから口を塞がれた。
「ご、ごめんなさい。ですがいまはなにも言わずにわたしに従ってくださいっ。こちらへ……っ」
謝罪の言葉が最初に出てきたからか。
それとも小さな手や可愛らしい声だったからか。
あまり脅威に感じることなく冷静でいられた。
クララは声の主に連れられるがまま通りの端へと向かった。路地裏まで入るつもりはないのか、入口に差し掛かったところで足が止まる。
「手を放しても大声を出さないでくださいね」
こくりと頷くと、あっさりと手が放された。
ぷはぁ、と息を吐いて吸い込む。
口を塞がれたのは初めてだったが、なかなか苦しかった。不満な気持ちを瞳に宿しながら相手のほうを確認する。と、クララは意外な人物を前に思わず目をぱちくりとしてしまった。
「たしか、アルビオンの……?」
「は、はい。リトリィと言います」
ジグラノやナクルダールとともに70階を突破した挑戦者だ。
話したことはないが、同じヒーラーなこともあり知っていた。以前、アルビオンが起こした騒動には参加せず、たしかいまはシビラと組んでいるはずだ。
リトリィは深々と頭を下げたのち、話しはじめる。
「いきなりこんなことをしてごめんなさい。ただ、少しだけでいいのです。わたしとここで身を隠していてくれませんか?」
「どうして?」
「シビラさんのためです」
「……シビラさん?」
なぜ彼女の名前が出てくるのか。
その疑問に答えんとしてか、リトリィが通りのほうを見やった。
クララは促されるがまま彼女の視線の先を追う。
と、アッシュの背中が映り込んだ。
向こう側には対峙する格好でシビラの姿が見える。
なにを話しているかは離れていて聞き取れない。
ただ、会話は弾んでいることはわかる。
それほどまでにシビラの顔が綻んでいた。
「シビラさんの気持ちは見てのとおりです」
「見てのとおりって……」
「アッシュさんが好きということです」
リトリィはなめらかにその言葉を口にした。
アッシュは人気がある。
彼に好意を持っている女性は少なくない。
同じチームのルナやラピス。
それに《ソレイユ》のユインやオルヴィもそうだ。
ただ、まさかシビラまでとは思いもしなかった。
「あなたはアッシュ・ブレイブさんにとって妹のような存在だと聞いています。そしてあなたもまた彼を兄のように慕っている、と」
「う、うん」
「でしたらシビラさんがアッシュさんの恋人になっても構いませんよね」
なぜそんなことを訊いてくるのか。
妹という立場もあって、アッシュにもっとも近い存在だと思われているのだろうか。そうだとすれば嬉しいことこのうえないが……。
ただ、どうしてだろうか。
恋人と聞いた瞬間、胸中でなにかが引っかかった。
アッシュに好意を抱く女性を見たのは初めてではないのに――。
以前、アッシュと話したいと思ったが、レオと飲みに出かけていて叶わなかったときがあった。あのときは急に込み上げてきた寂しさに我慢できなくなり、度を越したかなと思いつつも一緒にベッドで寝るなんてことをした。
あのときとも胸が痛かったが、いま感じている痛みはどこか違う。
胸のずっと奥底にまで届いて――もやもやとした気持ちをずっと溢れさせているような、そんな感じだ。
説明もつかない自身の感情に揺さぶられつつ、クララは改めて顔をあげた。そして映り込んだものを前に思わず顔をくしゃりと歪ませ、胸辺りの服をぎゅっと掴んでしまう。
ほんのりと赤らんだ頬に花開くような笑み。
シビラの顔は同じ女性から見てもとても可愛くて綺麗で――。
なによりどうしようもなく魅力的だった。
これにて【光輝なる軌跡】第一章終了。
次回から【光輝なる軌跡】第二章へと移ります。





