◆第五話『居場所はどこに』
「いいのかな……ギルドに入ってないのに」
「大丈夫大丈夫。わたしたちの連れだしね。それにアシュたんもよくひとりできてるし、みんな気にしないよ」
その日の夜。
ルナはマキナたちに連れられ、ソレイユの酒場を訪れていた。促されるがままマキナチームと同じ席に座る。
店内では、すでに15人ほどの女性挑戦者がまばらに座って酒を飲み交わしていた。壁を作っているわけではなく、単純に広い空間を贅沢に使っているといった感じだ。
「ってか、うちらが縄張りにしてるってだけで本来は誰のものでもないしね」
「男の人が苦手って人が多いからしかたないといえばしかたないのだけど」
そう言ったのはザーラとレインだ。
彼女たちはエールがたくさん入ったカップを幾つも持っていた。人数分よりも多いのは取りに行く手間を省くためだろうか。ごとごととカップがテーブルに並べられていく。
「はい、ユインちゃんはジュースね」
「……わたしはべつにエールでも」
「ルナちゃんの前だからって強がらないの」
レインに諭されたユインがむすっと小さな頬を膨らませる。
たしかユインはクララのひとつ上。
17歳だったはずだ。
16歳から酒を飲む地方もあるというが、18歳から20歳辺りからという認識が世界的にも一般的らしい。ちなみにマリハバで酒を飲んでもいいのは18歳からだ。
「それじゃ、今日もおつかれさま~~!」
カップを小突き合ったのち、ルナは少量のエールを喉に流した。
普段、果実酒ばかりを飲んでいるからか、エールの苦味と泡が少しきつい。こんなことなら遠慮せずに果実酒を頼んでおけばおけばよかった。
そんなことを考えていると、店の扉が開かれた。
中に入ってきたのはヴァネッサとオルヴィ、ドーリエだ。ソレイユの幹部だからか、あるいは古参であり8等級挑戦者だからか。改めてみても彼女たちにはどこか強者の風格がある。
彼女たちを見るなり、マキナが立ち上がってカップを持ち上げる。
「マスター、おかえんなさーい!」
「ったく、相変わらずマキナは元気だねえ」
「マキナさんはそれだけが取り得ですからね」
「そうそう、わたしから元気をとったらなにも残らない――って、ちょっとユインちゃん、それひどくない!?」
マキナとユインのやりとりで酒場内が一気に明るくなる。
そんな空気の中、オルヴィとドーリエが酒を注ぎにいく。ヴァネッサはというと、ひとり2階の階段へと向かおうとしていた。が、途中でこちらに気づいて足を止める。
「ん、珍しいのがいるね」
ヴァネッサはアッシュとよく2人で酒を飲むほどの仲だ。もしかしたら自分がここにいる事情を知っているかもしれない。そんなこともあってばつが悪い気分になり、ルナは思わず視線を下向けてしまう。
そんなこちらの心情を読み取ったかのように、ユインがすぐさま答えてくれる。
「わたしたちが連れてきたんです」
「……そうかい。ゆっくりしていきな」
訝るような視線を向けてきたのも一瞬。ヴァネッサはとくに意に介した様子もなく、笑みを残してそのままそばを通りすぎようとする。
なにも訊かれなかった。
それが逆に不安を駆り立てられた。
「アッシュからなにか聞いてたりするのかな」
ルナは気づけばそう口にしていた。
ヴァネッサが足を止めると、目を細めながら訊いてくる。
「なんだ、気になるのかい」
「そういうわけじゃ……あるかも」
嘘をついたところで見抜かれてしまうと思い、とっさに言い直した。ヴァネッサが少しの間、じっと見つめてきたのち、ふっと笑みをこぼした。
「なにも聞いちゃいないよ」
「……そっか」
ほっとしたと同時にどこか残念な気持ちが湧いた。もしかしたら自分のことについて、アッシュが相談してくれているかもしれない。そんなことを心の隅で期待していたのだ。
――自分からチームを抜けておいて、なんて調子がいいんだ、ボクは……。
そうして胸中で自嘲していると、ヴァネッサが優しく肩に手を置いてきた。
「ま、詳しい事情は知らないが……行き場がないってんなら好きなだけここにいな。ソレイユはあんたを歓迎するよ」
彼女は柔らかに微笑みながら周りを見るよう視線で促してきた。ルナは顔をあげると、店内にいるソレイユの全員に笑顔で迎えられた。ヴァネッサの言葉どおり全員が歓迎してくれているのがありありと伝わってくる。
「……ありがとう」
ソレイユはいい場所だ。
もしこのままジュラル島に居続けるのなら世話になるのもいいかもしれない。
そう思いながら、ルナはエールを軽く口に含んだ。
……一口目よりも苦い味がしたのは、きっと気のせいだ。
◆◆◆◆◆
ルナは酒場をあとにし、最近住みはじめた宿へと向かっていた。
ソレイユの酒場と同じ通りにあり、価格は620ジュリー。最近、散財してしまったこともあり決して余裕はないが、保管庫つきとなるとそこを選ぶほかなかった。
間もなくして右手側に宿が見えてくる。
少し濃い赤色で彩られた2階建ての箱型。泊まった回数が少ないこともあり、まだ自分の宿という感じがしない。
街灯はもう消えているが、あちこちの建物から漏れる灯で視界は確保できている。ただ、ちょうど宿の前だけは灯がほとんどなく暗かった。
そこになにやら2つの人影が見える。
いったい誰だろうか。
ルナは足を止めたのち、目を細めて正体をさぐる。
最近では《ルミノックス》が消滅し、治安はかなりよくなったジュラル島だが、荒くれ者がいないわけではない。いつでも背負った弓、携帯した短剣を抜けるように警戒しつつ、ゆっくりと距離を詰める。
「ルナさんっ」
その声とともに影のひとつが動きだした。
近づくうちにその正体があらわになっていく。
肩にかかる程度の柔らかそうな髪を揺らし、ローブに身を包んだ小柄な女性挑戦者。声からすでに確信していたが、その正体は元チームメンバーのクララだった。
「……クララ?」
駆け寄ってきた彼女が目の前で足を止める。
その後ろから続いて、もうひとりもその姿をさらした。
凛々しい顔立ちに、後ろでひとつに結った長い金髪。すらりとした手足が特徴的な女性挑戦者。同じく元チームメンバーの槍使いラピスだ。
「ラピスも……」
「わたしは付き添い。クララについてきてほしいって言われたから」
まるで自分は乗り気ではなかったと言いたげだが、実際のところはわからない。なにしろ彼女は人一倍優しい心を持っている。クララに動くよう促した可能性すらある。
「こんな遅くに出歩いたら危ないよ。って、ラピスがいるから大丈夫か」
「どうしてもルナさんと話がしたくて……」
クララが両手にぐっと拳を作りながら必死な顔を向けてくる。彼女の目があまりに真っ直ぐで、ルナは思わず視線をそらしてしまう。
「チームのこと、かな」
「うん……あたし、ルナさんに戻ってきてほしい」
クララが目の前に現れた時点で予想していた言葉だった。
ルナはあらかじめ用意していた言葉を返す。
「理由は話したよね。これから先、ボクがきみたちと一緒にいれば必ず足手まといになる。そしてボクは足手まといにはなりたくない」
「あたしなんかよりもずっとずっとすごいのに……ルナさんで足手まといになるなら、あたしなんて1階から足手まといだよっ」
クララは戦闘訓練を受けて育っていないこともあり、チーム内で失敗をすることも多かった。だから不必要に自身を〝弱い〟と思い込んでしまっているのかもしれないが……。
「クララ自身が思ってるよりクララは強いよ。きっとクララなら、みんなと一緒に100階まで辿りつけるはずだ」
ルナはあくまで他人事として言い放った。
悲しげに揺れたクララの瞳を前に、胸が締めつけられたように痛んだ。思わずべつの言葉を出してしまいそうになるが、ぐっと堪えた。
と、一歩引いたところで様子を見守っていたラピスが前へと出てきた。
「あとからチームに入った身で口出しなんてと思っていたけど……我慢ならなくなったから言わせてもらうわ」
少し苛立たしげに息を吐いたのち、彼女は鋭い目を向けてくる。
「アッシュが本当にそれだけを見ていたと思ってるの? あなたをチームに誘ったときのことは詳しく知らないけど……それでも、アッシュがただ力だけを見てあなたを誘ったとは思えない」
「そんなことはわかってる!」
思わず声を荒げてしまった。
さらに溢れそうになった感情を、爪が食い込むほど拳を握って堪える。
「わかってるから……余計に辛いんだ」
温情でチームに置いてくれている。
そう考えてしまうと、どうしようも惨めな気持ちになった。
たとえ温情でなかったとしても力不足は事実だ。
6等級も、7等級もまだよかった。ただ格段に敵が強くなった8等級階層からは、どうにか誤魔化してきた力不足が露呈した。
仮に80階を突破できたとしても、まだ先はある。
果たして竜種よりもさらに強い敵たちを前にして自分の矢は通用するだろうか。
アッシュだけではない。
クララやラピス、レオ。
大切な仲間たちを自分のせいで傷つけてしまうかもしれない。そう考えるとどうしようもなく怖くなってしまったのだ。
「……ごめん」
これ以上、話していたらひどいことを言ってしまうかもしれない。
ルナはクララたちのそばを全力で駆け抜けた。「ルナさん!」と後ろからクララの声が聞こえてくる中、宿へと飛び込んだ。急いで取っ手を内側から固定したのち、扉に額をこつんと当てる。
……これでいい。これでいいんだ。
アッシュたちにとっても、自分にとってもこれが最高の選択だ。
そう、ルナは自身に言い聞かせた。





