◆第八話『いざ80階へ』
迎えた翌日。朝のひんやりとした空気が陽射しによって温かくなりはじめた頃、アッシュは仲間とともに赤の塔へと向かっていた。
疲労はない。
気分も乗っている。
個人的には最高の状態だ。
「アッシュさんっ!」
塔前の広場につくなり、色めいた声が飛んでくる。
遠くからも見えていたが、ヴァネッサのチームが広場で待機中だった。オルヴィがチームの輪から離れ、弾むような足取りで駆け寄ってくる。
「みなさん、おはようございます」
「よっ、朝から元気だな」
「おはよう、オルヴィさんっ」
アッシュは短く、クララは弾けるような笑みで迎える。
「ああっ、朝からアッシュさんに会えるなんて……今日はなんていい日なのでしょうか。きっと今日は戦利品もたくさん出るに違いありませんっ!」
駆け寄ってきたオルヴィが恍惚の笑みを浮かべながら、まるで天に祈るかのようなポーズをとりだした。狩り前とあって元気を持て余しているのか、初っ端から凄まじい圧だ。
そうしてまるで演技がかった動きを見せていた彼女だが、なにかを思い出したようにはっとなった。次いで「と、ところで……」と躊躇いがちに質問を投げかけてくる。
「今日は何階で狩られるのですか? ……よ、よし、自然に訊けましたわ。これでマスターに同じ階で狩りをしたいとお願いすれば、ア、アッシュさんと一緒に狩りができるかもしれません。そ、そうすればわたくしの愛に満ちた《ヒール》を――」
「心の声、だだ漏れよ」
ラピスが冷たい声でそう告げると、いまにも涎を垂らしそうなほどだらしない顔だったオルヴィがびくっと体を震わせた。どうやら正気に戻ったようだ。あたふたと視線を泳がしはじめる。
「こ、これはそのっ、なんと言いますか……ってラピスさん。あなた、少し近すぎじゃないですか!?」
「なにが?」
「アッシュさんとの距離ですっ」
たしかに腕が触れそうなぐらいには近い。
ラピスが意に介した様子もなく言い返す。
「べつに問題ないでしょう。だって同じチームだし」
「うぅ……ず、ずるいですっ!」
恨みがましい目を向けられる中、ラピスはほんのりと勝ち誇ったように口角を吊り上げていた。そうして2人が火花を散らしていると、ひょこっと顔を出したルナが片腕を抱いてきた。
「ってことでボクはこっちの腕を拝借っと」
「おい、ルナまで乗ったらややこしくなるだろ」
「だって面白そうだし」
言って、ルナが悪戯っ子のように笑う。
以前、実力不足だと言って悩んでいた彼女だが、その顔に悩みは見られない。80階戦を前に心配していたが、もうすっかり立ち直ったようだ。
「ラ、ライバル増殖っ!」
片頬を引きつらせて衝撃を受けるオルヴィ。
そんな中、アッシュは後ろから気配を感じて振り返る。と、レオが両手を伸ばしてしのび寄ってきていた。
「つまりその理論でいけば、僕もアッシュくんに近づいていいわけだ」
「だからってそこに手を伸ばす奴がいるかよ」
アッシュは飛びついてきたレオをひらりと躱した。
どすんと腹から地面に激突して「はぶっ」と間抜けな声を漏らすレオ。
そんな彼を横目に見ながら、クララがおずおずと訊いてくる。
「あ、あたしもしたほうがいいのかな?」
「いや、しなくていい」
この集団の中にいると、クララがおかしな方向に育ってしまわないかひどく心配だ。もう手遅れかもしれないが。
アッシュは嘆息しつつ、オルヴィに向きなおる。
「悪いな、オルヴィ。一緒に狩りってのも楽しそうだが……今日、俺たちが挑むのは80階なんだ」
「……アジ・ダハーカですか」
先ほどまでのふざけた空気はどこへやら。
おそらく80階の主のものと思われる名前をオルヴィが真剣な顔でこぼした。
「ったく……リッチキング戦からまだ1年も経ってないってのにもう80階戦なんてね。これじゃあ、3年かけて昇ったあたしたちの面子が丸つぶれじゃないか。どうしてくれるんだい」
そう言いながら、ヴァネッサがドーリエとともに近寄ってきた。
「よ、ヴァネッサ。ドーリエも」
先ほどはあんな言葉を放ってきたが、その顔から責めるような意思は感じられない。むしろ悔しそうでもあり、嬉しそうでもあり――そんな複雑な表情だ。
「あんたのことだから情報は欲しくないだろうけどね。前にドーリエが死にかけたって話をしたろう。その敵ってのがここの80階の主なんだよ」
「本当に気をつけたほうがいい」
ヴァネッサがそう話すと、ドーリエがひどく真剣な顔で続けた。
冗談が入る余地はない。
本気の忠告だ。
「ドーリエをそこまで追いやる敵か。楽しみだな」
「アッシュならそう言うと思ったよ」
ヴァネッサは呆れつつも愉快そうに笑みをこぼした。
彼女とはもう何度も酒を飲み交わしている。
こちらの考えなどお見通しというわけだ。
「にしても……すっかり馴染んじちまってまぁ」
言いながら、ヴァネッサが目を細めた。
その視線を辿った先にいるのはラピスだ。
「そう……かしら。自分ではわからないけれど」
「もうラピスさんはあたしたちの色に染まってるよ」
「ちょ、ちょっとクララ」
クララがラピスの片腕を抱き寄せると、にこにこと笑みを浮かべた。そこにはもう、初めの頃のようなよそよそしさはない。
そんな仲のよさを見せつけられてか、ヴァネッサが呆れたように息をついた。
「あたしもあんたには入れ込んでたんだけどねえ」
ヴァネッサがラピスを気にかけていたことは知っている。きっと冗談でもなく、心の底からチームに入れたいと思っていたのだろう。そんな彼女の思いを知っているからか、ラピスが申し訳なさそうに言う。
「その……色々ありがとう。こっそり情報を流してくれてたこと、感謝してる」
「まさかあんたの口からその言葉が聞けるなんてね。……ま、それだけでも収穫か」
ひどく驚いたように目を見開いていたヴァネッサだが、最後には吹っ切れたように清々しい笑みを向けてきた。
「死ぬんじゃないよ」
「大丈夫。いまのわたしにはもう仲間がいるから」
ラピスが力強く言い切った。
普段の彼女はあまり口数が多いほうではないし、感情もあまり表に出さない。そんな彼女の言葉だからこそ、仲間の心の奥深くまで響いたのだろう。これまでより仲間の瞳には強い意志が宿っていた。
アッシュはこの勢いを逃さんと勇ましく赤の塔へと歩きだした。
「んじゃ、行ってくる……!」
◆◆◆◆◆
待っていたのは、これまでと変わらない試練の間。
だからこそ、その異質さが際立っていた。
最奥の区画に堂々と立つ1頭の竜。
飛竜を基本形にしたような見た目だ。
だが、まるで人のようにしかと二の足で立っている。
なにより目についたのは、その頭部の数だ。両肩からも首を生やし、合わせて3つの頭部を持っていた。いまも3つの頭はすべてを睥睨するように自立して動いている。
また頭部に合わせてか、背には3対の翼が生えていた。
その体はおよそ飛竜の3倍程度にあたるが、悠々と持ち上げられそうなほどにその翼は雄大だった。
これが赤の塔80階の主
――アジ・ダハーカ。
敵がこちらの侵入を感知したのか、その6つの目を赤く光らせた。3つの頭部をうねらせながら突き出し、口を開ける。放たれたのは重なる3つの咆哮。凄まじい空気の揺れが、敵の凶暴さをそのまま突きつけるように襲ってくる。
これまでに感じたことのない威圧を前にしてか、ほぼ全員が体を竦みあがらせていた。アッシュは仲間を恐怖から解き放たんと、すぐさま声を張り上げる。
「呑まれるなよ! 行くぞッ!」





