◆第七話『スキュラ戦』
マキナ、ユインが身を低くしながら棲家中央へと走り出す。どちらも小柄なこともあり、本当に地を這っているかのようだ。
侵入者を感知したか、周囲6箇所の泉からナニカが飛沫を散らして飛びだしてきた。蛇のように長細い鱗つきの体を持ち、先端には犬の頭部がついた不思議な形状だ。おそらくあれがマキナの言っていた雑魚で間違いないだろう。
雑魚たちは揃って口を開けると、青白い光球――《フロストボール》を吐きはじめた。
狙われたマキナとユインは棲家中央の泉周辺で蛇行しながらそれらを躱していく。《フロストボール》が地面に着弾するたび、氷片が飛び散り、まるで硝子を割ったような音を響かせる。
ルナは棲家に侵入し、右方側の雑魚3体へと奥から順に射抜いていく。幸いにも1撃当てるだけで雑魚たちは泉の中へと引っ込んだ。反対側を確認すれば、ザーラが少し遅れる形で残り3体の雑魚を泉に沈めていた。
「雑魚、処理完了したよ!」
ザーラの声が棲家に響き渡った、直後。
中央の泉から勢いよくそれは飛びでてきた。
およそ成人の3倍はあろうかという巨大な女性型の魔物だ。腰まである長い青髪を垂らし、大きな乳房をさらけ出した格好。腰から下は煌く青の鱗で覆われているが、先までは窺えない。おそらく雑魚と同じく泉の中まで伸びているのだろう。
敵は両手に1本ずつ持った湾曲した長剣を振るおうとするが、そうはさせまいとルナは即座に矢で射抜いた。さらに敵の右目、左目。続いて口を射抜いて、4射目は額。どれもが接触と同時に緑の風を巻き起こし、敵の皮膚をえぐるように削る。
敵が出現と同時に大きく後方へ仰け反り、耳をつんざくような不快な悲鳴をあげる。完全に出鼻をくじいた形だ。
「すご……っ」
レインが圧倒されたように感嘆の声をもらす。
その最中、マキナとユインが接近し、揃って2撃ずつを見舞っていた。さらにザーラも矢を放ち、敵の腹へと突き刺していく。
ザーラの矢と衝突音が違うのはやはり得物の等級と装着した属性石の数の違いだろう。これほどまでに違いが出るのか、とルナは胸中で思いながら追撃の一射を敵の額へと見舞った。それが命中した、瞬間――。
敵がこれまで以上に大きな悲鳴をあげた。
全身の皮膚にヒビが入り、その隙間から眩い光がもれはじめる。やがて突き刺した矢ごと皮膚がこぼれ落ちると、全身真っ青に染まった肌があらわになった。さらに先ほど射抜いた目は血のように赤く光っている。見るからに憤怒の形相といった様子だ。
「たぶん、もう狂騒状態です……!」
「はやっ」
ユインとマキナがそんな声をあげたとき、周囲の泉から雑魚が一斉に出てきた。どうやら狂騒状態では本体と雑魚は同時出現らしい。しかも雑魚が口を開け、放ってきたのは《フロストレイ》だった。
予想とは違った攻撃にマキナ、ユインが肌をかすめる格好で傷をつけられる。呻く彼女らが足を止める前にレインがすぐさま《ヒール》をかける。辛うじて追撃はまぬがれたが、レイ系は放たれてから避けるのは難しい。
さらに本体が武器を振り回し、その湾曲型の剣から青の斬撃を放ちはじめる。雑魚を処理しなければ、とてもではないが近接組は攻勢に出られない状況だ。
「ザーラ、最初と同じでっ」
「了解っ」
ルナは右方の雑魚を先ほどと同様に奥から狙い撃つ。が、狂騒前と違って一撃では沈まなかった。そうとわかった瞬間、もう一撃を見舞うと、敵は慟哭をあげてその姿を消滅させた。
どうやら狂騒後は消滅するまで攻撃する必要があるらしい。2発で済んだのは武器のおかげだろう。ルナは残りの2体を射抜きつつ、ザーラのほうを確認する。やはり彼女の武器では3発でも倒せていない。
「手前、処理するよ」
「助かる!」
こちらが4体の雑魚を処理、ザーラが2体の雑魚を処理。残りは本体のみとなった。雑魚の攻撃から解放された近接組がすでに敵本体へと攻撃をしかけていた。敵の斬撃を織り交ぜた攻撃を回避しつつ、青肌に幾つもの傷を刻んでいく。
ザーラはというと、敵の両肩を射抜いて攻撃手段を奪おうとしていた。
堅実な狙いだ。そう思いながら、ルナは敵の額に1本、2本、3本目と集中して浴びせる。1ヶ所を集中して狙いすぎたため、刺さらなくなったので今度は両目。次は口。そして鼻を射抜いたときだった。
ドンッとおよそ矢の衝突音とは思えない凄まじく重い音を鳴らしたと同時、敵の頭部がまるで破裂したように弾け飛んだ。首から上をなくした敵がほんの一瞬だけ両手を動かしていたが、それも瞬きをするうちにだらりと下げた。
ついには崩れ落ちるように泉の中へと沈みながら、その姿を消滅させていく。
「うひゃぁ……」
「ふ、吹っ飛んでしまいました……」
マキナとユインが揃って目を瞬かせていた。
以前、青の塔78階にて、水竜相手に同じような攻撃をしたことがあった。ただ、どう放ったのかは自分でもわからない。これまでとは違った手応えのようなものは感じるが……。
「すごいね……さすがって感じだ」
もっとも驚いていたのはザーラだ。
同じ弓使いとしては無理もない反応かもしれない。
「武器のおかげだよ。これ、8等級の武器だし」
「いや、射撃の速度、精度……それ以外にも頭抜けてるよ」
「そ、そうかな……」
とっさに謙遜してしまったが、たしかに彼女たちとの違いを感じたのは事実だった。もしかすると自分が思っていたよりも成長していたのかもしれない。
「いずれにせよ、ルナたんのおかげでこれからも狩れるね」
「マキナちゃん、独占する気満々ね」
「当然、残っていたら狩らないと!」
レア種を倒したことで弾みはじめるマキナたちの会話。ルナは、それらをどこか遠くに感じていた。
先ほど聞こえた〝これからも〟という言葉。
これからもマキナたちとともに狩りつづけるのかもしれない。
正式にチームに入りたい。
そう告げればきっと笑顔で迎えてくれるだろう。
そして、それがいまの自分にとって最高の選択だ。
きっと間違いない。
「ル、ルナたん……どうしたの?」
突然、マキナが心配したような顔を向けてきた。
いったいなんのことを言っているのか。
わけがわからずきょとんとしていると、頬に違和感を覚えた。
試しに手で拭ってみたところ水気があった。
先ほどの交戦で水を浴びた記憶なんてない。
これは紛れもなく目からこぼれた涙だ。
「あれ、どうしてだろ……なんで涙なんか……あはは、レア種を倒したところなのに、おかしいね」
乾いた笑みを浮かべながら何度も目をごしごしとこする。
だが、流れる涙は止まってくれなかった。
「ルナちゃん……」
レインが痛ましげな顔でそうこぼす。
見れば、マキナとザーラも同じような顔でこちらを見ていた。
そんな中、ユインだけが動じていなかった。
彼女は目の前に立ち、真っ直ぐに見つめてくる。
「やっぱり後悔してるんですね。アッシュさんのチームを抜けたこと」
「そんな、ことは……」
「だったらどうして泣いているんですか。いいえ……泣いていなくとも、わたしたちと一緒に狩りをしている間、ずっと悲しい目をしていました」
そんな顔をした覚えはない。だが、もしかしたら、していたかもしれないという思いもあって否定できなかった。時折、こちらを観察するようにまじまじと見ていたユインのことだ。……きっと真実なのだろう。
ユインは俯くと、震える声で言葉を紡ぎはじめる
「わたしは大切な人を失くしてしまいました。一緒にチームを組みたいと思ってももう組めません。どれだけあがいても、どれだけ叫んでも……この手が、声が届くことはありません」
ユインはクローを握る手をぎゅっと強めると、勢いよく顔をあげた。彼女自身の思いも混ざっているのか、力強い意志を宿した瞳で射抜いてくる。
「ですが、ルナさんにはいるはずです。どうか自分の心に嘘をつかず、後悔しない選択をしてください」
ユインの言葉は痛いほど胸に響いた。
足手まといになると思ってアッシュのチームを抜けた。それが自分にとっても、彼らにとっても最良の選択だと思ったからだ。
ただ、後悔していないかと問われれば頷くことはできなかった。
チームを抜けてからというもの、常にアッシュたちのことを考えてしまっていた。
彼らはいまどうしているのか。
どの塔でどんな魔物と戦っているのか。
どんな会話をしているのか。
考えたらキリがないほどに彼らのことが頭から離れることはなかった。
チームを抜けたところで心は常に彼らのほうへと向いていた。
戻ればまた迷惑をかけるかもしれない。自分のせいで仲間を傷つけてしまうかもしれない。それでもアッシュたちが迎えてくれるのなら、ユインが見せてくれた覚悟のようにどんなにみっともなくあがいてでも――。
アッシュたちと一緒に狩りをしたい……!
胸中でまとまった想いは心の叫びとなって言葉となった。
その答えは、初めからそこにあったかのようにすとんと胸の中へと収まった。ただ、気にかかることもあった。
マキナたちによくしてもらったのに、という思いがあった。しかし、そんな考えすらも読み取ったように目の前の彼女たちは優しい声をかけてくれる。
「大丈夫よ。充分、力になってもらったわ」
「うちも上位陣の弓使いを近くで見られたしね。損どころか得させてもらったよ」
「うんうん、なにより楽しめたしね!」
レインに続いてザーラ、そしてマキナがからっとした笑みを浮かべる。そこには恨みなんて感情はいっさいなく、ただ心の底から祝福して送り出してくれているようだった。
「ごめん、みんな……」
一時だが、ともに狩ってきた仲間の温かい言葉と対応にべつの涙が出てきそうだった。ルナは軽く鼻をすすりながら、最後に一度だけ目元を拭った。
ユインが一度微笑んだのち、棲家の出口へと足を向けながら言う。
「そうと決まれば塔の外縁まで急いで向かいましょう。いいですよね、マキナさん」
「もっちろん! 突っ切るからみんな離れずについてきてよー! シレノストレイーンッ!」
◆◇◆◇◆
ユインは塔の外縁に両腕を乗せ、眼下を眺めていた。
あまりに高いこともあって人の姿は確認できない。それどころかジュラル島すらも小さく見えるぐらいだ。それでも、いましがた塔から飛び下りた仲間がどこを走っているかを予想することはできる。
「あーあ。ルナたんチームに誘うの、結構本気だったんだけどなー」
すぐそばからマキナの声が聞こえてくる。彼女は足を外側に出す格好で縁に座っていた。彼女の言葉は軽かったが、その目は本気だったことがありありと伝わってくる。
マキナの向こう側ではザーラとレインも縁に両腕を乗せ、寂しげに眼下の景色を見つめていた。
「最初は弓2人なんてーってちょっと思ってたけど、気づけばそういう感情、全部なくなってたよ」
「ルナちゃん、みんなのことをよく見ててくれるからね。わたし、戦闘中に何度も助けられたもの」
ルナは静かに寄り添ってくれるような優しさを持っている。あまり騒がしいのが得意ではない自分にとって、そんな彼女の人となりはとても落ちつけた。アッシュのチームと食事会をするとき、よく一緒にいるのもそれが理由だ。
「……わたしも、ルナさんは好きです」
そんな大切な友人だからこそ、進んでほしかった。
後悔しない道を――。
今頃、仲間のもとへと向かっているであろうルナへと、ユインは胸中で叫ぶ。
頑張ってください、ルナさん……!





