◆第二話『未知の強がり料理』
アッシュはタオルで髪を拭きながらリビングへと戻ってきた。
手前のソファではラピスが得物を布で磨き、台所のほうではクララが野菜を洗っている。どちらも風呂上がりとあって楽な部屋着姿だ。
最近では見慣れた光景でもあった。
と、目の前をルナが早足でとおりすぎていった。
彼女はエプロンを慌しくつけながら台所に立つ。
「すぐ作るから、みんなもう少し待ってて」
「いつも悪いな」
「好きでやってることだしね」
言って、ルナはクララと夕飯の準備をはじめた。
緑の塔77階を2日かけて攻略し、夕方にログハウスに帰還したばかりだ。ほとんど休む間もなく、夕飯の準備をしてくれる。本当に感謝しかない。
そんな家庭的な2人の後ろ姿を横目に見つつ、アッシュはソファに腰を下ろした。対面で黙々と得物を磨いていたラピスがぼそりと言う。
「料理ができないわけじゃないの」
「なにも言ってないぞ」
「ただしないだけだから。したら、きっとすごいのできる……と思う」
言い淀んだところを見るにあまり信頼はできなさそうだ。とはいえ戦闘訓練に明け暮れていたという話だ。彼女が料理に疎いのも無理はないかもしれない。
「――ッ!」
台所のほうからルナの短い悲鳴が聞こえてきた。
アッシュは弾かれるようにして立ち上がる。
「どうした!?」
「ルナさん、指切っちゃって……あたし、急いで杖持ってくる!」
クララがいまにも泣きそうなほど痛々しい顔でそう言い残すと、寝室のある2階のほうへと急いで走りだした。アッシュはクララと入れ替わる形で台所へと向かい、ルナの怪我の様子を診る。
「結構深いな……」
切ったのは左親指の付け根近くだ。
ただ失敗というには少し場所に違和感がある。
「とりあえず水洗いするぞ。血、流れるけど我慢しろよ」
蛇口をひねって緩めに流した水に傷口をつけさせる。
魔物との戦闘で多少の耐性はついているようだが、それでも少なくない痛みがあるのだろう。ルナは苦痛に顔を歪めていた。
「あはは……こんなの久しぶりだな」
「疲れてるんだろ」
「そうかも」
ルナが目を細めながら自嘲するように笑う。
普段の飄々とした彼女は完全になりをひそめていた。
どたどたと後ろから足音が聞こえてきた。騒がしい音からしてクララかと思いきやラピスだった。彼女は必死な顔で、最近購入したばかりの新品の布を差し出してくる。
「アッシュ、これ綺麗な布」
「ああ、助かる」
べつに傷口に当てるわけではないので清潔さは重要ではなかったが、ラピスの配慮が窺えて自分のことのように嬉しくなった。アッシュはルナの腕回りに血が滴らないようにと布を軽く巻いたのち、その腕を軽く持ち上げた。
「その高さを維持だ」
「慣れてるね」
「ヒールで回復するなら意味ないかもだけどな」
話しているうちにまたもやどたどたと足音が聞こえてきた。先ほどのラピスとは比べ物にならないほど大きな足音だ。やはり本物は違う。
「杖、持ってきたー!」
早速、クララによる《ヒール》がかけられ、みるみるうちに傷口は塞がった。軽く指を動かしてみても痛みはないらしい。ルナが笑みを浮かべる。
「ありがと、クララ」
「どういたしましてっ」
「2人もありがとね」
アッシュは「ああ」と答える。
ラピスはというと目をそらしていた。
「……仲間だし。これぐらいは」
礼を言われ慣れていないからか、照れているようだ。
そんな彼女の初心な面にほかの全員でこっそり笑い合った。
「それじゃ傷も治ったことだし、すぐに再開だ」
「ルナ、今日は休め」
アッシュはルナの腕を掴んだ。
どうしてとばかりにルナが困惑した顔を向けてくる。
「でも料理しないと」
「いつもしてくれてるんだ。今日ぐらいいいだろ。代わりに俺がやっておく」
「アッシュ、できるの?」
「魚をさばくのは得意だ」
「……今日はお刺身かな」
くすりと笑いながら、そんな軽口を言ってくるルナ。
クララが挙手しながら元気な声をあげる。
「はいはいっ、あたしも簡単なのだったらできるし!」
ルナの教えもあって最近はクララもまともに料理ができるようになっていた。食卓にクララの作ったものが1品や2品ほど並ぶことも少なくない。
ルナが少し悩んだのち、申し訳なさそうに笑んだ。
「じゃあ、甘えちゃおうかな」
「ああ。できたら呼びにいくから、それまで部屋で休んでろ」
「……うん。そうさせてもらうよ」
心配事などいっさいない。そう感じさせるような笑みを残してルナは部屋のほうへと去っていった。どこか儚げな彼女の背中を見送ったのち、アッシュは台所へと向かう。
「さて、やるとするか」
アッシュは腕をまくってやる気を出した、瞬間。
がしっと肩を掴まれた。
振り向くと、きりりとしたラピスの顔が待っていた。
「今日の料理はわたしに任せて」
「料理、しないんじゃないのか」
「魔物をさばくのは得意」
なぜか自信満々だ。
とりあえず不安しかないが、やめろと言えない雰囲気だった。言えば最期。彼女のウィングドスピアでさばかれるかもしれない凄みがある。
「さあ、クララ。一緒に頑張りましょう」
「え、う、うん」
どうやらクララは参加してもいいらしい。
戸惑いつつも応じた彼女とともにラピスは料理を開始した。
初めてかはわからないが、それに近い雰囲気をかもし出していたラピスの料理。さらに彼女の強がりな性格が災いしてか、色気を出したその料理の味は――。
クララの料理が極上に感じるほど、凄まじいものだったことは言うまでもなかった。





