◆第十三話『月下の矢』
「うわっ、こんなご馳走いいの!?」
「マキナたちには迷惑をかけたからね。遠慮せずにどうぞ召し上がれ」
赤の塔80階を突破した、翌日の夜。
マキナチームをログハウスに呼んで食事会を開いていた。
こちらのチーム5人にマキナチーム4人も加わって計9人。広い居間もさすがに手狭に感じるほどの人数だった。
テーブルにはこぼれそうなほど並べられた色とりどりの料理。台所のほうにもまだ第二陣が控えており、当分は尽きる心配はない。
酒もたんまりと用意している。
今日の夜は間違いなく長くなるだろう。
ちなみに料理はすべてルナの手作りだった。
チーム脱退から再加入までの経緯もあって、関わった全員にお返しがしたいという彼女の希望だ。
「友達なんだから迷惑なわけないじゃん。でも、ルナたんの料理を食べられるのはありがた~いことなので遠慮なくいっただっきま~すっ!」
我先にとマキナが手を伸ばすが、その腕をぐわしとユインが掴んだ。
「先走りすぎです。まずは乾杯でしょう」
「あっ、そうだった! ではでは……この不肖マキナがいかせていただきますよっと」
「早く食べたいだけだろー」
ザーラの野次にマキナが「うぐっ」とうろたえつつもカップを掲げる。
相変わらず賑やかな連中だな、と思いながらアッシュはカップを掲げた。ほかの全員も倣って持ち上げる。
「そんじゃ……アシュたんチームのみんな、80階突破おめでとうッ! すごい! かんぱぁ~~~~いっ!」
とても簡素ながら元気なマキナの音頭に続いて全員がカップをかち合わせた。
80階を突破した昨日は全員ボロボロでろくに食事ができなかったこともあり、今回が事実上の祝勝会だ。おかげでいつも以上に酒が美味く感じた。
と、すでにマキナががつがつと料理を食しはじめていた。隣にいたクララも続き、小動物のごとくちまちまと口に入れはじめる。
そんな2人を微笑ましく見守るレインとザーラ。
まるで子を見守る夫婦のようだ。
「クララちゃんも9等級の挑戦者なのよね」
「これからはクララさんって呼ばないとかもな」
その会話を聞いていたクララが串つきの炙り肉を食べる手を止めた。これでもかというぐらい、ふにゃっと顔を崩す。
「えへへ、もっと崇めちゃってもいいんだよ~! って言いたいところなんだけど、今回の敵、魔法無効化されちゃって、ほとんど攻撃できなかったんだよね……ヒールしかしてなかったり」
喜んでいたかと思えば、しゅんと落ち込んでしまった。
「っていうか、もともとヒーラーなんだからそれでいいだろ」
「そうだけど~っ」
不満そうな顔で口を尖らせるクララ。
レオがカップを掲げながら声をあげる。
「僕がなんとか最後まで戦えたのもクララくんのヒールのおかげだ。だから、もっと自信を持って大丈夫だよ」
「レオさん……!」
じぃんと感動したようにクララが目を潤ませる。
攻撃による貢献は効果がわかりやすく、どうしても重要視されやすい。だが、ひとりではなくチームで戦っているのだ。無理に攻撃で貢献するのではなく、自分がもっとも貢献できることをすればいい。
「ま、みんなそれぞれ役割があるってことだ」
クララの悩みは最近のルナの悩みに当てはまることだ。それをルナもわかっていたのだろう。互いの視線が交差したとき、少しだけ複雑そうに笑っていた。
「そ・れ・よ・り~! わたしとしてはラピスたんの存在が気になるわけです!」
「た、たん……!? ってどうしてにじり寄ってきてるの……」
マキナが両手をわきわきとさせながら、隅で静かに飲んでいたラピスに近寄る。女性とは思えないマキナの下卑た笑みを前に、普段魔物相手でも恐れることはないラピスもたじたじだ。
「アシュたんチームに入ったってことは~、わたしに抱きつかれてもいいってことなんだよっ!」
「ちょ、ちょっと離れてっ!」
「前々からラピスたんには目つけてたんだよね~。んぅ~、やっぱりいい匂いだし、肌もすべすべ! なによりこの髪のさわり心地ったら……もうっ」
「なんなのこの子……っ」
その奔放な振る舞いから年下と思っているだろう。
だが、実のところマキナの年齢は22歳。
ラピスより2歳も年上だ。
「まだまだ軽いほうだ。酒飲んだらもっとやばいぞ」
「それはもっと酒を飲めっていうフリだね!」
調子に乗ってすかさずカップに手を伸ばそうとするマキナ。だが、その手がカップを掴むことはなかった。そっとルナがずらしたのだ。
「マキナ、今日は程ほどにね」
「あん、ルナたんの意地悪ーっ……!」
ぶーっ、と口を尖らせるマキナ。
少しの間、マキナのチームと行動をともにしていたこともあり、以前よりもさらに2人の仲は距離が縮まったようだ。まったく遠慮がない。
「……ほんとマキナたちがくると騒がしくなるな」
そうして眼前の騒がしい光景を肴に酒を飲んでいると、ユインがこそこそとそばに寄ってきた。なにやらばつが悪そうにもじもじしている。
「……アッシュさん、ごめんなさい」
「どうした、いきなり。謝られるようなことなんてあったか?」
「ルナさんのことで薄情だと言ってしまったことです」
「あ~、あれか」
マキナチームと行動をともにするルナと出会ったとき、「チームに戻ってこい」と口にしなかった。それに対して薄情だとユインに言われたことがあった。
思い出してみてもなかなかにきつい言葉だった。
親しい仲であったユインからとあって余計にだ。
とはいえ――。
「ま、俺のやり方が薄情ってのも、そのとおりだからな」
「ですが、最初からアッシュさんは信じていたんですよね。ルナさんが戻るって。だから、なにも言わずに……」
結局のところ今回の問題はルナ自身が解決の鍵を握っていたのだ。どちらの考えが正しかったか間違っていたかなんてことはない。
「聞いてるかもしれないが……ルナの奴さ、自分に力がないからってチームを抜けたんだ。ま、たしかに力は必要だと思う。なにしろ魔物と戦ってるんだからな。でもさ、仲間ってそういうんじゃないだろ」
アッシュは頬杖をつきながら、いまも笑い合う仲間たちを視界に収める。
「俺もジュラル島に来るまではひとりでなんでもやって塔を昇ろうって考えてたんだ。でも、いまはチームを組んでよかったって心の底から思ってる。っていうか、組んでなきゃここまでこられなかっただろうしな」
ジュラル島には、ひとりでは倒せなかっただろう敵がわんさかいる。そんな敵を相手にしながらここまで昇ってこられたのは心強い味方がいたからだ。
「最高の仲間だよ」
クララやルナ、レオ。そしてラピス。
ひとりでも欠ければここまでこられなかっただろう。
今後もこの5人ならきっと100階へと辿りつける。
そして、その先で待ち受ける神との戦いにも勝てるはずだ。
「羨ましいです。そう思える仲間がいて」
「なに言ってんだ。ユインだっていい奴らがいるじゃねぇか」
「……そうですね。レインさんは本当のお姉さんみたいに優しいですし、ザーラさんは親身になってくれますし。マキナさんも普段はあれですが、いつもみんなのことを第一に考えてくれています。……わたしの最高の仲間です」
そうしてユインが心からの言葉をもらしたとき。
マキナがにんまりと笑いながらこちらを向いた。
「あ~、なになにユインちゃん、アシュたん独り占めにしちゃって今日は積極的じゃ~ん。てかそんなにアシュたんが好きなら、さっさとちゅ~しちゃ――」
最後まで言い終えることはなかった。
マキナの顔面にユインが拳を叩き込んだのだ。
居間の端まで吹っ飛んだマキナがぐでんと倒れた。
その姿を一瞥したのち、ユインが無表情で一言。
「……最高の仲間です」
◆◆◆◆◆
月明かりに照らされ、波打つたびにきらめく水面。賑やかな祝勝会のあとだからか、さざめきによって彩られた静けさは余計に際立って感じられた。
アッシュはルナとともに浜辺に来ていた。
ほかの全員が騒ぎ疲れて眠った頃、外で会えないかとルナに呼びだされたのだ。
少し浜辺を歩いたのち、桟橋へとやってきた。
ルナがはにかみながら、その身を包むワンピースを見せつけるようにつまむ。白生地に青色の花柄刺繍が施されたそれは、以前、ともに休日を過ごした際に購入したものだ。
「これ……やっぱりボクにはちょっと可愛すぎたかも」
「そうか? よく似合ってるぜ」
普段は中性的な印象が先立つ彼女だが、いまはとても女性的で、しとやかな印象を受ける。服装ひとつでこうも変わるのかと思うほどだ。
「……ありがと。大事するよ。でも、ここだとあんまり着る機会ないよね」
「たしかに。武器なんて携帯したら台無しだしな」
「じゃ、アッシュが一緒にいるときだけ着るようにするかな」
ルナはそう微笑むと、桟橋の先へと立った。
その先に広がる海を眺めながら、しみじみと口にする。
「ついに80階を突破したね」
「大分ぎりぎりだったけどな」
「2等級階層をうろついてた頃が嘘みたいだよ」
「もともとルナはそこで収まる器じゃなかったってことだ」
ルナが肩越しに振り返ると、少し困ったような顔を向けてきた。
自身の力不足を感じてチームを脱退したばかりの彼女だ。あまりに時事的で後ろめたい気持ちが湧いたのかもしれない。
ルナはまた正面に向きなおると、海風に揺られた髪をかきわけた。
「今回、自分がどれだけ弱い人間かを思い知ったよ。アッシュに悩みを打ち明けたのに結局自分の中で完結しちゃって、それでチームを抜けて、色んな人に迷惑をかけて……ほんとなにやってたんだろって」
相槌を打つように波がさざめく。
ルナはこちらに背を向けていて、その顔は見えない。ただ震える声や強く握られた拳からも、おおよその心境を窺い知ることはできた。
「でも、でもね。得られたことはあったんだ」
その言葉を機に彼女は握った拳から力を抜くと、スカートの裾をふわりと舞わせながら振り返った。
「前よりも、ずっと……ずっとみんなのことが大事だって思えるようになった。自分が思っていた以上に、ボクにはみんなが必要だってわかったんだ」
以前だって大事に思っていなかったわけではないはずだ。ただ、チームを抜けたことがきっかけとなり、よりその想いが強くなったのだろう。
「ボクをチームに入れてくれてありがとう。きみのために、そして仲間のために。ボクはもう、迷わない」
ルナの瞳からは、まるで放たれた矢のごとく真っ直ぐで、どこまでも先へと――それこそ塔の頂まで届くような、そんな強い意志を感じた。
ルナならきっとやり遂げられるはずだ。
そう思いながら、アッシュは「ああ」と力強く頷いた。
と、ルナがそれまでの緊張をすっと解いた。
それからそばまで歩み寄ってきたのち、「あと」と続けて上目遣いになるよう顔を覗き込んできた。
「――ボクのこと、ずっと信じてくれてありがと」
ルナがすっと背伸びをし、無造作に顔を近づけてくる。海を前にしながら感じる森の優しい匂い。気づいたときには右頬にかすかな湿りと、柔らかな感触が残っていた。
「なっ」
「えへへ」
悪戯っ子のように笑んだのち、ルナが駆け足で離れていく。そのまま桟橋から浜辺へと辿りつくと、くるりと振り返った。
暗がりでもはっきりとわかるほど頬を赤く染めながら、彼女は月明かりに負けないほど眩しい笑みを浮かべ、叫んだ。
「大好きだよ、アッシュっ!」





