◆第四話『森の中で』
鍛冶屋をあとにしてからあてもなく中央広場をうろついていた。
ずっと無言が続いている。
にもかかわらず周囲の声や音はどこか遠く聞こえていた。
いまのルナをひとりにはさせられない。
そんな思いに駆られて衝動的に誘ってしまったが、もう少し考えてから誘うべきだったかもしれない。
ふいに、ルナがくすりと笑みをこぼした。
「……まさかアッシュから誘ってくれるなんてね。どういう風の吹き回し?」
「気が向いただけだ」
「ま、理由はわかりきってるんだけどね」
「そういうときは知らない振りをするんじゃないのか?」
「だってアッシュ相手だし」
にっと笑いながら、顔を覗き込んでくるルナ。
「調子出てきたな」
「せっかくだし、ね。今日は遠慮せずに甘えちゃうから」
言うやいなや、ルナが右腕にひっしと抱きついてきた。
胸は相変わらず控えめでわずかな弾力しか感じない。
ただ、互いの腕がこすれるたびにその驚くほどなめらかな肌を感じられた。
男とは違う。
女の腕だ。
そんなこちらの心境を知ってか知らでか、ルナが悪戯っ子のような笑みを向けてくる。
たとえ空元気だとしても鍛冶屋のときに比べればずっとマシだ。いつもなら振りほどくところだが、今日だけはと甘んじて受けることにした。
それからルナに引っ張られるがまま色んな店を見て回った。雑貨や装飾品、道具を出している露店から始まり、果ては食材まで本当に色々だ。
そして訪れた服飾店――。
「ねえ、アッシュ。見て見て」
ルナが両手で服を摘み、自身の体に合わせていた。ひとつなぎの服――ワンピースだ。白生地で花を模した青色の刺繍が控えめに施されている。
可憐な女性というのがなにより先に抱いた感想だった。普段、民族的な色気を感じさせる服を着ていることもあり、余計にそう見えた。
まじまじと観察していたからか、ルナが照れくさそうに笑った。
「……ボクにはちょっと可愛すぎるか」
「そうか? 似合ってると思うぞ」
「気遣ってくれてありがと」
本気だとは思っていないのか。
ルナはとくに喜ぶことなく、淡々と服をもとの場所にかけなおした。
「さて、そろそろ出よっか」
ルナが足早に店から出ようとする中、アッシュは戻されたばかりのワンピースを手に取った。受付でぼけーっとしていたミルマに差し出す。
「これ、もらえるか?」
「4200ジュリーね」
提示された額をガマルに吐き出してもらう。
と、横合いからルナが焦ったように顔を覗かせてきた。
「え、ちょっとアッシュ。なにを――」
「俺の金だ。とやかく言われる筋合いはないだろ?」
「い、いまのボクにそれはちょっとひどくない?」
ルナはオーバーエンチャントで大量の属性石を溶かしたばかりだ。抗議は一瞬にして収まった。
アッシュは手提げ袋に入れられた購入品を受け取り、そのままルナに差し出す。
「ほら」
「あ、ありがと」
贈られてばつが悪いのか、それとも似合わないと思い込んでいたからか。ルナは戸惑いながらそれを受け取った。
「アッシュってさ……ほんとアッシュだよね」
「どういう意味だよ」
「なーいしょ。これ、大事にするね」
ルナは贈り物を胸に抱くとおもはゆそうに微笑んだ。
よくわからないが、ひとまず喜んでくれたようでなによりだ。
服飾店をあとにして通りへと出るなり、香ばしい匂いが漂ってきた。昼食にいい時間とあって食欲が一気に湧いてくる。一度意識したらもう頭から離れそうにない。
「少し腹減ってきたな」
「じゃあ、どこか入ろっか」
そうして匂いのもと――近場の食事処に入ろうとしたところ、思わず目を見開いてしまった。大きな硝子窓の向こう側、店内に同席中のヴァンとドーリエがみえたのだ。
アッシュはルナとともに流れるように身を隠し、そっと店内の様子を窺う。
「ヴァンの奴、ついに誘ったのか」
「順調に進んでるんだね……」
たしかに2人きりで食事は大きな進歩だ。
ただ順調かというと怪しいところだった。
ヴァンは話しかけようとしては口を閉じ、ドーリエのほうは恥ずかしさを誤魔化そうとしてか、普段以上に野性味を出して肉を頬張っている。
「なんだか初々しいね」
「どっちも異性相手には口下手っぽいからな」
それはもう戦闘中の勇ましい姿は見る影もないとほどにだ。
「ちょっとあれはそっとしておいてやりたいな」
「だね」
「そんじゃ、べつの店でも探すか」
そうしてヴァンたちのいる店に背を向け、歩き出す。
と、ルナに「ねえ、アッシュ」と呼び止められた。
「ちょっと行きたいところあるんだけど……いいかな?」
◆◆◆◆◆
「ふぅ……食った食った」
言いながら、アッシュはその場に寝転んだ。
優しく迎えてくれたのは多くの雑草たち。土が少し硬めだが、それも気にならないほどに漂う緑の香りが気分を心地よいものにしてくれた。
ルナ提案のもと、中央広場から真南に抜けた先の密林地帯にきていた。
ちなみに昼食はというとトットのパン工房でサンドイッチを購入。いましがた食べ終えたところだ。
ルナが両膝を立てた格好で隣に腰を下ろした。
目を細めながら陽光の射し込む樹冠を見やる。
「ここにくると落ち着くんだよね」
「故郷に近いからか? あーでも、あっちは寒いよな」
「うん、似てはいないかな。でも自然がたくさんだから」
そんな他愛ない会話をしていると、柔らかな風が吹いた。
草葉が揺れ、かすかにざわめきはじめる。
そんな音に紛らすようにルナがぼそりと言う。
「さっきはごめん」
「ん、なにがだ?」
「ほら、取り乱しちゃって……」
どうやら鍛冶屋でのことを言っているらしい。
たしかにあのオーバーエンチャントは普段のルナからは想像できない無計画な挑戦だった。ただ、それほどまに追い詰められていることに気づけなかったこちらにも責任がある。なにしろ同じチームだ。彼女個人の問題ではない。
「俺も悪かった」
「どうしてアッシュが謝るの?」
「いや、ルナなら大丈夫だろうって。心のどこかでそう思ってたからさ」
ルナがこちらに顔を向ける格好で自身の膝にゆっくりと片頬を乗せた。白い脚を撫でるように艶やかな銀の髪がさらりと垂れる。瞳は弱々しく揺れ、困ったようにその口元は笑っている。
「ボクはアッシュが思ってるより強くないよ」
「……みたいだな」
出会って間もない頃も彼女は《ルミノックス》関連で悩んでいた。ただ、あのときは葛藤の中においても決して折れない心の強さを感じられた。
だが、いまのルナは違う。
触れば壊れてしまうような、薄い氷のような脆さを感じる。
「アッシュさ、アルビオンのナクルダールって挑戦者と戦ったんだよね。強かった?」
「まあ、ニゲルやシビラと組むだけはあるって感じだったな」
「ボクとどっちが強いかな」
予想外の質問をされ、アッシュは思わず目をぱちくりとさせてしまった。努めて平静を保ちながら応じる。
「その〝強い〟が、なにを指してるのかはわからないからなんとも言えないな」
「じゃあ1対1で戦ったら」
どちらも狩猟民族だ。
対人技術は極めてはいないが――。
「……たぶん、ナクルダールだ」
「はっきり言うんだね」
「嘘を言われても嬉しくないだろ」
「そうだけど」
彼女自身、答えはわかっていたのかもしれない。
その顔はどこか晴れ晴れとしていた。
「言っておくが、俺たちが相手にしているのは塔だ。あいつの魔物との戦いぶりを見たわけじゃないが、チームでの狩りならルナは負けてないと思う」
「それは本音?」
「当然だろ」
ルナは実力不足を悩んでいるが、そんなことはない。たしかに火力面では尖っていないが、チーム全体の補助として大いに活躍してくれている。それこそ彼女がいなければチームが機能しないと思うほどに――。
「仲間のみんなに訊いても同じこと言うと思うぜ」
「うん」
「ルナにしかできないことはある」
「……うん」
「だからもう、自分は役立たずなんてことを言うのはやめてくれ」
アッシュは切実な願いとしてそう告げた。
ただ――。
最後に彼女が頷いたのはしばらく経ってからのことだった。





