◆第十三話『アンフィスバエナ③』
ぴくりと動いた指先。か細い呼吸。最後に心臓の鼓動を感じとったとき、ラピス・キア・バルキッシュは意識を取り戻した。
どうして気を失っていたのか。
どうしてこんなにも全身が重くて痛いのか。
記憶が曖昧だったが、聞こえてきた金属音がすべてを思い出させてくれた。
釣られるようにして顔をあげる。
視界の中、アッシュが双頭の竜と戦っていた。
……そうだ、さっきの衝撃波で。
どうやらほかの仲間も自分と同じように倒れてしまったらしい。アッシュに援護はない。ただひとりで交戦している。
ただの一撃でももらえば命はない。
そんな死と隣合わせの中、大胆に攻め、敵に攻撃を加えている。
果たして自分にも同じようなことができるだろうか。
あの強大な敵を相手にひとりで戦えるだろうか。
いや、厳しいだろう。
ひとりで8等級階層まで到達した。その事実が彼と肩を並べられたと自信を持たせてくれていた。いや、心のどこかで彼を越えたかもしれないとも思っていた。
だが、現実はこのざまだ。
追いついてすらいない。
そもそも彼は〝もっとも得意とする武器〟を使わずに、あの強敵と戦っている。
憧れた戦士の姿がそこにある。
彼は倒れない。
彼に任せていればなにもかも安心だ。
……そうだ、わたしはこのまま寝ていればいい。そうすればまた昔のように彼が大事なものをとってきてくれる。
そんな考えが脳裏をよぎったときだった。
脳裏に多くの光景が流れはじめた。
すべてがアッシュと初めて出会ったあの日から、再び出会うまでの記憶だ。どれも幸せなものではなかった。泣き出しそうになるほどに辛い光景ばかりだ。
ただ、自分で選んだ道だった。
どうして選んだのか。
決まっている。
強くなるためだ。
どうして強くなるのか。
決まっている。
彼の、アッシュ・ブレイブの隣に立って戦うためだ。
自身にそう言い聞かせるように胸中で言葉を紡いだとき、冷え切っていた体に熱が入った。初めは小さかったそれは流れるように浸透し、やがて全身に行き渡る。
ラピスは手を胸元に引き寄せるようにして上半身を起こした。膝も引き寄せて立ち上がろうとする。が、脚がふらついて上手くいかなかった。そばに落ちていたウィングドスピアをたぐりよせ、それを支えになんとか立ち上がる。
視界の中、いまだアッシュは敵と激しい戦いを繰り広げていた。飛び交う火球、獰猛な牙や爪を要した近接攻撃のすべてを躱し、2本の短剣をもって猛烈な攻撃を加えている。
その光景だけを見れば、アッシュが断然優勢だ。
ただ、好転はいっさいしていなかった。
理由は明白だ。
敵が前右足で地面を叩き、地面から噴出させた毒液。
そこに傷口をつけることで再生しているからだ。
きっといまのアッシュには敵の再生力を突破する力がない。
ならば、こちらが取るべき手段はひとつだけだ。
ラピスは槍の矛先を敵に向けながら右足を引いた。左手は槍の柄に添え、引き絞るように右手も引く。
「……わたしが、彼の矛に……っ!」
限界突破
その名のとおり、己の体力の多くを使い、限界を越えた一撃を繰り出す――バルキッシュの《血統技術》だ。
だが、こんな体でまともに撃てるのだろうか。
不発に終わるかもしれない。
もしかすると体も無事ではいられないかもしれない。
だが、やるしかない。
いまはこれしか手がないのだ。
そう決意し、深く腰を落としたとき――。
ぽつぽつと周囲に現れた幾つもの燐光に全身が優しく包み込まれた。
◆◇◆◇◆
迫りくる噛みつき、火球。毒液の噴出。
絶え間ない攻撃にさらされながら、アッシュ・ブレイブは敵を翻弄するように駆け回っていた。
再生しているのは毒液を浴びた箇所のみ。
それまでの傷は残ったままだ。
ただ、攻撃の手を止めるわけにはいかない。
もし止めれば、狂騒前に与えた傷も元通りにされてしまうかもしれないからだ。
ふいにがくんと体が揺れた。
ほぼ全力で駆けつづけていたからか、脚が音をあげたらしい。それでも倒れるわけにはいかないと踏みとどまったとき、すでに敵から放たれた火球が間近まで迫っていた。
これは完全には避けられない。
とっさにそう判断し、左腕を犠牲に被害を最小限に留めようとした、そのとき――。
突如として視界に割り込んだ影が火球を代わりに受けてくれた。鈍く重い音を鳴らして火球が四散する。かすかに巻き起こった黒煙が晴れたとき、そこにはレオが立っていた。
「レオ……!?」
「なんとか間に合ってよかったよ――っと」
悠長に会話をしている暇はなかった。
次の火球がきたことで互いに散開する。
レオの動きは活力に満ちていた。
先ほどまで倒れていたとはとても思えない。
どうして――。
その答えは、全身を包み込んできた優しい光が教えてくれた。
アッシュは敵の動きを警戒しつつ振り返る。
と、杖をかかげたクララが見えた。
どうやら彼女が意識を取り戻したことで仲間が息を吹き返したらしい。ただ、彼女は自身の回復は最低限に仲間を優先して回復しているようで、その表情は苦しそうに歪んでいる。
ふと、視界の端に眩い光が映り込んだ。
さらにばちばちという炸裂音が聞こえてくる。
異変のほうへと目を向ければ、ラピスが黄金に光り輝く槍を構えていた。
あれは彼女の血統技術。
限界突破を放つ際の構えだ。
「指示を出して! わたしは、いつでもいける!」
まるで槍のように真っ直ぐで、すべてを穿つかのような力強い瞳が向けられる。
何度も見てきたのだ。彼女の《限界突破》が凄まじい威力を持つことは知っている。疑っているわけではない。だが、相手は8等級のレア種だ。
確実に倒すためにも――。
「限界まで削るぞ! 援護、頼むッ!」
呼応したクララとルナ、レオが敵へと果敢に攻撃をしかける。
アッシュは敵の側面、背面へと目まぐるしく位置を変えながら、飛びかかってはスティレットを刺し、離脱を繰り返す。敵の背中、背面頭部にはクララとルナによる遠距離攻撃が浴びせられ、レオは堅実に正面頭部へと攻撃を繰り出している。
敵がもがき苦しむように体をよじった。
確実に損傷を与えられている。
あと少し。
あと少しだけ攻撃を加えられれば――。
敵が右前足を持ち上げようとしていた。
毒液を噴出させる予備動作だ。
ここで回復されればすべてが終わりだ。
やらせるわけにはいかないと敵の左前足にスティレットを刺す。が、敵の体勢は崩れない。やはりこれでは威力が低いか。
「アッシュ!」
聞こえてきたルナの声。彼女のほうへと目を向けると、ハンマーアックスが横回転しながら飛んできていた。アッシュは柄を掴みとると、回転の勢いを殺さずに体をひねり、敵の膝へと思いきりハンマーを叩きつけた。
全身に衝突の勢いが跳ね返ってくるような感覚。思わず顔を歪めてしまうが――手応えはあった。
敵が慟哭のような鳴き声をもらし、持ち上げた右前足を下ろすことなく崩れ落ちた。地鳴りのような音が響く中、アッシュは振り返る。
「やれぇッ! ラピスッ!」
ラピスが地を蹴り、自らを矢のごとく撃ち出した。渦巻く黄金の渦をまといながら虚空を貫き、敵へと一直線に向かっていく。そのさまはまさに横向きに放たれた稲妻。瞬く間に距離を詰め、その矛先を敵の口腔へと突き刺した。
「ぁぁぁぁぁぁぁあああああああ――ッ!」
雷鳴のような衝突音に紛れて響くラピスの咆哮。
彼女の腕がさらに押し出された、そのとき。轟くような音とともに敵の巨体が浮き、突き飛ばされた。地面をえぐりながら不恰好な体勢で壁へと激突。まるで天地が揺れたのではないかと思うほど凄まじい音を鳴らした。
敵にまとわりついていた黄金の光が弾けるように散る。
――倒したのか。
その疑問は、ほぼ原型を留めていない姿を見れば一目瞭然だった。
瞬きするうちに双頭の竜の輪郭が薄れていた。やがてその肉体は四散するように無数の鈍色光点となり、景色に溶けていくように消滅する。
激しい炸裂音がなくなったからか、妙な静けさが辺りを支配していた。だが、それも一瞬。ラピスが力尽きたようにへたり込んだのを機に終わりを告げた。
後衛組が歓喜し、レオが剣を突き立てて安堵の息をもらす。
そんな中、アッシュはひとり敵が落とした戦利品のほうへと足を運んでいた。ジュリーや魔石、交換石でもない〝異物〟を拾ったのち、ラピスの目の前に立った。
「結局、またあなたに助けられた……っ」
ラピスは勝利後とは思えないほど悔しげに顔を歪めていた。下唇を噛み、手にした槍を強く握っている。
「ったく、どこがだよ。助けられたのは俺のほうだ」
ラピスの一撃がなければ敵を倒せなかった。
悔しいが、事実だ。
ただ、彼女が求めている言葉はきっとそれではない。
川辺で泣いていた子どもの姿を思い出しながら、アッシュは口にする。
「強くなったな」
その瞬間、ラピスが目を見開きながら顔を上げた。感極まったように唇を震わせ、目尻に涙を滲ませる。もれそうになる嗚咽を堪えるように胸元を抱きしめる。
アッシュは彼女の前に右手を差し出した。
広げた掌の上には瑠璃色の結晶が載っている。
さすがに紐はなくなっていたが、飾りのほうは無事だった。
「もう落としたりするなよ」
ラピスは〝母の形見〟を受け取り、胸元に抱きしめた。抱えた不安が取り除かれたからか、感情をせき止めていたものが崩れたらしい。彼女は嗚咽をもらし、大粒の涙を流しはじめる。
「みんな、ありがとう……本当にありがとう……っ!」
強敵を倒した達成感が入る余地はない。
それほどまでに彼女の口からもれた言葉は心を満たしてくれた。
アッシュはクララやルナ、レオと微笑み合いながら新たな仲間を温かく見守った。





