◆第七話『2人の関係』
クララはログハウスの湯船に浸かっていた。
浴槽の縁に両腕を預け、軽く下半身を浮かした格好だ。
体を洗い終えたルナが遅れて入ってきた。
ふぅ、と長く細い息を吐いている。
ルナの肌は特段に白い。
おかげで上気した肌がより際立って見えた。
と、ルナがこちらの髪に手を伸ばしてきた。
毛先の辺りを優しく持ち上げてくる。
「髪、ちょっと伸びてきたね」
「うん。また切ってもらってもいい?」
「いいよ。でも前にも言ったけど、クララの髪、伸ばしたら綺麗だと思うんだけどね。柔らかくて細いし」
「昔は伸ばしてたんだけど、一度切ってからは短いほうがしっくりくるようになっちゃって。そういうルナさんは伸ばさないの?」
「弓だとどうしても邪魔になるからね」
「そっかー。絶対似合うのにー」
「あはは。ま、いつかね」
いつか、とは五つの塔を制覇したらだろうか。
いずれにせよ楽しみだ。きっとすれ違う誰もが振り返るほどに人目を集めることは間違いない。その光景を想像するとなんだか自分のことのように嬉しくなった。
「クララ、最近ずっとご機嫌だね」
「そうかな~?」
「うん。さっきボクが体洗ってるときもずっと鼻歌を口ずさんでたしね。やっぱりアッシュを兄として見るようになったことと関係してたり?」
「してたりする……かもかも」
クララは体勢を戻し、ルナの隣に座った。
両脚を抱き寄せながら自身の肩を彼女の肩にぴとっとくっつける。
「ルナさんもラピスさんもね、一緒にいて安心するんだけど……なんかアッシュくんは違うんだよね。なんて言ったらいいのかな……近くにいて当たり前って言うのかな?」
「まあ、わかる気はするかも」
「でしょ」
「といってもクララみたいに兄って感じではないけどね」
「じゃあ、あたしだけだ」
思わず自慢げな笑みをこぼしてしまった。
ジュラル島で出会ってからというもの、アッシュがそばにいるのは当然だった。その感覚は遠い昔に味わった……両親の存在にとてもよく似ていた。いや、忙しさからほとんど構ってもらえなかったこともあり、両親より近く感じてすらいる。
そんなことを考えていると、顔が火照ってきた。
少し湯に浸かりすぎたかもしれない。
「ちょっとのぼせてきちゃったかも。先に上がるね」
「ちゃんと髪乾かすんだよ」
「はーいっ」
湯船から出てぺたぺたと足音を鳴らしながら浴室から出る。と、ちょうど脱衣所にラピスが入ってきた。互いに見合う格好になる。
「ラピスさん、ごめんね。後片付け任せちゃって」
「料理を作ってもらってるんだもの、当然よ。それに先に入ってって言ったのこっちだし、気にしないで」
言いながら、ラピスが服を脱ぎはじめた。
隣で衣擦れの音が聞こえる中、クララは用意していたタオルで体を拭く。
「あ、そだ。アッシュくん、まだ居間にいる?」
とくに用事があったわけではない。
ただ、風呂場でアッシュについて語ったからか。
いますぐにでも話したい気持ちが湧いていた。
そんなこちらの浮かれた様子を見てか。
ラピスが気まずそうに目をそらしたのち、少し不機嫌な様子で口にした。
「アッシュならさっき出かけたけど、これから変態と飲みに行くって」
「えぇっ」
◆◇◆◇◆
「よう、アッシュ! 調子はどうだー!?」
「最高だ。ただ最近は毎日死にかけてるけどな」
「なんだ、アッシュが来たのか! こっちのテーブル来いよ! 酒おごっから上の話聞かせてくれや!」
「おう、あとでなー!」
ログハウスでの夕食後。
アッシュは《喚く大豚亭》を訪れていた。
いまや店内には馴染みの顔しかいない。
そのせいか、ほかの酒場にはない居心地のよさがあった。
エールを片手にいつもの隅のテーブルに座る。
と、待っていたレオがカップをかちあわせてきた。
互いに無言で喉を鳴らしたのち、カップから口を離す。
「大人気だね、アッシュくん」
「ただ珍しい話でも聞きたいだけだろ」
「それに引換えボクときたら……」
「とりあえず上の服を着ろ。話はそれからだな」
「おっといつの間に」
ごくごく自然に馴染んでいる辺り、この店でどれだけレオが裸になっているかがわかる。同じチームのメンバーとして、また友人として今後も流されずにしつこく注意していきたいところだ。
レオが床に落ちた上着をのそのそと拾いなおす中、空いた席にどすんとべつの挑戦者が座った。
ぼさぼさの髪に豊かな髭をたくわえた中年男。
《喚く大豚亭》の看板娘――もとい象徴的存在のクデロ・ブリンドーだ。
「持ち場、離れていいのか?」
「ちょっと休憩だ」
言って、クデロは荒々しくカップをあおった。
エールが両端からわずかにもれ、その髭に多くの泡をつける。
「進展はあったのか?」
「な、なんのことだ」
「とぼけたって無駄だぜ」
クデロは店員のミルマに惚れている。
出入口の扉で豚の鳴き真似をしているのも、その弱味を利用されてのことだ。
「……なにもない」
「豪快な戦い方が嘘みたいに消極的だな」
「き、きさまに言われたくないわっ。あれだけの女を連れまわして、いまだ誰ともくっついとらんじゃないかっ」
痛いところをつかれてか、クデロが見るからに焦ったように声を荒げる。そんな中、ようやく上着をきなおしたレオが席に座った。
「アッシュくんにはその気がないんだよ」
「……真面目に代弁してくれるのは構わないんだけどな。どうして今度は下を脱いでるんだ」
「体温調節かもしれないね」
にこにこと返答するレオ。
もうわけがわからない。
クデロに至っては触れないことにしたようだ。
「ほら、あの小さな嬢ちゃんはどうした。いつも一緒にいるだろう」
「クララのことか。そんな関係じゃあない。第一、まだ子どもだ」
「子どもというほど幼くはないだろう」
「最近なんてお兄ちゃんなんて言われてるんだぜ」
クララに対して女性を意識することはそう多くはないが、ないわけではなかった。そんな中での「お兄ちゃん」だ。完全に妹扱いが定着した。
クデロが髭を指で撫でながら言う。
「ふむ、しかし女は男よりもマセてるらしいからな」
「そういうセリフは自分が踏み込んでから言えよ」
「ぐっ……」
「ほら、いま暇そうだぜ。話しかけてこいよ」
クデロは初めこそ渋っていたが、絶好の機会と思ったのか。気合を入れるようにエールを一気に飲みしたのち、勇んでカウンターに向かった。だが、クデロの接近を確認した店員のミルマが機先を制すように声をかける。
「クデロさん、いつものお願いできる? やっぱりあれがないとウチって感じがしないんだよね」
「そ、そうか。任せておけ!」
クデロは促されるがまま出入口の門に待機。見計らったように入店した客を「ブヒィイイイイイイッ!」と馴染みある豚の鳴き声で出迎えた。
さすがとしか言いようがない声量だが――。
「……だめだな、ありゃ」
◆◆◆◆◆
明日も狩りがあるため、エール2杯で切り上げてログハウスに帰ってきた。
すでに全員が寝ているようだった。
物音はなく、暗い空間だけが広がっている。
起こさないようにと静かに浴室で軽く体を洗い流したのち、アッシュは自室に戻った。装備の手入れはもう済んでいるのであとは寝るだけだ。
ベッドに寝転んで毛布を被ったときだった。
廊下から足音が聞こえてきた。
この洗練されていない足音はひとりしかいない。
さらにその人物はこっそりと扉を開け、中に入ってきた。
アッシュは半身を起こして問いかける。
「……クララか?」
「う、やっぱり気づかれてた」
目が慣れたこともあり、クララの姿をうっすらと確認できた。以前に購入したガマル枕を胸に抱きながら、ベッドのそばに立っている。
「どうした? なにかあったか?」
もじもじと居心地が悪そうにするクララ。
ガマル枕をぎゅっと抱きしめながら口元を隠すと、か細い声をもらした。
「……一緒に寝てもいい?」





