◆第五話『夜のスカトリーゴ』
緑の塔をあとにしたのち、中央広場へと戻ってきた。
ちょうど日が落ちはじめ、建物が赤く滲んでいる。
やはり朝から夕方までの狩りが一般的なのか。
広場は狩り後と思しき挑戦者で大賑わいだ。
「いやー、思った以上にきつかったなー。あれは攻略しがいがありそうだ」
アッシュは人ごみを避けて歩きながら、緑の塔11階のことを思い出していた。
視界の悪い地形の中、スケルトンをどう攻略するか。
考えるだけでも楽しくなる。
それもこれも様々な手段を選べる環境があるからだ。
自分の力だけでなく、道具も上手く活用しなければならない。
試練の塔にはなかった難しさがジュラル島の塔にはある。
「緑の塔攻略の永久停止を提案します……」
後ろから抑揚のない声が聞こえてきた。
振り返れば、どんより曇った顔でついてくるクララの姿。
緑の塔11階から逃げ延びて以降、ずっとこの調子だった。
「それじゃ神に挑戦できないだろ」
「だ、だって芋虫だよ!? ウネウネだよ!?」
「そりゃ、芋虫ならうねるぐらいはするだろ」
「ただでさえ気持ち悪いのに、それがあんなにでっかくなってるなんて……思い出しただけでも吐きそう……」
うっ、と呻きながら両手を口へ持っていく。
演技でもなんでもなく、本気で具合が悪そうだ。
「偵察して正解だったな。次からは心構えをしてから挑める」
「アッシュくんの鬼、悪魔ぁ……」
「ま、なにはともあれ今日の狩りは終わったし、腹を満たさないとな」
いつまでも気を張っていたら疲れが溜まる一方。
切り替えが大事だ。
「あたし、実はお腹ぺこぺこだったり」
「じゃあ決まりだな。どっかで食べていこうぜ」
「うん。あのね、行ってみたいところあるんだけど、いいかな?」
「おう、構わないぜ」
「スカトリーゴってお店。あれあれ、あの人だかりができてるところ」
「あ~、あそこか」
クララの指差した店は広場の隅に構えており、通りに侵食するようテーブルや椅子を出している。以前、レオにジュースを奢ってもらった店だ。
「昼間と違って夜は一定料金を支払えばいくらでも食べられるみたいなの」
「へー、そりゃ助かるな」
魔物との戦闘は体力をかなり消耗する。
必然的に多くの食事をとらないと体がもたなくなるのだ。
「といってもあたしはアッシュくんと違って友達いないから……昼間にも行ったことないけど……」
「いや、あれは友達かは怪しいな」
「え、そうなの。じゃあ、あたしと一緒だねっ」
「そんな嬉しそうに言うことでもないけどな。大体、俺とクララで2人なんだから友達いないわけじゃないだろ?」
「アッシュくんは友達じゃなくて、そ、その……あ、あいぼーだからね」
「恥ずかしいなら無理して言うなよ」
そんな会話を交わしつつ、目的の店スカトリーゴに向かった。
遠くからでも見えていたが、かなりの人だ。
ほんの少し列に並んだのち、ミルマに料金を支払って簡易の入場口を通る。
「400ジュリーか……意外とするな」
「ご、ごめん」
「まあ、今日は10階の攻略もしたしな。褒美ってことでいいだろ」
すでにブランには10日分の家賃1000ジュリーを払ってある。
ガマルの胃袋はスカスカになるが、たまには贅沢も必要だ。
トレイにどでかい皿を載せたあと、料理が並ぶ区画へと向かう。
海産物や野菜が中心の品目が多く、肉は少々といったところ。
ほかに目を引くのはデザートの種類の多さだ。
色とりどりのケーキやゼリー、アイスが置かれている。
一度の来店ではとてもすべてを楽しめそうにない。
クララが来たがっていた理由は間違いなくこのデザート群だろう。
脂っこいものを食べたい気分だったので、申し訳程度に並んだ肉料理を適当に取り分けていく。と、クララが皿を覗いてきた。
「うわぁ、油まみれだ……」
「がっつり食いたいんだよ」
「野菜も食べたほうがいいよ。貸して」
「あ、おいっ」
皿を奪ったクララが勝手に料理を盛りつけはじめる。
みるみるうちに緑赤が足され、肉肉しさが一瞬にして消滅した。
完成した鮮やかな皿――というよりリーフで埋まった大自然をふんだんに感じる皿を得意気に渡してくる。
「はいどうぞ」
「……ありがとうな。あまりの親切心に涙が出るぜ」
「どういたしまして」
言って、屈託のない笑みを向けてくる。
本気か冗談なのかわからないところが恐ろしい。
これから彼女と食事をともにするときは少しでも野菜を入れたほうが良さそうだ。
「あとは飲み物か」
「ね、飲み物の横に料金書いてあるように見えるんだけど……気のせい?」
厨房に面した受付の上、かけられた木の看板を見ながらクララが言う。
「いや、気のせいじゃないな」
品名の横にきっちりと料金が記されている。
酒類は100、ほかは大体50ジュリー前後だ。
と、ちょうど店員がそばを通りかかったので呼び止めた。
「あー悪い。もしかして飲み物は金かかるのか?」
「はい、別料金となっています」
とても良い笑顔で答えてくれた。
勝手に飲み物も無料だと思っていたが、どうやら違うようだ。
「……明日から頑張るか」
「う、うん……」
さすがに飲み物なしで食べるのは厳しい。
渋々ではあるが、適当なものを選んで注文した。
「あとからあわせてお持ちしますね」
とのことなので先に席を捜しはじめたのだが……。
「全然空いてないな」
「おーい、アッシュくーん」
少し離れたところでクララが手を振っていた。
「あそこ空くみたい」
彼女が指差した先、店員が3人席の机を片付けていた。
そばで待っていると、テーブルを拭き終った店員が「どうぞ」と声をかけてくれた。
クララとともに料理を置いて席につく。
「助かったな」
「うん。でも、ほんと多いね」
「こんなにいたのかって思うぐらいにな」
客は40人近くといったところか。
島の人数を考えれば相当な数だ。
入口では入場制限も始まり、店員が頭を下げては客を追い返している。
「それにしても女ばっかりだな」
幾人かミルマが混ざっているものの、ほとんどが人間――挑戦者だ。
酒場が男臭くて近寄れないからか、単純にこの店が人気だからか。
「野菜がメインだし、デザートの種類も多いからかな~」
「いずれにせよ、これは俺ひとりじゃ来られない店だな」
「あたしに感謝してもいいんだよ?」
「女でもひとりじゃ無理だった奴がよく言うぜ」
「そ、それ言うの反則だよ~……っ!」
そうしてクララをからかうのもほどほどに、アッシュは盛り付けた皿に目を落とした。
「ま、とりあえず食おうぜ。もう腹が減ってどうにかなりそうだ」
「あたしもー。じゃあ、いただきまーっす!」
クララが元気に挨拶をして料理に手をつけた。
こちらも皿を覆う野菜たちを速攻で片付け、その奥に眠っていた肉たちを食しはじめる。
疲れた体に大量の肉汁が染みこんでいく感覚。
至福以外のなにものでもない。
そうして心を満たされながら咀嚼していると、視界に見知った人物を見つけた。
ひとつに結われた長い金の髪を揺らす女性――ラピスだ。
相変わらずの目立ち具合で、あちこちから視線を集めている。
なにやら席がなくて困っているのか。
料理の盛られた皿を手にきょろきょろしている。
アッシュは慌てて口の中のものを呑み込み、声をかける。
「おい、ここ空いてるぞー」
相手もこちらに気づいたようだ。
苦渋の決断といったようにひとしきり悩んだあと、席までやってきた。
テーブルに皿を置いてから威嚇するような目を向けてくる。
「いい? 席が空いてなくて仕方なくだから」
「わかってるって」
「でも、ありがとう」
ぼそりとそう零して席についた。
ツンケンしながらも礼を言ってくる辺り律儀な人間だ。
ふいにクララからぐいっと腕を引っ張られた。
「ちょ、ちょっとアッシュくんっ!」
互いに頭を下げた格好になると、彼女は焦りに満ちた顔を近づけてきた。
「説明してくれるかなっ」
「あー、あいつはラピスだ」
「知ってるよ! 超有名人だもん! そうじゃなくて、なんでアッシュくんがあの人と知り合いなのって聞いてるのっ」
「たまたまジュラル島に来た初日に出逢ったんだよ」
「たまたまって……本当に?」
疑わしいとばかりに目を細めるクララ。
どうやら女性関係の信用はいっさいないらしい。
「でも大丈夫なの? すごい怖い人って聞いたことあるけど」
「たしかに無愛想だが、良い奴だぜ」
そう答えたとき、「ねえ」とラピスから声をかけられた。
「邪魔だったら席外すけど」
「あ~悪かった。こそこそ話してたら気分悪いよな。誓って言うが、べつに悪口とかじゃないからな」
「べつに、そういう意味で言ったわけじゃ――」
「お待たせしました。こちらマスカとハニーミルクになります」
ちょうどいいところに飲み物が運ばれてきた。
アッシュは鮮やかな紫の液体が入ったカップ――マスカを受け取る。
残りのハニーミルクは2つ。
どうやらラピスもクララと同じものを頼んだようだ。
「あなたは……」
店員が立ち去ることなく、こちらをじっと見つめていた。
よく見れば覚えのある顔だった。
初日、ダリオンといざこざを起こしたとき、注意をしてきたミルマだ。
たしか名前はアイリスといったか。
彼女は無言で鼻先がつきそうなほど顔を近づけてくる。
「……俺になにか用か?」
「いえ、なんでもありません」
「そのわりに、えらく顔近つけてくるな」
「勘違いしないでください。わたしはこれっぽっちもあなたに興味はありませんから」
彼女はスンスンとニオイを嗅いだのち、ようやく離れてくれた。
なぜか鋭い目でひと睨みしたあと、「それでは失礼します」と去っていった。
「アッシュくん、なにしたの? すごく怒ってたように見えたけど」
「いや、なにもしてない」
「大方、しつこく言い寄ったりしたんでしょう」
「……俺をなんだと思ってるんだ」
ラピスがハニーミルクを一口飲んだあと、一言。
「好色家」
「わかるっ!」
なぜかクララが同意していた。
しかも前のめりになりながらだ。
「散々な評価だな。っていうかクララも乗るなよ」
「だってほんとのことだもん」
なにもおかしくはないとばかりにクララが無表情で応じる。
ラピスを見れば、知らん振りといった様子で顔をそらしていた。
アッシュはため息をつきながら、マスカに口をつける。
初めて見る果実酒名だったので試しに頼んでみたのだが……。
「お、美味いな」
濃厚な甘味を感じるものの、すっきりとして飲みやすい。
少し酸味が強いが、肉にはよく合いそうだ。
もう一口含んでいると、クララがツンツンと腹をつついてきた。
「ねね、あたしも飲んでみたい」
「ほらよ」
「ありがと」
カップを両手で包むと、その小さな口を恐る恐るつけた。
「あ、おいしーかも」
「はい、終わりだ」
まだ飲もうとしていたので即座にカップを取り上げた。
「えぇ、まだちょびっとしか飲んでないよ!」
「子供にはまだ早い」
「子供って、あたしもう大人だよっ」
「何歳だ?」
「じゅ、じゅうろく歳だけど……」
クララは恥ずかしげに口を尖らせながら答えた。
幼いとは思っていたが……。
「やっぱりまだ子供じゃねぇか」
「あ、あたしの育ったところだと16歳はもう立派な大人なの!」
「酒を飲んでいいかは別だ。その証拠にもう顔が赤くなってるぞ」
「うぅ……」
酔ってはいないようだが、クララの頬は少し赤らんでいた。
肌が白いせいか余計に目立つ。
「まるで兄弟ね」
ラピスが感情の読み取れない声で言った。
「世話の焼ける妹だ」
「むぅ……どうせあたしは子供ですよーだ」
クララはすっかり拗ねてしまったらしい。
頬を膨らませながら黙々と食事をはじめた。
彼女は怒っていると主張したいようだが……。
そのあどけない顔のせいでまったく怖くない。
むしろ可愛いとさえ思うぐらいだ。
「ねえ、何階まで行ったの?」
ふいにラピスが訊いてきた。
「驚いたな。そっちから訊いてくるなんて」
「少し気になっただけ。べつに意味はないわ」
「そうだな……だったら逆に質問だ。何階だと思う?」
ラピスは少しの間悩む素振りを見せたあとに答える。
「赤・青・緑・白・黒」
「その評価は高いのか?」
「一応、高くしてるつもり」
「買ってくれてるのか」
「あなたのことは嫌いだけど、なんとなく」
そう答えたあと、彼女は手にした野菜とハムのサンドイッチをかじる。
ただそれだけの動きなのに妙な上品さがあった。
「11・9・11・0・0だ」
ラピスがぴたりと動きを止めた。
ただ、すぐに咀嚼を再開して嚥下。
ハニーミルクを一口飲んだ。
「少しはやるのね」
「だろ。……と言いたいところだが、クララがいてくれたからだ」
「え、あたし……?」
「クララがいなかったら、まだ10階で手こずってると思う」
「そ、そんなことないよっ。あたしはなにもしてないっていうか、ほとんどアッシュくんのおかげだしっ」
先ほどまでの不機嫌な様子はどこへやら。
クララは慌てた様子で口を動かしている。
ただ、まんざらでもないようで口元が見るからに緩んでいた。
そんなクララをよそに、アッシュは自嘲気味に言う。
「でも、今日はボロ負けだった」
「11階からがらりと変わるものね」
「なあ、ラピスはどうやってスケルトンを倒してたんだ? 槍だと結構面倒だろ」
「べつに。頭のてっぺんから左右真っ二つに切り裂けば倒せるから」
「てっきりハンマーで粉砕か、四肢と頭部を切り離すかだけかと思ってたが、それでもいけるのか」
「綺麗に裂かないと消滅しないけどね。でも、ここに来るぐらいの技量があれば難しくないでしょ」
どこか値踏みでもするかのような目を向けてくる。
「あなたの得物って、たしか短剣だったはずよね」
「ああ。やっぱ斧かハンマー辺りを造るか……いっそ俺も槍でいくのもありか」
「付け焼刃じゃ厳しいと思うけど」
「自慢じゃないが、大体の武器なら使いこなせる」
ここで大抵の人間は疑うか驚くかするのだが、ラピスはそのどちらでもなかった。ただ興味がないだけなのかもしれないが。
「だったら長剣が無難じゃないの?」
「あ~……さっきの訂正だ。長剣だけは使えない」
「短剣が使えて?」
「小さい頃に失敗して自分の腕を軽く切っちまってさ。以来、持つだけで手が震えてダメなんだ」
「そう」
相変わらずの素っ気ない返事だったが、いまはそれに救われた。
「まあ、武器を変えたところでスケルトンの処理が楽になるだけだから。あれに手こずるようだともう少し強化が必要なんじゃないの」
「とは言っても、なかなか強化石も手に入らないしな」
「低層だと余計にね」
会話をしているからか、ラピスの皿の減りは遅い。
だが、彼女は嫌がる素振りも見せずに付き合ってくれる。
「ねえ、委託販売所には行った?」
「なんだそりゃ?」
「ミルマを介してほかの挑戦者と道具を売り買いできるところよ」
「へー、そんなところがあるのか」
そう答えると、ラピスが見るからに怪訝な顔をした。
その切れ長の目を、ぽけーと話を聞いていたクララに向ける。
「あなた……結構前から見たことあったけど、彼に教えてなかったの?」
「し、知ってたけど、行ったことなくて……」
「クララは人見知りなんだ」
「うぅ」
ハニーミルクの入ったカップを口にしながら、クララは首を縮める。
ラピスが呆れたとばかりに息を吐いた。
「とにかく委託販売を利用することをオススメするわ。ただ、もうそろそろ閉まると思うから、行くなら明日がいいかも」
「そうする。ありがとな、色々教えてくれて。すっげータメになった」
そう礼を述べた途端、ラピスの目が泳ぎはじめた。
「べ、べつにわたしは親切で教えたわけじゃないから。ただ、相席を許してくれたお礼にって……っ」
先ほどまでとは打って変わってラピスの食事の手が早まった。
ぱくぱくと口の中に放り込んでいき、あっという間に食べ終わってしまう。
ラピスはハンカチで口を拭き、勢いよく立ち上がる。
「ご馳走様。わたしはこれで失礼するわ」
「おう、またな」
名残惜しむ間もなく去っていく。
怒涛の出来事だったからか、クララがぽかんと口を開けていた。
「い、行っちゃった……なんだか怒ってたように見えたけど……」
「たぶん照れてるだけだ」
きっといつもひとりなのも、それが理由だろう。
なんとも難儀な性格だ。
そう思いながら、アッシュは尻尾のように揺れる金髪を見送った。





