◆第十一話『アンフィスバエナ①』
双頭の竜が中央付近に生えていた毒さんごを食べ、毒液を吐いた。広範囲に渡って流れた毒液が地面へと染みこんでいく。やがて紫に染められた地面が元の色に戻った、瞬間――。
「いまだッ!」
レオを先頭にアッシュはラピスとともに駆けだした。
クララとルナは坂のところに残している。
敵が吐く毒液はおおよそ膝程度の高さだった。
つまり坂の上にいれば触れることはないからだ。
敵がこちらの接近に気づいた。
体の正面を向け、頭部を突き出すと同時に咆哮をあげる。
アッシュは全身を叩かれたような感覚に襲われた。
筋肉が、骨が、血が震えている。
頭の中にぼんやりと浮かびあがる死への道――。
もしかしたら小型かもしれない。
そんな考えを抱いていたが……。
間違いなく中型以上だ。
「ぁああああああああ――ッ!」
レオが自身の恐れを打ち消すように猛っていた。
きっと鼓舞しなければ前進できないのだ。
敵正面に到達したレオが首の付け根へと剣による突きを繰り出す。が、刺さることなく、がんっと音をたてるだけに終わった。まったく傷ついていない。
レオの長剣は8等級なうえ、白の属性石もしっかり8個はめている。にもかかわらず損傷なしとは相当な硬さのようだ。
敵が獰猛な口を開けてレオに噛みつこうとする。レオは呑み込まれないようにと敵の口の端へと盾をあて、受け流した。と思いきや、盾をもった左腕が後方へと弾かれていた。
さらに敵は凶暴な爪を生やした左前足で殴りかかる。レオが慌てて引き戻した盾で受けるが、あまりの衝撃に後方へと押しやられていた。
その後もやむことなく噛みつきと前足の攻撃でレオに連続攻撃を浴びせる。レオは防戦一方で剣を振る隙すら与えてもらえていなかった。
ベルグリシの攻撃でもほとんど微動だにしなかったレオが一撃ごとに体を揺さぶられている。直撃は受けていないが、苦悶の表情から察するにそう長くはもたないだろう。
「ラピスッ!」
「ええっ!」
アッシュは右方へ、ラピスは左方へと弾かれるようにして分かれた。レオを追い越し、膨らむようにして敵の側面へと回り込む。翼の下をくぐる形で接近。鈍色に輝く敵の後ろ足へとハンマーを叩きつけた。
直後、思わずアッシュは呻いてしまう。
凄まじく硬い金属を叩いているような音、感触だ。
おかげで手から腕、肩までしびれていた。
それでもかすかな衝撃は与えられたのか、敵が鬱陶しいとばかりに翼を上下に動かしはじめた。アッシュは敵の背面へと離脱した。同じく飛び出てきたラピスへと叫ぶ。
「ラピス、そっちは!?」
「こっちもダメ! たぶん、普通に攻撃するだけじゃ無理だと思う!」
「みたいだな! だったら――」
敵の背面頭部がこちらの存在に気づいていた。
迎撃せんと噛みつき攻撃を繰り出してくる。アッシュは接触する寸前に回避。敵が勢い余って地面に激突する中、ラピスとともに攻撃態勢へと入る。
「頭をっ!」
「つぶすっ!」
こちらがハンマーを押し当てた顎側面の反対側からラピスが突きを放った。ぐさりと突き刺さる。示し合わせたわけではないが、ほぼ完璧なタイミングだ。背面頭部が赤い血を噴出させながら呻き、もがき苦しむ。
暴れた頭部に巻き込まれないよう、アッシュはラピスとともに一旦離脱した。背面頭部が逃がさないとばかりに噛みつきを放ってくる。だが、あまりに素直な攻撃とあって回避するのはたやすかった。
アッシュはまたも回避し、ラピスと武器による挟撃をしかける。今度はこちらが眉間、ラピスが顎下だ。先と同様に彼女の槍が敵の顎下を貫き、血を流させた。
レオの様子を見ても時間はない。
このまま一気に沈める。
そうしてラピスとともに追い討ちへと乗り出そうとした、そのとき――。
ぐい、と敵が両前足を持ち上げた。
ほぼ二の足で立つような格好だ。
むき出しになった腹にルナが5本の矢を突き刺す。どうやら腹は柔らかいようだ。しかし、攻撃できたのは一瞬。敵が前へと倒れ込むようにして前足を地面へと叩きつけた。
凄まじい震動を感じるやいなや、襲ってきた衝撃波にアッシュはそばにいたラピスともども吹き飛ばされた。地面の上を荒々しく転がり、ようやく止まる。大きな損傷はないが、頭がくらくらする。
「くそっ……無事か、ラピス」
「え、ええ。なんとかね」
2人してよろけながら立ち上がった。
直後、アッシュは思わず目を見開いた。
視界の中、移動した敵が群生した毒さんごをむさぼっていたのだ。衝撃波で吹き飛ばされずにいたレオが懸命に妨害せんと正面頭部を攻撃しているが、敵に止まる気配はない。
「敵が毒を吐いてたのは正面の頭部からだ! 接近して背後に回り込むぞ!」
アッシュはラピスとともに敵のもとへと走る。
その最中、クララが《フレイムバースト》、ルナが白の属性矢で背面頭部に攻撃をしかけていた。先ほどつけた傷が残っていたこともあってか、少なくない損傷を与えられているようだ。攻撃を受けるたびに背面頭部が暴れ、呻き声をもらす。
こちらもあと少しで敵に接近できそうだった。このままラピスとともに攻撃をしかければ背面頭部を潰せるかもしれない。そう思ったとき、背面頭部の赤い目があやしく光った。
突如、アッシュは思わず前のめりに倒れてしまう。足が一気に重くなったのだ。見下ろせば《ゴーストハンド》に捕まっていた。ラピスも同様に足を止めている。
その機を逃さないとばかりに食事を終えた正面頭部がこちらに向きなおった。顔を突き出して毒液を吐き出してくる。レオはなんとか敵の背後へと回り込んで避けられたようだが――。
こちらの近くに安全地帯などない。
そもそも《ゴーストハンド》のせいで動きが鈍って逃げる暇などなかった。
と、足が軽くなった。クララが《ディスペル》で《ゴーストハンド》を解除してくれたようだ。さらに地面からぐぐぐ、と《ストーンウォール》が盛り上がってきた。
アッシュはラピスともども《ストーンウォール》に飛びつき、しがみついた。体が持ち上げられる。
ほぼ同時、地面を侵食するようにして紫色の毒液が押し寄せてきた。《ストーンウォール》の下部を呑み込みつつ、さらに奥へと流れていく。本当に間一髪だった。
アッシュは坂のところで片手を突き出したクララへと叫ぶ。
「助かった!」
「ま、間に合ったぁっ」
クララは安堵したように息をついていた。
彼女の機転がなければ今頃毒液に侵されていたところだ。
と、ゆるやかに目線が下がりはじめた。いや、体全体が下がっている。見下ろすと、《ストーンウォール》が毒液に溶かされ、高さを失くしていた。
「……この毒、溶解液そのものだな」
「たぶん《スコーピオンイヤリング》じゃ防げないと思う」
毒液が引くまではなんとか持ちこたえてくれそうだが、《ストーンウォール》が溶けるさまを見せられては安堵できそうになかった。おそらく触れれば肉だけでなく骨すらも溶けるだろう。
毒液が流れている間にもレオとルナが攻撃をし続けていた。しかし、先ほどこちらが攻撃をしかけたときほどの損傷は与えられていない。
アッシュは得物をぐっと握りながら、ラピスと顔を見合わせる。
「止んだら一気にいくぞ」
「ええっ」
やがて毒液の流れが収まり、その高さを失くしはじめた。
地面に染みこみ、ついには毒液が綺麗に消えた、瞬間。
アッシュはラピスとともに《ストーンウォール》の上部を蹴り、駆けだした。視界の中、レオが元の位置に戻り、正面頭部との交戦を開始している。
と、正面頭部がレオを無視して威嚇するように猛り、こちらへと火球を放ってきた。大きさはちょうど人ひとりを呑み込むほど。赤の塔の飛竜が吐くものとそう変わらない。
ちょうどラピスとの間に着弾する進路だ。
「多彩な奴だなッ!」
アッシュはラピスと弾かれるようにして左右に別れる。火球が轟音とともに地面に着弾し、深々と穴を作り上げた。
属性石8個分の《ファイアボール》を見たことがあるが、それと同程度の威力だ。当たれば火傷どころではすまないだろう。
敵が苛立つように咆えたのち、こちらとラピスを交互に狙う形で火球を放ってきた。接近を許さないとばかりに幾つもの火球が襲ってくるが、限界まで進路を固定。接触直前で左右どちらかに飛ぶことでたやすく回避できた。
ラピスも同様の方法で回避している。
さすがの俊敏性だ。
そのまま蛇行しながら敵との距離を詰め、先ほどと同様に側面から回り込もうとした瞬間。敵正面に立つレオが振り返らずに叫んだ。
「2人とも、僕の肩を使ってくれ!」
アッシュは彼女とともにレオの背後に接近。彼の肩を踏み台にして敵の背へと飛び乗った。噛みつこうとした正面頭部を躱し、敵の背を駆けていく。
臀部まで到達するやいなや、アッシュは跳躍。背面頭部の眉間へと勢いのままハンマーを叩き落した。鈍い音とともに背面頭部が地面へと顎をつける。
そこへ一拍遅れて跳躍したラピスが槍の矛先を眉間へと突き刺した。ぐさりと小気味いい音が鳴る。
背面頭部が悲鳴のような呻きをもらし、まるで眩暈を起こしたかのようにふらつきだした。一気に仕留めるチャンスだ。
「ラピス!」
「ええ!」
アッシュはラピスと同時に休む間もなく連撃を浴びせはじめる。クララやルナもまたここが攻め時と判断したか、正面頭部のほうからも激しい攻撃音が聞こえてくる。
あまりの硬さに初めはどうなることかと思ったが、いい調子だ。このままなら一気に削りきれるかもしれない。そう思ったとき、敵が前両足を大きく持ち上げた。
「くるぞっ!」
アッシュは叫びながらアックス側の刃を地面に引っ掛ける形で抉りこませた。ラピスも倣って同様に穂先を地面に突き立て、固定する。
ほぼ間もなく敵の両前足が下ろされ、衝撃波が襲いくる。吹き飛ばされずにまともに受けたからか、頭部を直接殴られたかのような感覚だった。全身の筋肉も遥か後方へと飛ばされたかのような錯覚を抱くほどだ。
予想以上の衝撃に一瞬意識を失いそうになったが、頭を振ってなんとか耐え切った。これから敵は毒さんごを食べにいく。そのときが最高の攻撃の機会であることは先の行動を見ても明らかだ。
この機を逃すわけにはいかない。
と、アッシュは得物を地面から抜いて駆けだそうとしたとき、敵が両翼を勢いよくはばたきはじめた。先ほどは歩いて食べに行っていたはずだが――。
敵はそのまま遠く離れた壁際へと下り立つと、正面頭部だけでなく背面頭部も一緒になって辺りの毒さんごを荒々しく食しはじめた。アッシュはラピスとともに急いで敵との距離を詰める。
「パターンが変わってる……!」
「狂騒状態に入ったみたいだな!」
視界の中、クララとルナが必死に攻撃を浴びせつづけているが、やはり敵の食事は止まることはない。それどころか激化して食い散らかすようにして毒さんごをたいらげていく。
やがて満足したように双頭は咆哮をあげると、正面頭部をもっとも接近していたこちらに向けた。毒液を警戒して身構える。が、敵は翼をはばたかせ、上空へと勢いよく飛びあがった。
さらに広場のちょうど中央上空に陣取ると、ゆるやかに横回転しながらどちらの頭部も揃って顎を引いた。毒液を吐く構えだ。
「え、えぇ……うそでしょぉっ!?」
「これってもしかして……」
クララとルナが恐怖に顔を歪めていた。
無理もない。
あの角度で毒液が吐かれれば坂を含む広場の外側――後衛組の頭上へと降り注がれるからだ。
アッシュは喉が痛むほどに声を張り上げる。
「クララ、ルナッ! 走れッ!」





