◆第九話『アジ・ダハーカ再戦』
まるで開戦を告げるように3つの口から咆哮が放たれた。いつでもかかってこいとばかりにはばたかれた3対の翼が突風を飛ばしてくる。
赤の塔80階の主。
アジ・ダハーカを前にして、アッシュは駆けだした。
「序盤は話したとおりだ! レオが向かって中央と左側の頭を引きつけてくれ! 俺は右側の頭を引きつけつつ、ラピスの援護をする! クララは《ヒール》専念で頼む!」
レオが敵へと一直線に向かっていく中、アッシュは右側へと大きく膨らんで走る。敵の側面をつく進路だ。後ろからは少し離れてラピスが追ってきている。
「ルナは中央、左側の頭に攻撃をして牽制を頼む! 前に戦ったとき、攻撃を当てれば怯んではいた! それで敵のブレスや火球をなるべく防いでレオを援護してやってくれ!」
「了解!」
火力不足で悩んでいたルナに牽制役を頼むことに抵抗はあったが、これがいまの最善策だ。同情で変えるわけにはいかない。それに――。
どんなにあがいてでもチームのために戦いたいと戻ってきてくれたのだ。仲間として、その決意を汲み取るべきだと思った。
すでに敵の攻撃が始まっていた。3つの口から吐かれた火球が連なるようにして正面のレオへと向かっていく。どれもが大人ひとりを軽々と包めるほどの火球だが、レオは避けることなく、それらを盾で受けながら直進を続ける。
衝突するたびに鳴り響く轟音。レオの顔も歪んでいるが、さすがの硬さだ。いまのところ大きな損傷はない。
「クララくん、ヒールはまだ大丈夫……!」
「わ、わかった!」
敵との距離が縮まったのを機にレオが斬撃を繰り出しはじめる。下手に刻めば雑魚を生み出してしまう腹を避け、あえて硬い鱗のある脚や腕を攻撃して敵を挑発。敵の注意を自身に引きつける。
「よし、ルナくん!」
「了解!」
間もなく、ルナによる牽制射撃が始まった。正確に敵の頭部へと青の属性矢をぶつけていく。久しぶりに聞いたからか、それとも調子がいいのか。心なしか衝突音が重く感じる。
「ラピス、そろそろ火球くるぞ!」
レオ付近で激しい戦闘が繰り広げられている間にもアッシュは右側から距離を縮めていた。敵の左頭がこちらの接近を感知したようだ。レオを放ってこちらに火球を放ってくる。
予め把握していた流れだ。アッシュは蛇行しながらそれらを躱していく。後方のラピスも難なく躱しているようだ。
さらに距離を縮めると、敵の左頭が首を引き、ブレスを吐いてきた。
ごうごうと音をたてて襲いくる火炎を前に思わず回避行動をとりそうになる。だが、こちらにはブレス無効のドラゴンネックレスがある。
アッシュは逃げの意識を振り切るように床を蹴り、前へとかかけた。うねる炎の中を進み、駆け抜ける。
晴れた視界の中、なにより先に映ったのは敵の左後ろ足だった。その付け根へとハンマーアックスの刃側を打ちつけ、がりっと削る。
一度ではやはり肉までは徹せないようだ。もう一撃加えたいところだが、いまはこれでいい。欲張ればこちらの命がない。それに〝攻撃〟はまだ後ろに残っている。
アッシュは尻尾のなぎ払いを跳躍で回避したのち、あえて敵の左頭がブレスを吐きやすい位置まで後退。ブレスを吐かせつつ、敵の背面側へと移動する。
「ラピス! 脚の付け根!」
敵の中央頭と左頭の間に生まれた死角を縫うようにして、ラピスが一直線に突っ込んでいく。指示した箇所の傷痕を瞬時に見つけたか、わずかな狂いもなくそのオーバーエンチャントされた槍を繰りだした。
硬い鉱物を砕いたような音ののち、ぐさりと小気味いい音が響く。見事に鱗を貫き、奥の肉まで攻撃を徹したのだ。
敵が苦しむように鳴き、刺された脚のほうへと態勢をわずかに傾ける。敵が苛立ったようにラピスへと左前足の鉤爪を振り下ろす。が、ラピスも予測していた反撃だったようだ。危なげなく回避し、後退を開始する。
左頭が追撃にとブレスの態勢をとった。アッシュは即座に斬撃を放って注意をこちらに引こうとするが、鬱陶しそうに睨まれただけで向きを変えるまでには至らなかった。このままブレスを吐かれれば、ラピスが焼かれてしまう――。
と、敵の左頭に青の矢が命中した。
いや、左頭だけでなく、3つの頭すべてに命中している。
ルナのほうを確認すると、身を低くした格好で弓を水平に構えていた。おそらくあの態勢で3本の矢を同時に放ち、敵の3つの頭を射抜いたのだろう。敵がいまは足を止めているとはいえ、なんとも器用な技だ。
「助かったわ!」
ラピスの礼にルナは口元を崩すだけのかすかな笑みで応じたのち、再び通常体勢に戻してレオの援護へと移る。ルナが後ろにいる。それだけで戦闘が安定するし、なにより安心できる。やはりこのチームには彼女が必要だ。
アッシュはルナがチームに復帰した喜びをひとり噛みしめていると、敵の左頭がこちらを向いていることに気づいて慌てて後退をはじめた。ブレスに包まれる中、駆け抜けてなんとかラピスのそばまで下がる。
「戦闘中に見惚れるのは感心しないわね」
「嬉しくて、ついな」
「……それはわたしもだから今回は許してあげる」
互いにふっと笑みをこぼしたのち、敵の左頭から放たれる火球を回避する。
アッシュはちらりとレオのほうを確認する。彼はいまもひとり正面に立ち、クララのヒールを受けながら敵の猛攻を耐えている。
いまのところ大きな外傷は見られないが、敵の攻撃にさらされ続けるというのは精神的にも決して楽ではないはずだ。今後、敵の攻撃が激しくなることも見越して、いまのうちにできる限り敵を削っておきたい。
火球が床に激突した衝撃音の合間に、アッシュはラピスへと声をかける。
「それよりさっきの、いい一撃だった!」
「アッシュが削ってくれたおかげ! でも、後退が遅くなった!」
「もっと早く動けるのか!?」
「次は絶対に躱すわ!」
「そんじゃ、もう一撃いくぞ!」
「ええ……っ!」
アッシュはラピスとともに再び敵へと突っ込んだ。先ほど鱗を破壊した箇所へと2人して攻撃を浴びせる。アッシュは抉るように裂き、ラピスはより深くまで届くようにと刺し込む。少なくない痛みを与えられたのか、敵が喚くような鳴き声をあげる。
先ほどよりも素早い後退で敵のブレス圏内から逃れたラピスに続き、こちらも全速力で敵から離れる。が、一向にブレスによる追撃がこなかった。
不審に思ったのも束の間、突風に背中を叩かれ、広間の右端へと弾かれた。幾度か跳ね転がったのちに、すぐさま起き上がる。と、赤の塔7等級魔法、《ファイアストーム》と同様の赤い旋風が広間中央を支配していた。
レオがとっさに《虚栄防壁》を展開、その場で食い止めている。おかげで後衛組に被害はいっさいない。
「この攻撃、前回はゴブレットの炎4つ目だったわ……っ」
そばから聞こえてきたその声はラピスのものだ。
彼女も突風に弾かれたようだが、無事だったらしい。
すでに敵は飛びあがり、広間の上空を飛びまわっている。
前回よりも次の攻撃パターンに移るのが早い。
一定以上の損傷を与えたからか。
いずれにせよ――。
「とにかく、次の攻撃に備えるぞ! 格子、柱、ブレスの順だ! 全員、話したとおりに!」
全員がレオから少しだけ離れた場所に位置どった。
ほぼ同時、赤い線で床に描かれた格子模様がそのまませり上がり、壁を生成。その格子の中へと、敵が大の大人程度の太さと高さを持った柱を落としてくる。
赤い柱は一定時間後に爆発する。
これによって前回は壊滅に追いやられたのは苦い思い出だ。もちろん、今回は対応策を用意していた。
柱が床へと突き刺さるように立ったのち、格子の壁が消滅する。直後、レオが剣を振り回しはじめ、自身を中心に9本の柱を攻撃し、爆発を引き起こした。
強敵を前に頭がおかしくなり、自殺をはかったわけではない。レオはあえて赤い柱を破壊することで広範囲の安全地帯を確保したのだ。
通常の人間がすれば間違いなく耐えられないだろう。青の属性石でガチガチに防具を固めたレオだからこそできる芸当だ。煙が晴れるよりも早く、レオの声が聞こえてくる。
「いまだ! みんな僕のところに早くっ!」
声を目指してアッシュはラピスとともに駆ける。
煙が晴れたとき、無事に合流を果たしたクララとルナの姿も近くにあった。
ただ、安堵している暇なんてなかった。周囲に残った赤い柱が色を濃くし、ついには破裂するように四散。脳を揺さぶるような轟音を鳴らし、広間を覆うほどの煙を巻き上げた。
これまでの階層とは比べ物にならない規模だ。
凄惨な光景を前にして全員が息を呑む中、敵はすでに次の攻撃へと移っていた。
高度を下げ、最奥へと陣取ると、3つの口を下向けて床を埋め尽くすように火炎のブレスを吐きはじめた。そのまま広間の入口側を目指して緩やかに移動してくる。
逃げ道はない。
だが、作れることは前回の戦闘で証明ずみだ。
「クララ、《ツナミ》!」
「うん……っ!」
クララが右手を突きだすと同時、眼前に水の壁がせり上がり、見上げるほどの高さに達した。水壁が最奥側へと傾きはじめたのを見計らって全員で飛び込む。
《ツナミ》によってこれでもかというぐらい暴れる身体。
なんとか腕で頭だけを守り、凌ぎきる。
勢いが止まったのを機に全身を包んでいた水の感覚もなくなっていく。目を開けたとき、すでに最奥の周辺へと辿りついていた。辺りを覆っていた水も床へと染み込むようにして消滅している。
入口側のほうへと目を向ければ、発生した大量の水蒸気が晴れるところだった。あらわになった敵が折り返し、再びブレスを吐きながら向かってくる。
「も、もっかい……行くよ!」
こちらもまたクララによる《ツナミ》で敵の攻撃をやり過ごす。レオだけは重いこともあって相変わらず中途半端に流され、ひとり中央付近に残っている。
アッシュは頭を振って髪についた水気を振り落としながら体勢を整える。
いまのところ打ち合わせどおりに敵の攻撃を凌げている。だが、ここから先は未知の領域だ。
敵はまた地に足をつけ、火球とブレスで迎撃態勢に入るのか。新たな攻撃を見せてくるのか。あるいは――狂騒状態へと移るのか。
敵は悠々と頭上を旋回したのち、最奥付近に勢いよく下り立った。
最初の攻撃パターンに戻るのか。と思いきや、敵は3つの頭同時に咆哮をあげた。耳が潰れるのではないかと思うほどの甲高い鳴き声をあげつづける。
さらに敵の全身から赤色を宿した衝撃波が2度、3度と放たれた。あまりの衝撃にクララが「うわぁ」と声をあげ、後ろへ転んでいる。
これまでとは明らかに違う、凄まじい威圧。
――間違いない。
「来るぞッ! 狂騒状態だ!」





