◆第十話『激昂する赤き壁』
4度目の赤い衝撃波が止んだ、そのとき。
敵がその場で3対の翼を力強くはばたかせ、赤の旋風を放ってきた。
うねるように突き進んでくるそれは、狂騒前に見たものとはまるで規模が違う。纏う風も、熱も大幅に増している。まともに受ければ肉だけでなく、骨まで残らないだろう。
そんな脅威を前にして、レオが広間中央で食い止めんと《虚栄防壁》の構えをとっていた。アッシュは慌てて叫ぶ。
「レオ、受けるな!」
「でも僕が受けないとみんなが!」
「両端のほうは薄い! そこなら多少はマシにやり過ごせるはずだ」
おそらく無傷とはいかないだろう。
だが、レオが脱落するよりは断然いい。
と、そんなやりとりをした直後、赤の旋風がレオの眼前で止まった。勢いを衰えさせず、その場に留まっている。
「……止まった?」
予想外の展開にレオがきょとんとしていた。
これから凄まじい脅威に立ち向かおうとしていたのだ。無理もない。
「不発、とか?」
「……そんなことはないと思うけど」
クララが希望的観測をもらし、それをすぐさまラピスが否定する。相手は8等級階層の主だ。たしかに不発とは考えにくい。きっと赤の旋風を放った意味があるはずだ。
そうして敵の動向を見定めんと目を凝らした、瞬間――。
赤の旋風越しに動いた敵の影をとらえた。
ピンと天井へと向いた特徴的な3つの頭。
おそらく口と思われる箇所から赤い光が煌き、それが球となって撃ちだされた。弧を描きながら赤の旋風を越え、投石器から放たれた巨石のように落ちてくる。
「みんな、上だッ! 避けろッ!」
アッシュはそう叫んだのち、自身の頭上に向かってきた火球から逃れんと身を横へと投げる。肩、背中を床につけたとき、体が跳ね上がった。すぐそばで火球が激突したのだ。
破裂した火球が無数の火の粉を散らした。幾つかが腕と頬をかすめていく。疼痛に見舞われるが、いまは苦しむ暇などなかった。なにより先に仲間の安否確認が先だ。
急いで周囲を見回すと、全員が無事な姿で立っていた。どうやら残りの2つはクララとルナのところに1つ、ラピスのところに1つ落ちたようだ。ほっと息をつこうとした、そのとき。
アッシュは自身の足下に影が落ちていることに気づいた。見上げずともわかる。さらなる火球が放たれたのだ。
アッシュは再び回避行動をとり、自身に向けて放たれた火球を躱す。が、それで終わりではなく、休む間もなく敵による火球の投擲はさらに続いた。
どうやら標的は不特定のようで全員にまんべんなく振ってくる。あまりの激しさにレオも後衛組の近くまで下がってきた。心なしか時間が経つにつれ、火球の飛んでくる間隔が短くなっているような気がする。
地鳴りのような音とともに床は揺れに揺れている。同時に頭も揺さぶられているような感覚に見舞われ、不必要に焦りが募っていく。
全員、幾度も怪我を負ってはいるが、クララがそのたびにヒールをかけてくれるおかげで大きな被害には繋がっていない。だが、敵の攻撃が続く限り、いつこの状態が崩れるともわからない。
いまにしてわかる。おそらく敵が赤の旋風を出したのは攻撃のためではなく、防御のためだったのだろう。おかげで容易に近づくことはできない。
だが、その防御も完璧というわけではなかった。
先ほどレオに伝えたとおり、両端のほうは赤の旋風の影響も薄い。わずかな隙間だが、あそこを駆け抜ければ、敵に接近できるはずだ。
「このままじゃやられるだけだ! ラピス、反撃に出るぞ!」
「ええっ!」
2人して火球を躱したのち、赤の旋風の右端へと駆けだす。と、赤の旋風正面に大きな影が浮かび上がった。それが敵と認識できたのと、赤の旋風が弾けるように散ったのは同時だった。
敵が地を這うように滑空しながら、赤色の笠を纏って突進してきた。凄まじい速さだ。進路上に立っているのはレオのみ。回避の時間もなく、彼の構えた盾と敵が衝突する。
が、敵になんの抵抗を抱かせることなく、レオは軽々と後方へと押しやられ、ついには入口側の壁へと叩きつけられた。
「レオッ!」
とてつもない衝突音が響き渡る。辺りに舞った粉塵が晴れると、大きく抉れた壁の中心にレオが盾を構えた状態で突き刺さっていた。意識はあるようだが、どう見ても無事ではない。まぶたは辛うじて開いている状態なうえ、頭からは血が出ている。
レオの手から剣がこぼれ落ちた。床に落ちた長剣が虚しい金属音を響かせる中、レオの体が優しい白の光で包まれる。クララがすぐさまヒールをかけたのだ。しかし――。
邪魔するなと言わんばかりに敵が振った尻尾がクララを弾いた。彼女の軽い体はなんの抵抗もなく床の上を跳ね転がっていく。やがて勢いが止まったとき、彼女は寝たまま動かなくなった。
「クララッ! くそ……ッ!」
アッシュは即座に駆けだした。
敵がまるで勝ち誇るように咆哮をあげたのち、クララのほうへと4つ足で歩み寄った。トドメを刺そうとしてか、右前足を振り上げる。距離が離れすぎている。このままでは間に合わない。
そう思ったとき、カンッと音が鳴った。ルナが敵の頭に矢を当てたのだ。さらに続けてルナは矢を撃ちつづける。敵が振り上げた前足を下げ、鬱陶しそうにルナのほうへと向いた。3つの口から火球を放ちはじめる。
ルナはそれらを避けながらなおも矢を射つづける。敵の視界からクララを外したうえ、遠ざけようとしているのだ。だが、敵もそう甘くはなかった。ルナの動きを即座に予測し、偏差で撃ちはじめる。
ついには捉えられ、まともに火球をくらってしまった。まるでハンマーで殴られたかのようにルナは勢いよく弾き飛ばされ、壁に打ちつけられた。咳き込むように息をもらしたのち、彼女はぐったりとする。
「ルナッ!」
熱で焦げたのか、彼女の防具は黒ずんでわずかな煙をあげている。意識はあるようだが、すぐには起き上がれないようだ。
レオ、クララに続いてルナまでもが倒れてしまった。完全に後手に回った結果だ。しかし、撤退の選択肢はない。6つのうち、まだ4つのゴブレットにしか炎が灯っていない。
アッシュはようやく敵のそばまで辿りついた。敵の左後ろ脚の付け根にはかなりの傷を与えている。となれば次に狙うのは――。
こちらの接近に気づいたか、敵がブレスで迎え撃ってきた。3つの口から吐かれたものとあってか、1つのときよりも熱さを感じた。
それでもドラゴンネックレスのおかげで焼けることはない。アッシュはブレスの中を一気に駆け抜ける。視界が晴れるやいなや、敵の懐へともぐり込んだ。敵の右後ろ脚の付け根へとアックス側を叩き込む。
ガンッと重い音が響く。さらに一撃を見舞ったのち、懐から離脱。ブレスを受けながら、敵の向きを反転させる形で後退する。
わざわざ反転させたのは、後続のラピスが接近しやすいようにだ。彼女もまた敵に接近。背後から懐へと滑り込み、そのウィングドスピアによる強烈な突きを敵の右後ろ脚の付け根へと見舞った。
充分に速度が乗った一撃とあってか、耳の奥まで届くような強烈な刺突音が鳴った。それを上書きするように敵が甲高い呻き声をあげる。もがき苦しむ敵に押し潰されないようにとラピスが早々に後退する。
敵が怒り狂ったように咆哮をあげながらラピスへと前足を伸ばす。が、両脚の付け根に深い傷を負ったからか、耐え切れずに前のめりになって倒れた。ずしんと地鳴りのような音が響く。
初めて敵が地に伏した。好機だ。アッシュはラピスとともに一気に敵へと接近し、得物を振りかざすが、下ろすことなく突風に後方へと吹き飛ばされた。
敵が床を叩きつけるようにして翼をはばたかせ、浮遊したのだ。そのまま敵は最奥の壁付近まで後退すると、滞空したまま空気を震わせるような咆哮をあげた。赤色に染まった胸を大きく膨らましたのち、3つの口を下向ける。
「よりによってその攻撃かよ……!」
クララの《ツナミ》によって凌いできた攻撃――。
敵は3つの口から火炎のブレスを吐きながら、床に立つすべてのものを焼き尽くすように猛然と向かってきた。





