◆第九話『アジ・ダハーカ戦①』
敵が大口を開け、挨拶とばかりに火球を放ってきた。
頭部は3つ。当然ながら3発同時だ。
アッシュは右方へ、ラピスは左方へと回避する。
「後衛の2人は僕の後ろに!」
そう叫びながら、レオが横並びに飛んでくる火球のうち、中央の火球へと盾をぶつける形で突っ込んだ。左右の火球が壁に衝突し、轟音を響かせる中、晴れた黒煙の中からレオが無事な姿を見せた。
レオは続けて襲いくる火球をものともせずに敵へと一直線に向かっていく。やがて彼我の距離が大股10程度まで迫った、そのとき――。
敵中央の頭が顎を引き、火炎のブレスを吐いてきた。範囲こそあまり広くはないが、その勢いは通常階の地竜や飛竜のそれとは比べ物にならない。
レオがたまらず急停止し、ブレスの範囲外まで後退する。即座に接近は無理と判断したようだ。中距離から斬撃を放ち、敵の注意を引きつけはじめる。
その最中、アッシュは敵に向かって右方へ膨らむ形で敵の右側面へと駆けていた。逆側の左方ではラピスも同様の動きを見せている。普段の狩りでもお馴染みの陣形だ。
敵中央の頭はレオに夢中だが、左右の頭は接近するこちらの存在に注意を払っていた。近づかせまいと連続して火球を放ってくる。レオと同じように受けることはできない。第一に回避を選択しながら敵との距離を詰めていく。
視界の中、ラピスが一足先に敵に接近していた。だが、やはりレオ同様、大股10歩程度の距離まで踏み込んだところでブレスに迎えられ、後退を余儀なくされている。
「接近でブレス確定か! だったらッ!」
アッシュはさらに加速。
ブレスの射程圏内へと踏み込んだ。
敵の左頭が顎を引いた。勢いよく口を突き出すと同時、予想どおりブレスが吐き出される。火炎が視界のすべてを埋め尽くすが、構わずに駆けた。本来なら自殺行為だが――。
服を、肉を、骨を焼かれることはなかった。
かすかな熱は感じるが、戦闘に支障をきたすほどではない。
いまも胸元から白い光を放つ――《ドラゴンネックレス》の効果だった。その光と同様のものが薄い膜を張るようにして全身を包み、ブレスから守ってくれている。
だが、ブレスから身を守れる時間はそう長くない。アッシュは効果が切れる前にブレスの中を駆け抜け、敵の懐へと飛び出た。狙うは鱗のない腹。
勢いのままハンマーアックスの刃を押し当てる。ぐぐ、と弾力のある感触のあと、ぶちっと肉を裂くような音が鳴った。刃が敵の皮膚へと食い込んでいる。いくら鱗ではないとはいえ、予想以上の柔らかさだ。
そうして違和感を覚えた直後、自身の足下に影が差した。見上げた先、映り込んだのは間近まで迫った敵の左前足。黒々とした3本の凶暴な鉤爪が襲いくる。
アッシュは前方へと転がり、間一髪のところで回避。そのまま敵の股下をくぐり抜けたのち、ブレスを受けながら敵の攻撃圏内から完全に離脱した。
ブレスが止み、敵の攻撃が火球へと戻ったとき、アッシュは思わず目を瞬いた。斬り裂いた敵の腹がぐにゃりと蠢いたのち、ぼとぼとと粘液まみれの魔物を出していたのだ。
その姿はまさに巨大な爬虫類。
赤の塔6等級階層に出現する竜の下位種――ドレイクそのものだった。
3体のドレイクを生み出したのち、腹の傷はまるで初めからなかったかのようにあっさりと塞がってしまった。やけに柔らかいと思ったが……。
「みんな、腹はだめだ! ほかの弱点を探ってくれ!」
そう叫びながら、アッシュは敵が放った火球を躱す。が、3体のドレイクもまたこちらに接近しながら短射程の火炎のブレスを繰り出してきた。
さすがに回避できる場所が少ない。《ドラゴンネックレス》の効果で無効化したブレスを安全地帯にしてやり過ごしつつ、1体ずつドレイクを処理していく。
「鱗のあるところならいけるみたい! だけど……!」
聞こえてきたのはラピスの苦々しげな声。
彼女は敵の右前足の付け根を覆う鱗を削っていた。ちょうど人の足程度の切り傷をつけているが、ドレイクが生まれてくる気配はない。
ただ、問題はその傷の浅さだ。彼女の槍には青の属性石が9個装着されている。それほどの槍をもってしても、あの程度しかいまだ傷をつけられていないとは……思った以上の硬さのようだ。
腹は再生するうえにドレイクが生成される。
狙うのは鱗になるが、これは骨が折れそうだ。
となれば――頼れるのは後方火力。
「そろそろ大丈夫だ! クララくん、ルナくん!」
まるで示し合わせたようにレオの指示が試練の間に響き渡る。クララによる「待ってましたっ!」の声が聞こえてきた。レオの頭上を通り過ぎた《フロストバースト》が敵中央の頭に激突する――。
直前、赤みを帯びた透明な障壁が出現。ばしんと音を鳴らし、触れた《フロストバースト》を四散させた。敵中央の頭はクララの攻撃などなかったかのようにレオへとブレスと火球を吐き出しつづけている。
「うそっ、完全に無効化なのっ!?」
クララの愕然とした声が聞こえてくる中、今度はルナの矢が敵中央の頭に向かっていった。氷を散らしながら虚空を突き進んだそれは、まるで硝子を割ったような破砕音を鳴らして敵に命中する。
どうやら魔法と同じ遠距離攻撃でも物理は問題なく届くようだ。
が、敵の皮膚に目立った外傷は見られなかった。ルナが悔しげな声をもらす中、敵は頭を振って氷片を落としたのち、レオへの攻撃を再開する。
アッシュは士気が下がらないようにとすぐさま叫ぶ。
「それでも効いてないわけじゃない! そのままルナは敵の頭部を! クララはレオのヒールをメインにラピスの援護も頼む! ブレスや火球を消すだけでいい!」
仲間が指示に応じて動きはじめる。
アッシュは《ドラゴンネックレス》の恩恵を最大限に活かしながら敵に接近しては同じ箇所へと攻撃を続け、鱗を破壊していく。
敵の耐久力がおそろしいほど高いせいで戦況に変化はなかなか訪れない。ほぼ作業的に敵の攻撃を凌いでは攻撃をしかける。そんな一連の流れを繰り返す。そのせいか、時間の進みがひどく遅く感じた。
思ったよりも敵の攻撃が弱い。
そもそも敵はまだ開始位置からほとんど動いていない。
――本当にこれが80階の主なのか。
初めの威圧感ははったりだったのか。強い強いと聞いていたからか、無意識のうちに敵を強大化して見てしまっていたのか。これなら緑の70階のユグドラシルのほうがよっぽど手ごわかった。
そんなことを思いながらもアッシュはいっさい手を抜くことはしなかった。着実に敵の鱗を削り、その奥に眠る血肉を抉っていく。
いつの間にか4つ目のゴブレットに炎が灯っていた。時間だけが経っているが、敵への損傷はほとんど与えられていない。狂騒状態にはまだ遠いだろう。
そう、思ったときだった。
敵が3つの頭を揃って天井へ向けた。けたたましい咆哮をあげると同時、3対の翼をみちみちと音をたてながら後方へと引き、まるで矢を放つように勢いよくはばたかせた。





