◆第七話『80階前の作戦会議』
青の塔78階を突破してから17日後の夜。
アッシュは仲間とともに《スカトリーゴ》を訪れていた。
おつかれの掛け声で全員がカップをかち合わせる。
ぷはぁ、とレオが豪快な吐息をもらし、上機嫌に口を開く。
「こうして5人揃ってここに来るのは初めてだね」
「人数が多くなると、なかなか時間あわないしな」
アッシュはラピスと並んで座り、対面にはクララとルナ。通路側にレオがひとりで座った格好だ。とくにどこに座るかは決めていなかったが、ラピスがしれっと隣に座ってきたのは言うまでもない。
と、そのラピスが静々とフォークにパスタを巻きながらぼそりと言う。
「わたしはよく来ていたけど。アッシュと」
「んぅっ、ずるい~! あたしも奢ってほしいです!」
クララが頬張っていたものを呑み込むなり、身を乗り出して抗議してきた。
ラピスの発言が色恋の自慢からきていたことは明白だが……どうやらクララにはタダ飯という点しか重要ではなかったらしい。
「僕もアッシュくんとよく飲んでるけどね」
「変な対抗するなよ」
勝ち誇ったように胸を張るレオ。
だが、クララの顔は羨ましがるどころか見るからにいやそうだ。
「ん~、酒場は……いいかな」
「脱ぎ放題だよ」
「それは全然嬉しくないよ」
冷静に返されてレオはひどく落ち込んでいた。
アッシュは嘆息しつつ、レオに注意交じりに言う。
「ってか、豚んとこも許してるわけじゃないだろ」
「注意されたことないからきっと問題ないんだよ。でも、ここで脱ぐと怒られる。まったくアイリス嬢も厳しいよね。人間、誰しも生まれたときは裸だというのに」
酒が入って気分が乗っているのか、レオは饒舌に語りはじめる。そんなレオの後方にちらりと目をやりつつ、ルナが忠告する。
「レオはもう少し危機感を持つべきかもね」
「どういうことだい、ルナくん」
首を傾げるレオの後ろに黒い影が近づいていた。
試練の主がかすむほどの威圧感だ。
クララが潜めた声で必死に声をあげる。
「レオさん、後ろー!」
「ん、後ろ? 後ろになにがって……うわぁっ」
後方に立っていた店員――アイリスを見た瞬間、レオが椅子から転げ落ちた。手に持ったカップは平行に保っているあたり酒好きの鑑だ。
「もし脱いだら出禁どころか島から追い出しますから」
「じょ、冗談に決まってるじゃないか。あ、あはは――ごめんなさい、自重します」
アイリスが嘆息しつつ目に宿していた侮蔑の色を解いた。そのままほかの席へ向かうのかと思いきや、こちらに横目を向けてくる。
「すべての80階到達、おめでとうございます」
「お、珍しく祝ってくれるのか」
「最後くらいはと」
「じゃ、また祝ってもらうために頑張るとするか」
皮肉であることは理解していたが、あっけらかんと返しておいた。ただ、彼女もそんな返しがくると思っていたのだろう。とくに不快な表情をすることなく仕事に戻っていった。
そんなアイリスの背中を目で追いながらルナがしみじみと言う。
「相変わらずアッシュの動向には詳しいね、彼女」
「ま、色々あるんだよ。あいつにも」
「なんだか、怪しいね」
「言うと俺もレオ同様に島を追い出されそうだから口を噤ませてくれ」
案の定、遠くから視線を感じていた。というより隠す気もなくアイリスが睨んできている。さすがの聴力だ。まったくもって安心できない。
「さてと、本題に入るとするか。あ~、食いながらでいいからな」
「どこから狩るか、だね」
レオが話を転がすと、ルナから早々に意見が出される。
「順当に考えて赤だよね。ラピスの槍だけでなく、クララの《ツナミ》もあるし」
「俺もそう考えてる。異論がなければだが……」
アッシュは言いながら全員の顔を見回す。
ルナ、レオ、ラピスが首肯する。
もそもそと食事していたクララも遅れてこくこくと頷く。
「そんじゃ初の80階戦は赤の塔で決まりだな」
挑戦する塔が決まったことで全員の意識が定まったか、少しだけ空気が引き締まる。ただ、そんな中で意外にもラピスが不安げに瞳を揺らしていた。
「ねえ、アッシュ。1発で行くつもりなの?」
「もちろんだ。って、なにかあるのか?」
「いえ……ただ、わたし、これまで1発目で攻略するってしたことないから」
ラピスはこれまでずっと1人で試練の階を突破してきたのだ。その難度の高さを考えれば1発目での攻略がないというのはなにもおかしいことではない。
「そういやずっと気になってたんだが、ユグドラシル……よくひとりで倒せたよな」
「8回に渡って下調べをして、ようやくね」
予想以上の挑戦数にアッシュは思わず唖然としてしまった。ラピスは意に介した様子もなく淡々と説明をしてくれる。
「というよりわたしの場合は1回で突破できるとは思ってないから、どんな主でも狂騒状態に入るまでにある程度時間をかけるの」
「なるほど、狂騒状態に入ってもすぐ逃げられるようにってことだね」
ルナが得心がいったように言った。
たしかにそれなら危険だと判断した瞬間に撤退できる。
頷いたラピスが話を続ける。
「その間に敵の行動パターンを観察、体にも慣れさせるの。アッシュ、ユグドラシルの場合、狂騒状態に入る条件はなんだったか覚えてる?」
「腐った根の排除だったな」
「じゃあ、狂騒状態に入ったときに一番厄介だったのは?」
「正面の根だったな。腐ってない2本が邪魔してくるせいで弱点の彫像まで近づくのが難しかった」
「そう、そこまでわかってたらあとはやることはひとつよね」
ラピスが最後の問題とばかりに投げかけてきた。
アッシュはユグドラシルとの戦闘を思いだしながら答えを口にする。
「狂騒状態に入る前に腐ってないほうの根2本を処理しておくのか」
ラピスが「当たり」と口にしながらこくんと頷いた。
レオが後悔したように顔を歪める。
「あ~……僕が腐った根が弱点って言わなければもっと楽に倒せていたかもか……」
「いや、実際に弱点だったのは本当のことだからレオの間違いじゃない。ただ、これはやり方の問題だ」
狂騒状態に入ったあとのことを知っていなければできない作戦だ。逆に言えば、知っていれば辿りつける作戦でもあった。ラピスが言いたいのはきっとこのことだろう。
「それであとは狂騒状態に入ったと同時に襲ってくる風をやり過ごしたのち、すぐに接近。落ちてくる葉を無視して彫像に血統技術を放って、終わり」
「けど、あの彫像、結構高いところにあっただろ。よく届いたな」
「跳躍さえできる足場があれば、ある程度なら届くから」
あの突進力ならたしかに彫像の高さまで届いてもおかしくはない。威力のほうはいまさら疑う必要はないだろう。いずれにせよ――。
「やっぱすげぇな、ラピス」
「べつにそんなことは……わたしからすれば1発で攻略したあなたたちのほうが驚きよ」
謙遜しているものの、まんざらではないらしい。
ラピスの口元がわずかに緩んでいた。
「ラピスさんのやり方で行くの?」
「少し気になっただけだから無理にする必要は……」
クララの無邪気な問いに、ラピスが慌ててそう言った。
全員の注目を浴びる中、アッシュは自身の考えを口にする。
「ラピスのやり方は間違ってないし、むしろ正解なんだと思う。ただ、あくまで目指してるところは塔の頂だからな」
目先を考えるか、あとのことを考えるかの違いだ。
アッシュは脳裏で塔の頂を思い浮かべながら語る。
「神を倒すつもりなら、ほかの奴でてこずってるようじゃダメだと思うんだ。まあ、こんなこと言っといて負けるときは負けるんだが……いつもあとがあるって考えで挑んでたら、先に進めない気がするんだよな」
本当に危険な状況に陥ったとき、対処できるかどうか。そうした力を養わなければ、とうてい神のもとまで辿りつくことはできない。これまでの塔の難度から類推して、ひしひしとそう感じている。
レオが酒気を帯びて緩んでいた顔を引き締め、真剣な顔で言う。
「そもそも90階以降の試練階も撤退できるとは限らないからね」
「ああ」
撤退用の転移魔法陣が用意されていないかもしれない。
用意されていても撤退する余裕がないかもしれない。
――1度の失敗で死。
そう強く印象づけたからか、クララがひどくこわばった様子で息を呑んでいた。
ふとばつが悪そうにラピスが目線を落とす。
「なんだか、ごめんなさい」
「みんなの身を案じてのことだろ。ありがとな」
彼女のことだから、こちらの性分をわかっていないはずがない。それでも口にしたのは、きっと仲間の命を大事に思ってのことだ。責める理由はいっさいない。
チームに入ったのは最後のラピスだが、そんなことは関係なく仲間を大事に思ってくれている。アッシュはそれが自分のことのように嬉しかった。
「そんじゃ、80階戦のためにも今日はしっかり食べて英気を養うとするか」
「あたし、もっかい取りにいってくるー!」
話している最中に1度目の取り分を食べ終えてしまったらしい。クララが席を立って意気揚々と料理を取りに向かう。そんな彼女に対抗してか、レオがカップをぐいと掲げた。
「じゃあ僕も景気づけにもう1杯おかわりを――」
「レオ、それで酒は最後な」
「え、まだ2杯目だけど……」
「当然だろ。明日、80階戦なんだからな」
「そんなぁっ!」
スカトリーゴに響くレオの悲鳴。
ルナが苦笑し、ラピスは無反応。ほかの客からは「またあいつらか」といった目を向けられ、店員――主にアイリスからはうるさいと睨まれる。
突破者わずか5人と言われる80階。そんな難所に挑む前とは思えない、とても朗らかな空気の中、アッシュは仲間との食事を楽しんだ。





