◆第十二話『アンフィスバエナ②』
双頭の竜が横回転しながら毒液を吐きはじめた。
穴の外壁に衝突した毒液がどろどろと落ち、広場の外側から内側へと流れていく。全方位から中央へと迫りくる形だ。
「中央まで走れ! 急げ!」
アッシュは叫びながら敵の真下――中央へと向かう。これまでの毒液の量からして、中央まで届くほどの量ではないと判断したためだ。
前衛組は距離的に近いこともあって無事に辿りついたが……。
視界の中、すでにクララとルナは走り出しているが、背後から迫りくる毒液のほうが足は早い。距離がどんどん縮まっている。
クララが素早く振り向いて《ストーンウォール》を5枚生成する。が、それらは毒液に触れるなり瞬く間に解けてしまった。
「うぇぇ、一瞬で溶けちゃったんだけどっ」
情けない声を出しつつ、全力疾走を続けるクララ。
どうやら先ほどよりも毒液の効果が増しているようだ。
「このままじゃ間に合わない……っ」
ラピスが苦々しく声をもらした。
彼女の言うとおりどう見ても間に合いそうにない。
俊敏性が高めのルナでもあやしいところだ。
クララは間違いなく毒液に呑み込まれる。
なにか方法は――。
そうして視線を巡らせたとき、先ほど敵が火球であけた大穴に毒液がなだれこんでいくのが見えた。穴はすぐに満たされてしまうが……当然ながらその部分だけ毒液の進行がわずかに遅れ、ほぼ均一に迫っていた流れに乱れが生じていた。
「ラピス、レオ! 斬撃で地面を抉れ!」
「……そうかっ!」
いち早く反応したレオに続いて、ラピスも斬撃を放ちはじめた。前衛組3人で後衛組の進路上の地面に多くの傷をつけていく。
「クララ、こけるなよ!」
「だ、大丈夫だよ!」
穴を開けまくったかいあって毒液の進行を遅らせることに成功した。ただ、それでもクララのほうに余裕はない。ルナが先に中央まで逃げ延びたのち、全員でクララの到着を待つ。
すでに彼女のすぐ後ろまで毒液が迫っていた。
勢いは弱まりかけているが、このままでは足が触れてしまう。
アッシュは身を乗り出すようにして手を伸ばす。
「跳べっ!」
「アッシュくんっ」
手が合わせられた瞬間、抱き寄せた。
そのまま背後へと後退する。
毒液は間近で勢いを完全に失い、止まっていた。
さらに地面へと染み込みはじめている。
ひとまず毒液の危機からは脱したようだ。
腕の中で息を整えていたクララがひょこっと顔を出す。
「し、死ぬかと思ったぁ……」
そうして安堵していたクララだったが、途端に顔を引きつらせた。彼女の視線は頭上に向けられている。
「あ……でも、いやな予感」
「奇遇だな、俺もだ」
外側へと吐かれていた毒液が止まっている。
さらに頭上から感じる圧が強くなっているのが、いやな予感の理由だった。
頭上を確認したルナが叫ぶ。
「みんな逃げるんだ! 敵が落ちてくる!」
全員が中央から遠ざかるように駆け出す。
だが、あまり距離を離していないうちに、それは起こった。
まるで世界が揺れたかのような凄まじい振動。
広間中央から放射状に走った足下の亀裂。
背中に襲いくる強烈な衝撃――。
それらが敵によって放たれた衝撃波によるものだと気づけたのは、吹き飛ばされ、地面の上を何度も跳ね転がり、勢いが止まったときだった。
アッシュは呻きながらなんとか顔をあげる。
クララやルナ、ラピスが少し離れたところで不恰好に倒れていた。気絶しているのか、身動きすらしていない。
視界の中でレオがただひとり敵に対峙している。
だが、その敵が前両足を再び持ち上げていた。
また衝撃波を放つつもりだ。
「やらせるわけには……っ」
レオがとっさに盾を打ちつけ、《虚栄防壁》を展開。後方の仲間へと放たれた衝撃波のすべてを受けきった。だが、肩代わりした衝撃は予想以上に凄まじいものだったらしい。レオが後方へと弾かれるようにして背中から倒れた。
「レオッ!」
勝ち誇ったように敵が咆える。
もう誰も立ち向かうものはいないのか。
そう嘲っているようにも見えた。
「くそっ……」
アッシュは悪態をつくように吐き出しながら、よろよろと立ち上がった。
ひりつく肌。軋む骨。全身のあちこちが悲鳴をあげている。意識も朦朧としている。だが、まだ動ける。いや、動かなくとも動かなければならない。そうしなければ倒れた仲間が殺されてしまう。
背負っていたハンマーアックスをそばに放り捨てた。破壊力は高いが、やはり俊敏性が著しく落ちる武器だからだ。ひとりになったいま、絶対に敵の攻撃を受けるわけにはいかない。
アッシュは腰裏からスティレットとソードブレイカーを抜いた。逆手に持って駆け出す。
こちらの動きに反応して敵が咆哮をあげ、火球を放ってきた。アッシュは躱しざまに光の笠を放つ。が、敵の顔面を軽く仰け反らせるだけに終わってしまう。
敵は反撃されたことに苛立ちを感じたのか、まるで癇癪を起こしたように火球を連続で放ってきた。だが、予備動作がかなり大きいために躱すのはたやすかった。
アッシュはそれらを回避しながらあえて敵に接近。からかうようにして気を引いてから、そばを通り過ぎていく。なによりも先に仲間から敵を遠ざけねばならないと思ったのだ。
「こっちだっ!」
どうやら上手くいったようで敵は頭に血がのぼったようについてきた。歩行では追いつけないと判断したか、はばたいて飛翔したのち、突撃をかましてくる。
アッシュは全力で走り、敵の着地直前に頭から飛び込むようにして逃れた。地面をえぐりながら敵が勢いを止める。と、逃がさないとばかりに火球を放ちながら迫ってきた。
アッシュは体を転がして火球を回避。すぐさま立ち上がり、敵の正面頭部に接近する。敵が振り上げた右前足で押し潰さんとしてくる。体をひねってそれを躱すと、今度は噛みつきを繰り出してきた。
食らえば終わり。
その事実が最大限まで神経を尖らせていた。
アッシュはとっさに跳躍し、敵の眉間に着地。抉り込むようにソードブレイカーを敵の右目に刺し込んだ。ぐさりとたしかな感触。どうやらソードブレイカーでも眼球には刃が徹るらしい。
敵が悲鳴をあげて頭を跳ね上げる。振り落とされそうになるが、ソードブレイカーを支えになんとか踏みとどまる。その隙にと今度は反対側の左目へとスティレットを刺し込んだ。さらに正面頭部が激しく暴れはじめる。
それでもなんとかしがみついてやると思っていたが、視界の端にこちらを向いた背面頭部が映り込んだ。背面頭部は正面頭部が巻き込まれるのもいとわずに大口を開け、火球を放ってきた。アッシュは舌打ちし、即座に離脱する。
正面頭部に火球が着弾し、まるでハンマーで叩かれたかのように弾かれていた。煙が晴れると、両目から血を流した正面頭部が姿を現した。鈍色に輝く肌もこげたようにくすんでいる。
少なくない損傷を与えられている。
この調子なら削りきれる。
そう確信したとき――。
敵が軽く持ち上げた右足を地面に打ちつけた。
また衝撃波を放つつもりかと思ったが、違った。
こちらと敵の間の地面に突如として浮かび上がった黒い魔法陣。そこから腹を叩くような音とともに毒液が噴出した。
浴びればおそらく命はない。
アッシュは反射的に後退する。
反対に敵は前へと踏み出て、正面頭部を噴出する毒液につけた。びちゃびちゃと音が鳴る。いったいなにをしているのか。やがて噴出が静まり、毒液が地面に戻っていく中、アッシュは驚愕に目を見開いた。
先ほど潰したはずの敵の両目が元通りになっていたのだ。さらにその鱗も元の綺麗な艶を取り戻している。
「……冗談だろ」
まさか回復手段を持っているとは。
どうやら敵を倒すには一気に沈めなければいけないらしい。とはいえ、ひとりとなったいま、火力的にひどく難しい状況だ。
現状では敵を倒す方法が思いつかなかった。
いや、倒すだけならあるにはあるが――。
アッシュは敵を警戒しながら、レオがこぼした長剣のほうをちらりと見やる。
だが、あれは敵を倒したあとに止まれる保証がない。
動いているモノがいなくなれば生者を殺しにかかる。
長剣から視線をそらした。
仲間と戦う道を選んだのだ。
途方もない戦いだとしてもやるしかない。
「お前が食べたものを吐き出すまで、絶対に倒れてやらねぇからな……!」
アッシュは決意を新たに再び敵へと飛びかかった。





