◆第六話『委託販売所』
翌朝。
アッシュはクララのあとに続いて、中央広場の北通りを歩いていた。
東西の通りに店が集まっていることもあり、あまり足を運ばない場所だ。
というより観光がてらに歩いた初日以来だった。
右手前方に煉瓦造りの建物が見えてくる。
アッシュは立ち止まり、その建物を視界に収めた。
島の北端に聳える白と黒の塔。
それらが背景に映り込んでいるが、存在感では負けていない。
ただ洒落っ気のある外観のおかげか、物々しさはいっさい感じられなかった。
「相変わらずデカイな」
どの通りからでも見えるため、毎日いやでも目に入っていた。
間違いなく中央広場でもっとも大きな建物だ。
「それはベヌスの館ね。委託販売所はこっちだよ」
クララが指差したのは、ひとつ奥の建物だった。
石造りで屋根が平たい。
外観は地味目で見るからに倉庫といった趣だ。
ふとクララが入口の扉前で立ち止まった。
先に入ってとばかりに指差している。
アッシュは嘆息しつつ扉を開けた。
床が板張りで、みしりと軋んだ音が鳴る。
中は酒場と同じぐらいの広さだろうか。
ただ、机や椅子が置かれていないからか、こちらのほうが広く感じる。
正面には3箇所の受付台があり、それぞれにミルマが笑顔で控えている。
さらにその奥には整然と置かれた大小様々な木箱。
委託販売所と銘打つぐらいだ。
おそらく預かった品があれらに保管されているのだろう。
左右の壁には掲示板が幾つも置かれていた。
どうやら種類ごとにわけられているようだ。「交換石」や「強化石」、「魔石」等など上の縁に名称が記されている。
各種掲示板の前には先客の挑戦者たちが集まっていた。
大半がまるで剣の錆でも探すかのように熱心に確認している。
「なんだか敵地に潜り込んだ感じだよ……」
「どんだけびびってんだ」
「あ、待ってよっ」
怯えるクララを置いて、「強化石」の掲示板へと向かった。
掲示板は一歩引いてようやく視界に収まるほどの大きさだ。
にもかかわらず、指二本分ほどしかない横長の紙でぎっしり埋まっている。
ふと品名「赤の属性石」と価格「5100」と書かれた紙が目に入った。
以前、雑貨屋に同じ品を5000ジュリーで売ったことを思い出した。
ほかにも同品の貼り出しは幾つもあるが、どれも5100前後だ。
どうやら少しばかり損してしまったようだ。
とはいえ、あのときは噛笛のためにジュリーがすぐ必要だったのだ。
授業料と割り切って次に活かすしかない。
「おや、アッシュくんじゃないか」
ふいに横合から声をかけられた。
見れば、いまや見慣れた男が隣に立っていた。
「……レオ? 奇遇だな」
「やっぱり僕たちは強い絆で結ばれてるんだよ」
くいくいと後ろから服を引っ張られた。
いつの間にやら背中に隠れていたクララが、ちらちらとレオに視線を向けている。
どうやら「この人、誰?」と言っているらしい。
「こいつはレオ。危ない奴だ」
「アッシュくん……もう少し親切な紹介をしてくれないかな……」
「他人の尻を触るのが趣味なんだ。いいか、気をつけろよ」
「ひっ」
クララが短い悲鳴をあげ、ささっと背中に隠れた。
「待って待って。女の子のは触らないよ」
「女の子だけじゃなくて誰のも触るな」
「それは僕に死ねと言ってるのかな?」
真顔で言ってくる辺り本当に危ない奴だ。
「あ、そうそう。ルーカスとも出会ってね。……って、さっきまで近くにいたんだけど、どこに行ったのかな」
「愛想つかされたんじゃないのか」
「それはない……と思いたいんだけども」
避けられる理由に心当たりはあるらしい。
それが尻触りであることは、きっとレオもわかっているはずだ。
「ま、いないなら仕方ない。それよりアッシュくんはなにか目当てのものでもあるのかな? ここに来たってことは欲しいものがあるんだろう?」
「いや、11階以降の敵に苦戦したって話を知り合いにしたら、ここを勧められてな。だから、とくに欲しいものがあるわけじゃないんだ」
「見学ってことかな?」
「そんなところだ。もちろん欲しいものがあれば買おうと思ってる」
なるほどね、とレオが頷く。
「じゃあ僕から助言というか注意をひとつだけ。最高到達階に応じた装備しか身につけられないから、3等級以上の交換石や魔石は購入しないようにね」
「それだけ装備の影響力が高いってことか」
「いまは持ってきてないから見せられないんだけど……僕の武器――7等級だけど、10階の主ぐらいならたぶん一撃で倒せるかな」
「マジかよ……」
あれほど苦労した相手を一撃。
おそらく強化石をふんだんに埋め込んだ上でのことだろうが……。
どうやら思っていた以上のようだ。
思わず絶句してしまったが、同時に高揚感が湧き上がってきた。
なにしろ自身の戦闘能力はほぼ頭打ちになったと思っていたからだ。たとえ道具のおかげでもまだまだ強くなる余地があるとわかれば、昂ぶられずにはいられない。
ただ、高揚感は溢れ出ることなくすぐにある壁に阻まれた。
それは品名の横に書かれた価格だ。
「にしても高いな……」
「見て、麻痺の強化石なんて20万ジュリーだよ……これ1つで数年は安泰だよ……」
クララが掲示板を見ながらその瞳を絶望の色に染めていた。
麻痺ほどではないが、毒や出血、反射の強化石も高い。
どれも5万から10万ジュリーぐらいはする。
「こりゃ昨日みたいな贅沢してたらいつまで経っても強化できないかもな」
「でも、たまには美味しいものも食べたいなぁ」
「塔を攻略しに来てるのを忘れないようにな」
「う、そうだった……」
クララにそう言い残して、アッシュは「交換石・防具」の掲示板のほうを見にいった。
どうやら防具では、等級だけでなくシリーズごとにもわけられているようだ。
少しややこしい。
3等級では「ガーディアン」や「アサシン」など。
もっと上の7等級には「フェアリー」や「巨人」。
さらに上の8等級には「ドラゴン」シリーズなどの防具が売られている。
当然ながらとても手が出せる価格ではない。
7、8等級ともなればなおさらだ。
それにしても3等級以上のシリーズしか見当たらないが、2等級以下には存在しないのだろうか。いまだに1つも落ちていないことからもその可能性は高そうだ。
場所を移し、今度は武器交換石の掲示板。
こちらにはしっかりと1、2等級のものが売り出されている。
価格は……。
1等級が200。
2等級は500。
余裕はないが、買えないわけではない。
スケルトン対策のために斧を造りたいが……。
掲示板と睨めっこしながら思わず唸ってしまう。
本心を言えば装備は自らの手ですべて揃えたい。
だが、入手率の低さを考えれば、その考えが利口でないことは明白だ。
下手なこだわりは捨てて素直に利用したほうがいいだろう。
アッシュは重い手を伸ばし、2等級の交換石の紙を剥がした。
受付台で清算を済ませ、目当てのものを入手する。
「アッシュくん、なに買ったの?」
小首を傾げながら訊いてきたクララに購入品を見せる。
「スケルトン対策で2等級の武器交換石をな」
「た、足りたの?」
「ああ。でも、もうすっからかんだ」
あっけらかんと答えたものの、問題視していないわけではなかった。
楽にとは言わなくとも、もう少し効率良く稼げる方法があればいいのだが……。
そんなことを考えていると、レオが苦笑しながら近寄ってきた。
「ギルドに入ってたら、メンバー同士で色々安く取引できるんだけどね」
「……ギルド?」
「挑戦者たちが気の合う仲間と作った組織のことだよ。ギルド内で好きにチームを組んだり、さっきも言ったとおり入手した装備や道具を安く取引したりして、より親密に助け合うのが主な目的かな」
そんな組織があったとはまったく気づかなかった。
だが、よくよく考えてみれば不思議なことではない。
たった1人で神のもとへと辿りつくには、あまりに困難だからだ。
ふとレオが人目を気にするようにきょろきょろしはじめた。
「ん~、ここだと話しにくいからちょっと外に出よっか」
◆◆◆◆◆
委託販売所を出て、通りを挟んだ先。
花壇に沿うよう置かれた木造ベンチに並んで腰を下ろした。
「悪いね。ギルドは幾つもあるから」
「気の合う仲間ってことは派閥みたいなものだしな」
「そういうこと」
つまり先ほどの委託販売所には、複数のギルドが存在していたということだ。
そんな場所でギルドについて深く話そうものなら横槍が入りかねない。
「ギルドの数はどれくらいあるんだ?」
「10ぐらいだと思う。ただ、10と言っても三大ギルドとそれ以外って考えたほうがいいかも」
「その三大ギルドってのは、やっぱり人数が多いのか?」
「それもあるけど……そうだね。この機会にアッシュくんも知っておいたほうがいいか。そちらのお嬢さんも説明を受けたことがないようだし、ちょうどよさそうだ」
静かに耳を傾けていたクララが、途端にばつが悪そうな顔をした。
1年もいて島の事情に疎いことに少しは自覚があったようだ。
レオが人差し指をピンと立てて説明を始める。
「1つは在籍数約100人の巨大ギルド。『レッドファング』。荒くれ者ばかりだけど、仲間の絆はどこよりも強い。ただ、毎晩飲み会があるせいで翌朝潰れてることが多いね」
「聞いてるだけでも男臭そうだな」
「ちなみに、きみたちと揉めてたダリオンもここに在籍してるよ」
「これ以上ないってぐらいイメージにぴったりだ」
うんうん、と隣でクララが力強く頷いている。
そんな素振りを見てか、くすりと笑みを零してからレオは話を続ける。
「2つ目は女性ばかりのギルド『ソレイユ』。在籍数は約40人とあまり多くないけど、みんな男に負けないぐらいの猛者ばかりだ。そして、なにより美人が多いのが特徴だね」
「さっきとは打って変わって瑞々しいギルドだな」
「アッシュくん、なんだか嬉しそう……」
「そりゃあ男だからな」
平然と抗議すると、クララが頬を膨らました。
「ってか、女性ばっかりならクララも入りやすかったろ」
「あたしが入れると思う?」
「訊いた俺が悪かった」
「うぅ……」
本当にころころと表情が変わる子だ。
涙目のクララをよそに、レオが「そして最後」と話を継ぐ。
「正義の旗を掲げるギルド『アルビオン』。メンバーは約60人。実力者ばかりなこともあって平均到達階はどのギルドよりも高いね。ちなみに真面目な人間が多いこともあって荒くれ者の多いレッドファングとは犬猿の仲だ」
このアルビオンが最強ギルドなのかもしれない。
レオの話しぶりから、なんとなくそう感じた。
と、なにやらクララが不機嫌な様子で話しはじめる。
「たまに見回りっぽいことしてる人たちいるでしょ。その人たちがアルビオンだよ」
「知ってるのか?」
こくりと頷いたあと、少し拗ねたように口を開く。
「一回捕まったことあるから……ただお店に入ろうか迷ってただけなのに……」
「大方、かなりの時間そうしてたんだろ」
「うぐっ」
どうやらその通りらしい。
クララの行動が不審極まりないことには同意するが……。
非公式な組織にもかかわらず勝手に取り締まるのはいかがなものか。
レッドファングと犬猿の仲と言っていたが、その辺りが問題となっていそうだ。
「しかし思ってた以上にどこも大所帯なんだな」
「だね。あとはうちみたいな少数ギルドが幾つかだよ」
「うちって、レオもギルドに入ってるのか?」
「入ってるっていうか、一応これでもマスターなんだ」
レオが芝居がかったように「えっへん」と胸を張る。
アッシュは思わず呆けてしまった。
それほど〝レオがマスター〟という事実が衝撃的だったのだ。
「……やっぱり尻目当てか?」
「そう、みんな僕の手に収まらないほど大きくて、そして跳ね返すほど弾力のある至高の尻の持ち主で――ってなにを言わせるんだい」
途中まで昇天しそうな顔をしていたが、どうやら正気に戻ったらしい。
「みんな仲間想いの良い人たちだよ。見ていて眩しくなるぐらいにね」
レオは優しい目をしながらそう語る。
ただ、その瞳はどこか遠いところを見ているような気がした。
彼ははっとしたように目を泳がせるや、普段のとぼけた空気を纏いなおした。
「アッシュくん、良かったらうちに入らないかい?」
「昼間っから飲んだくれてる奴がマスターなところはなー」
「あ、あれは……っ! 誓って言うけどサボってるわけじゃないんだよ。ちゃんと狩りもしてるからね?」
レオが必死に取り繕いはじめた。、
その姿に思わずふっと笑いをこぼしてしまう。
「まっ、冗談は置いておいて。あいにくと大人数で動くのは得意じゃなくてな」
「残念だ。でも、なんとなくそうだと思ったよ。アッシュくんは我が道を行くって感じだからね」
「わかってて訊くあたりタチが悪いな」
「それほどきみのことを買ってるんだよ」
まだ2等級の挑戦者にも関わらず、これほど高く評価してくれるとは。
レオが見ているのは単純に到達階だけではないのだろう。
「クララはどうする? べつに入ってもいいんだぞ」
「え、あたしっ?」
「クララちゃんが良ければ、うちは歓迎だよ」
レオに似合わず紳士的な勧誘だ。
普段からそうしていればいいものを。
などと思っていると、クララがこっそり服のすそを掴んできた。
「……あたしも入らない」
「こっちもフラれちゃったか」
レオは苦笑いを浮かべたのち、すっくと立ち上がった。
「悪いな。せっかく誘ってくれたのに」
「いいよいいよ。ただ、気が変わったらいつでも言ってね。2人なら歓迎するから」
「ああ、そのときはお願いする」
今のところギルドに入るつもりはない。
だが、もし入るとしたらレオのところ以外は選ばないだろう。
「でもギルドの助けがないとなると金策は難しいかもねえ」
うーんと唸りはじめたかと思うや、レオは「ああ、そうだ」と声をあげた。
「クエストを受けてみるのはどうだろう」
「……クエスト?」
「指定の魔物を倒すことで報酬を得られるんだ。報酬はジュリーが大半だけど、中には交換石や強化石、魔石をもらえるものもあるね。とにかくお得だから一度確認してみるといいよ」
そんなものがあったとは。
クララのほうを見てみると、慌てたように目をそらされた。
忘れていたのか。
あるいは知っていたが、利用したことがないから勧めなかったか。
……間違いなく後者だろう。
「ちなみにどこで受けられるんだ?」
レオは委託販売所の隣に立つ大きな屋敷へと目を向けた。
「ベヌスの館だよ」





