◆第一話『初の9等級階層』
「な、なんか緊張するね」
「そうか? 俺は楽しみでしかたないな」
「いつも言ってるけど、そんなのアッシュくんだけだよ……」
赤の塔80階の主。
アジ・ダハーカを倒してから3日後。
アッシュは仲間とともに赤の81階の入口を前にしていた。
全員が体を軽く動かしたり、武器を入念に確認したりと準備中だ。
端のほうではルナが壁に向かって試射していた。
相変わらず綺麗な姿勢だ。
その顔もまたすっきりしている。
思い悩んでいた数日前とはまったく違う。
ルナは試射を終えると、自身の手を見て満足そうに頷いた。
それからクララに晴れ晴れとした顔を向ける。
「実はボクも結構楽しみだったり」
「ええっ、ルナさんもなのっ」
裏切られたとばかりに眉根を下げるクララ。
そんな彼女へとさらに追撃が飛んでくる。
「ずっと先に進めなかったからわたしも新鮮で楽しみかも」
「僕もだ。なにしろあのニゲルたちが絶望したって難度だからね」
ラピスとレオも続いた。
クララが全員を見回したのち、よろめくように1歩、2歩と下がった。信じられないといった様子で顔を歪めている。
「い、いつの間にかみんながアッシュくんに毒されてる……」
毒されているとは人聞きの悪い。
アッシュはため息をつきつつ、ハンマーアックスを肩に担いだ。
「その怯え癖、いい加減克服しないとな」
「……あたしのこれはきっと性分なんだと思う」
「自分で言うなよ」
クララらしいと言えばらしい。
だが、いつまでもその調子でいられては困るというのが正直なところだった。
なにしろ挑んでいる塔は階が上がるにつれ難度が上がるのだ。それもこれから挑むのは、あの竜よりも強い魔物たちが跋扈している階層だ。
中途半端な心構えではいつ命を落とすとも限らない。
まじまじと見ていたからか。
クララが怪訝そうに首を傾げていた。
「ここまで上がってきたんだ。クララも自信持てよ」
「う、うん」
いまだ彼女からはあどけなさが抜けない。
あまり悠長なことは言っていられないが、今後の成長に期待するしかない。
よし、とアッシュは気持ちを切り替えた。
全員と顔を見合わせたのち、転移門のほうへと足を向ける。
「そんじゃ行くとするか……!」
◆◆◆◆◆
門をくぐった先に待っていたのは箱型の広間だった。
赤の塔とあってか、やはり壁や床は赤で染められている。
両側の壁沿いには試練の間にあるゴブレットよりも巨大な盃がずらりと並んでいた。どれもが赤々とした炎を宿し、広間を明るく照らしている。
周囲に魔物の姿はない。
気配すらもない。
仲間の足音や息遣い、衣擦れ。
それらが鮮明に聞こえるほど深閑としている。
「入ったらすぐに襲ってくるかと思ってたんだが……拍子抜けだな」
「逆にあたしはほっとしてるよ……」
言葉どおり完全に気を抜いているようだった。
そんな彼女と相反して、ラピスとルナは緊張した面持ちで辺りを確認している。
「なんだか1等級階層と似て遺跡みたいね」
「こっちのほうが綺麗っていうか格式高い感じがするけど」
8等級階層が岩だらけの荒々しい場所だったこともあってか、より静謐さが際立って感じられた。不可侵な領域をしのんで歩いているような、そんな感覚だ。
「とにかく警戒だけは怠るなよ。どこから敵がくるかわからないしな」
「だね。慎重に進むよ」
そうしてレオを先頭にゆっくりと歩を進めた。
全員が忙しなく首を振って周囲を警戒する。だが、いくら進んでも魔物は現れない。視界の中、動いているのはゴブレットの炎だけだ。
結局、広間の最奥――。
次なる場所へと通じる門まで敵と遭遇することなく辿りついた。
門周りの壁には翼を生やした人型のレリーフが幾つも施されていた。どれも兵士なのか、剣や槍、弓など様々な武器を手にしている。
「狭いな。とおれるのはひとりだけか」
「奥行きもあって中はほとんど見えないね。抜けたらやっぱり来るかな」
目を細めたルナが門の中を確認しながら言った。
「その可能性は高いだろうな」
門――というより通路だが、ここを抜けた瞬間に襲われれば回避行動がとれない。連なって進めば、それすらもできなくなる。
同じ考えに至ったか、レオが前に歩み出た。
「僕が先に行って中の様子を確認してくるよ。みんなはここで待ってて」
「気をつけろよ、レオ」
「大丈夫。僕にはこれがあるからね」
言って、レオは得意気に盾を掲げると、勇んで通路の中へと入っていった。
それから3拍後。
通路を抜けたと思われた瞬間――。
恐ろしい数の衝突音が聞こえてきた。
さらに腹に響くような鈍い衝撃音が響いたかと思うや、レオが盾を構えたままの状態で弾き出されてきた。
「レオッ!」
彼の盾にはざっと数えただけでも20本の矢が刺さっていた。
幸い矢尻が抜けた程度で体に傷はないようだが……矢が盾を貫くなんて見たことも聞いたこともない。しかも赤の塔の恩恵を存分に受けているのか、それらの矢は轟々と火を噴き、レオの盾を赤く染め上げている。
いったい通路の先でなにがあったのか。
その答えを探る間もなく、ソレは飛び出てきた。
人間の2倍はあろうかという人型の魔物だ。
いや、魔物と呼んでいいのかわからない姿をしていた。
硬質な金属で構成されたとわかる光沢ある肌。所々が刃のように鋭く尖っているものの、多くが流線的に縁取られた体。なにより目についたのは背から生やした羽根の1本1本までもが窺える美麗な翼。
門周辺の壁にレリーフとして描かれていた天使そのものだった。
天使――敵は放たれた矢のごとく一瞬にしてレオに肉迫すると、その手に持った正統的な長剣を突き出した。およそ剣とは思えない鈍い衝撃音。先ほどレオが通路から弾き出されてきたときにも聞いた音だ。
ただ、先ほどのように弾かれるだけではすまなかった。
ピシッと音が聞こえた瞬間――。
レオの盾が弾けるように粉砕した。





