◆第十話『アジ・ダハーカ戦②』
空気を叩いただけとは思えない重く鈍い音が鳴り響いた。
とてつもない衝撃波に見舞われ、アッシュは広間奥に向かって右方へと吹き飛ばされる。反対側ではラピスも同様に弾かれていた。
レオだけは敵の正面で踏ん張っている。
だが、その前に赤く彩られた熱の旋風が現れていた。
その身をうねらせながら蛇行し、猛然と進んでいる。
直径は人5人を横並びにした程度だが、周囲へと凄まじい風を飛ばしているため、実際の影響範囲はかなり広い。
相当な威力を秘めていることは明らかだが、レオだけなら耐えられる可能性はある。しかし後方に控えるクララやルナたちへと危害が及ばないようにと考えてか、レオは即座に《虚栄防壁》を展開。赤の旋風へとぶつけていた。
「ぐ……っ!」
「レオさんっ!」
がりがりと《虚栄防壁》が削られ、一瞬にしてレオの顔が険しくなる。すぐさまクララから《ヒール》がかけられ、レオがなんとか持ち直した。
長いようで一瞬の衝突が止み、赤の旋風が消滅する。あわせて赤色の風によって遮られていた視界が晴れる。が、もとの位置に敵はいなかった。
アッシュは床に落ちた影から瞬時に天井のほうを見やる。
「上だ!」
敵は悠々と広間の上空を飛んでいた。
次はどんな攻撃をしてくるのか。
全員が身構えたと同時、敵の6つの目が同時に赤く煌いた。
呼応するように広間の床一面に格子状の赤線が浮かび上がる。矩形で区切られた間は、ちょうど人ひとりが入れる程度の大きさだ。
「な、なにこれっ」
クララの動揺する声が聞こえてくる。
赤線がどんな攻撃かは予測がつかない。
ただ、直感的に線上に立っているとまずいことだけはわかった。
「線上に立つな!」
全員がまろぶようにして線上から逃れ、矩形の中へと入る。直後、敵の耳をつんざくような咆哮にあわせ、赤線から天井へと光が迸った。
次いで、きぃんと耳鳴りに近い音が聞こえてくる。鳴らしているのはおそらく周囲を区切る、いまや赤い壁となったものだ。考えたくはないが、線上に乗ったままだったなら体が切断されていたかもしれない。
赤い壁越しに仲間の姿はうっすらと窺える。
どうやら全員無事のようだ。
しかし、安堵する暇はなかった。
敵が旋回速度を上げると、連動したように無数の魔法陣が上空に描かれた。それらは大の大人と同程度の長さ、太さを持った赤色の柱を生成。すべての矩形の間へと漏れなく1本ずつ落としてくる。
身を端に寄せれば避けられなくはないが――。
ふいに赤い壁がすっと消滅した。赤線も消滅している。アッシュはすぐさま矩形の間から逃れ、先ほど赤線が交差していた箇所に身を置いた。ほかのメンバーも同じような回避行動を選んだようだ。
すべての赤色の柱がほぼ同時に落ちた。柱は倒れることなく、床に突き刺さったようにぴたりと止まる。魔法の類とあって停止と同時に消滅するかと思いきや、その気配はない。
敵によって生み出されたものが近くにある。危機感……いや、嫌悪感といったほうが正しいかもしれない。その感情によってアッシュは半ば無意識に破壊する方向で思考を働かせる。
とはいえ、そばにあるものを破壊することに抵抗があった。とくに奇をてらった攻撃でなかったことも理由だ。80階の主による攻撃がこんなもので終わるはずがない、と。
アッシュは瞬時に斬撃を繰りだし、少し離れた箇所の柱を攻撃する。と、上下に分断された柱がカッと閃光を放ち、破裂音とともに周囲へと爆風を飛ばした。ちょうど先ほどの矩形の間を覆うような小規模な範囲だ。
「この柱、爆発するぞ! すぐに離れたところの柱を壊して、そこに逃げるんだ!」
アッシュはそう指示を飛ばしながら、いましがた破壊した柱のあった場所へと移動する。仲間たちも倣って離れたところの柱を破壊しはじめる。
これで大丈夫なはずだ。そう思ったとき、視界の端で映ったものに違和感を覚えた。もっとも最後に柱を破壊したのはレオだ。そのレオによって破壊された柱の爆風がほかよりも大きかったのだ。偶然か。いや――。
よく見れば、柱の赤色が最初より濃くなっていた。
いまもその色はどんどん濃くなっていく。
一気に膨れ上がった危機感から、アッシュは反射的にハンマーアックスを手放し、スティレットを抜いた。自身を囲むように床を斬り、属性障壁を展開する。
それから轟音が響いたのと、視界が赤い煙で覆われたのはほぼ同時だった。衝撃が全方向から押し寄せ、体を叩いてくる。遅れて肌を焼くような痛みが襲ってくる。
ただ、派手な攻撃にしては大した損傷はなかった。
どうやら属性障壁も多少は効果があったらしい。
それにしても先ほどの赤い柱の攻撃――おそらく時間経過で爆発の威力が増加するのだろう。もっと早くに気づくべきだった。いや、たとえ気づけたとしても対処する時間はほとんどなかった。
「みんな、無事か!?」
赤い煙が晴れていく中、アッシュは大声で叫ぶ。
「……わたしは大丈夫」
向かいから聞こえてきたのはラピスの声だ。
どうやら彼女もとっさに属性障壁を展開していたらしい。氷壁で周りを囲んでいる。赤の属性に有効な青の属性とあって完璧に防げたのか、氷壁から飛び出てきた彼女の身にはひとつとして傷が見当たらない。
「僕もなんとか……ね」
続いて広間中央に陣取っていたレオが声をあげた。無傷ではないようだが、膝を折るほどではなかったようだ。顔を上げて無事を報せてくる。
残るは後衛組だが――。
アッシュはそちらを見た瞬間、顔を歪めてしまった。
「ルナさんがわたしを庇って……!」
爆発の影響で焦げたのか、黒ずんだローブに身を包むクララ。その彼女のそばにルナが倒れていた。意識はあるようだが、かなり状態がひどいらしい。クララが必死に《ヒール》をかけているが、いまだ立ち上がれていない。
クララは《ヒール》を使える。その役割はチームにおいてもっとも重要といっても過言ではない。ルナのことだから、おそらくそこまでを瞬時に判断し、自身を犠牲にしてクララを庇ったと思われるが――。
その痛ましい姿に胸が締めつけられるような思いに駆られていると、最奥の壁から温風が漂ってきた。敵が高度を下げた状態で滞空している。
どうやら一連の凄まじい連続攻撃はまだ終わりではなかったようだ。敵は凶暴さをふんだんに孕んだ咆哮をあげると、仕上げとばかりに3つの口から火炎のブレスを下方に吐きはじめた。
まるで掃除をするかのように火炎の壁が緩やかに迫ってくる。試練の間の広い横幅をすべて覆っている。逃げ場はない。
アッシュはラピスとともに入口側の壁へと走り、距離を稼ぐ。
レオがその場に留まり、盾を打ちつけようとしていた。おそらく《虚栄防壁》を生成するつもりだろう。
ただ、まともに受ければ、いくらレオでも耐え切れるとは思えない。たとえクララの《ヒール》があってもだ。それほどまでに敵のブレスは劫火のごとく激しさを持っている。
「使うな、レオ! 死ぬぞ!」
「でも、このままじゃみんなが!」
なにか方法はないか。
全員が助かる方法は……。
アッシュは頭の中で思考を巡らせると、ある映像が脳裏に浮かんだ。それは青の塔の78階で岩の塔を突破したときのものだ。クララの手に持たれた戦利品――。
「クララ! 《ツナミ》だ!」
アッシュは後衛組のところまで駆け寄ると、ルナを担いだ。
ほぼ同時、はっとなったクララが即座に右手を敵へと突きだした。《ツナミ》の魔石と青の属性石8個を埋め込んだ9等級の腕輪がきらりと煌く。クララのすぐ目の前の床から横一線に水がせり上がっていく。
試練の間の横幅すべてを覆うほどではないが、それでも半分程度には達している。見上げるほどまでせり上がった《ツナミ》が、まるで倒壊する建物のように敵側へと傾いていく。
「全員、波に飛び込めッ!」
クララが目をつぶりながら先に飛び込んだ。続いてアッシュはルナを抱きながら、生成された《ツナミ》に身を投げる。
炎まみれの先ほどまでとは打って変わって清涼な感覚に身を包まれる。ただ、そこに心地良さを感じたのも一瞬。とてつもない衝撃に全身を襲われた。
どこが前後左右なのかまったくわからない。
いま、試練の間のどこにいるのかもわからない。
あまりに激しい流れに目を開けることすらままならなかった。ただ、ルナだけは守らなければならないと必死に抱きつづけた。
やがて勢いが止まったのは体を包んでいた水気がなくなったときだった。アッシュは頭を振って目を開ける。と、ちょうど《ツナミ》を形成していた水が床に染みこむようにして消えるところだった。
ほかの仲間も無事に《ツナミ》から生還したようだった。レオは重鎧のせいか、中途半端に流れたらしい。いまだ広間の中央付近で立っている。
腕の中でルナが咳きこんだ。
どうやら息はあるようだ。
安堵したいところだが、そんな余裕はなかった。敵がまたも先ほどと同じ攻撃――ブレスを、今度は入口側の壁際から奥側へと向かって吐きはじめたのだ。クララが心底いやそうな声をあげる。
「げ、また!?」
「クララ、もう1発いけるかっ!?」
「わ、わかった!」
クララが再び《ツナミ》の生成に入る中、アッシュは腕の中のルナへと声をかける。
「ルナ、もう少しだけ我慢してくれよ」
「……うん」
目を開けたルナが穏やかな表情ながら苦しげな吐息をもらした。直後、クララによる《ツナミ》が生成された。アッシュは仲間とともにまたも水の奔流へと身を投じる。
二度目とあって慣れたかと思いきや、そんなことはなかった。むしろ体力を消耗した状態とあって《ツナミ》による強引な回避を終えたとき、全身はひどく重くなっていた。
「アッシュ!」
ラピスが髪についた水気を振り払いながら叫んだ。
続行か撤退かの選択を迫っているのだ。
ほとんど敵に有効な攻撃を与えられていないうえにルナが負傷している。仮にルナの負傷を《ヒール》で癒せたとしても、その間のレオの補助がなくなることを考えれば、かなり悪い状況だ。
幸いゴブレットは6つ目まで灯っている。
ならば選択はひとつしかない。
「撤退するぞ! レオ、後退だ!」
「了解!」
敵は最奥の壁付近に着地していた。どうやら最初の攻撃パターンに戻ったらしく、3つの口を大きく開きながら、もっとも近い標的――レオへと火球を放ちはじめた。
それらをラピスが斬撃を放ち、クララが《フロストバースト》で迎撃していく。赤と青白い光が炸裂する中、レオがなんとか合流。そのまま流れるように全員で転移魔法陣へと飛び込み――。
試練の間から完全に撤退した。
◆◆◆◆◆
「もう大丈夫。ありがとう、クララ」
「こっちこそありがとうだよ。わたしを庇ったせいで……」
「気にしないで。ヒーラーを守るのは当然だからね」
クララにそう微笑みかけながら、ルナがゆっくりと立ち上がった。
試練の間から逃れたのち、すぐさまクララがルナへの《ヒール》を開始。そのおかげもあって、ルナは万全とはいかないまでも歩ける程度にまで回復していた。
「それにしても敵の本気、凄かったね。さすが80階の主って感じだよ」
クララが試練の間のほうを見ながら杖をぎゅっと握った。
どうやら彼女はあれが敵の本気だと思っているようだ。その可能性はないとも言い切れないが……アッシュは冷静に思ったことを伝える。
「いや、たぶんまだ狂騒状態に入ってすらいない」
「え、でもあんな変わった攻撃してきたのに」
よほど信じたくないのか、クララが抗議まじりの目を向けてきた。そんな彼女へとラピスが淡々と告げる。
「わたしもアッシュと同じ意見。なにより大した損傷も与えてないし」
「う、嘘でしょ……あれよりまだ強くなるのぉ……」
嘆くクララを見ながら、レオが苦笑する。
「途中まではもしかしたらと思ったけど、やっぱりそう簡単にはいかせてもらえないね」
「けど、敵の攻撃に関してはある程度対処できそうだ。あとはどうやって効果的に攻撃するかだな」
「その辺も含めて、また話し合わないとね」
「ああ。っても、とりあえず今日はこれで切り上げだ」
まだ正午前後とあって狩りをする時間は充分にある。だが、全員の疲労が思った以上に激しい。とくにルナの体が心配だ。ここは素直に休日をとったほうがいいだろう。
アッシュは悔しい気持ちを呑みこみ、塔の外縁のほうへと足を向ける。
「ねえ、みんな。聞いてほしいことがあるんだけど、いいかな?」
そう言ったのは、ただひとり足を止めていたルナだ。
彼女を除いた全員が振り向いた。
いったいどうしたのか、とアッシュは思う。
だが、生まれた疑問はすぐに解決した。
悟ってしまったのだ。
悔しさと寂しさが織り交ぜたような、彼女の瞳を見た瞬間に――。
ルナの口がなめらかに動き、ひどく冷め切った声をもらす。
「ボク、このチームを抜けようと思うんだ」





