◆第八話『お風呂で女子会』
ログハウスの浴場は先日まで泊まっていた宿のものより広かった。
洗い場には蛇口が2つあるうえ、3人が一緒に体を洗っていても少し余裕がある。湯船のほうは3人が入れるかどうかといったところだが、それでもかなり広い。
多くが明るめの木材で造られているが、カビはいっさい見当たらない。光沢もあるし、なにか特別な塗装でもしてあるのだろう。
ラピスは洗い終えた髪の水気を落としたのち、結い上げてバレッタで留めた。それから泡立てたスポンジで体を洗っていると、後ろからばしゃんと音が聞こえてきた。
「いっちばん乗り~~っ」
クララが湯船に飛び込んだ音らしい。
わずかに溢れた湯がこちらの足にまで流れてきた。
隣で同じように体を洗っていたルナが眉をひそめながら振り返る。
「クララ、ちゃんと洗った?」
「洗ったよ~。汚れもごしごし落として綺麗な体になりました~っ」
クララが湯船から上半身だけを乗り出し、間延びした声で返答する。あどけない顔もそうだが、小柄なこともあって本当に子どもにしか見えない。
ルナが呆れたようにため息をつく。
「これで元王女だって言うんだから、本当に世の中わからないよね」
「あたしもそう思うー。ていうか、もともとあたしは王女なんて柄じゃなかったんだよ」
それを証明するかのように、クララは上気させた頬をこれでもかというぐらい緩ませ、だらしない顔を作っていた。元からなかった王女の風格だが、さらに感じられなくなった。
もう一度ため息をついたルナが、こちらに視線を向けてくる。
「背中、洗ってもらってもいいかな?」
「え、ええ」
予想外の頼み事にラピスは思わず目を瞬いてしまった。受け取ったスポンジでルナの背中をごしごしと洗っていく。どれぐらい力を入れようかと探りつつも、興味は彼女の肌の色に移っていた。
「前から思っていたけれど……肌、すごく白いのね」
「マリハバは寒いところだからね。みんなボクと同じぐらい白いんだ」
「……本当に雪みたいで綺麗」
「あはは、ありがとう」
あまり強くこすると割れてしまうのではないか。
そんな錯覚を抱くほどにすべすべで白い肌だ。
やがて背中を洗い終え、湯をかけて泡を落とす。
と、ルナがこちらを向いて微笑みかけてきた。
「次はボクの番だね」
「……ええ、お願いするわ」
断るなんて思考を挟む余裕がなかった。
向きを入れ替え、今度は洗ってもらう側となった。
ルナは背中を洗うことに慣れているのか。
心地良い強さでスポンジが当てられる。
「ラピスの髪ってすごく綺麗だよね。手入れ、大変じゃない?」
「そうね。けど、慣れるとそうでもないかも」
「どうして伸ばしてるの? って、ああ。批難してるわけじゃなくて単純に興味ね。ほら、戦闘だと邪魔になること多いでしょ」
彼女の言うとおりだ。実際、女性でも短い髪の挑戦者は多い。長髪はヴァネッサのほか、ソレイユの数人ぐらいしかいないように思う。
「……子どもの頃は男っぽい格好ばかりしていたから。女性らしい格好でもしてみようって思ったのがきっかけ……かも」
「へぇ」
気のない返事をしたかと思うや、ルナが耳元で囁くように続きを言ってくる。
「それってやっぱりアッシュが原因?」
「べ、べつにそういうわけじゃっ」
「違うんだ?」
「……ちがわなくないかも」
とっさに肯定してしまった。
嘘をついたところでからかわれるだけな気がしたのだ。
ルナが満足したように笑んだのち、すっと空気を切り替えるようにべつの質問を投げかけてくる。
「そう言えば、キアってどんなところ?」
「あ、それあたしも聞きたーい」
ルナの質問にクララが手を挙げて乗ってくる。
自分に興味を持ってくれている。
それがなんだかむず痒くも嬉しく感じた。
ただ、残念なことに語れることはそう多くない。
「そんなに大したところじゃないわ。近くに試練の塔があるだけで、本当になにもない辺鄙な村よ。人口も100人ぐらいだったし」
「それを言ったらマリハバだって同じだ。自然があるだけで、ほかにめぼしいものはなにもない。けど、悪くなかった」
「キアにも温かい自然があったわ」
「じゃあボクたち、田舎仲間だね」
そう言われると、不思議と親しみが湧いてきた。アッシュを介しての繋がりしかないと思っていたこともあり、余計にそう感じた。
「それだとあたしだけ仲間はずれじゃんー」
口を尖らせて抗議するクララに、ルナが勝ち誇ったような顔で応じる。
「ライアッドは世界でもっとも栄えてるって言われてるしね」
「でも、あたしほとんど外に出られなかったし、実感ないんだよね。かくまってもらってたお屋敷も王都から少し離れた静かなところだったし」
「あれだけ世間知らずなところ見てればね」
そう苦笑したルナが背中を洗う手を止めた。
どうやら洗い終わったらしい。
仕上げに湯をかけてもらう。
「はい、終わり」
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして」
その後、促されるがままラピスは湯船に浸かった。
右隣にクララ、左隣にルナと挟まれた形だ。
ルナが苦笑する。
「さすがに3人だとちょっと狭く感じるね」
「やっぱりわたし、先に出て――」
「いいのいいの」
湯船から上がろうとしたところクララに引き戻された。強引に出ようと思えば出られるが、向けられた無垢な笑顔の前ではそんなことなどできはしなかった。
「……こうして湯船に浸かるってこと、あまりしないから。少し変な感じ」
「マリハバだと毎日浸かってるよ。どう? 悪くないでしょ」
「ええ、体の芯まで温まって……心地いいわ」
本心からの言葉だった。初めこそ慣れない状況に少し居心地の悪さを感じたが、いまはとてもリラックスできている。
あとは体を隠すものがあれば文句はないが、こればかりはしかたない。幸いなのは全員の胸が小さいことか。……ここは平和だ。もしヴァネッサやミルマ級がいれば一緒に湯船に浸かることなんてしなかったと思う。
「クララ、ちゃんと肩まで浸かりなよ」
「はーい」
ルナが顔を前に出し、反対側のクララへと言った。
そんな2人の様子を見ながら、ラピスは思ったことを口にする。
「本当に2人は姉妹みたいね」
「よく言われるー。あたしとしては子ども扱いはやめてほしいんだけど」
「ならまずは行動から直していかないとね」
ルナからそう苦言を呈され、クララが「むぅ」と頬を膨らませた。かと思うや、なにか閃いたようにまぶたを跳ね上げる。
「でも、そしたら長女はラピスさんかな?」
「どうしてわたしが?」
「ほら、身長的に?」
そういう意味ではなく、なぜ姉妹に加わっているのかを訊いたつもりだったのだが……どうやらクララの中では姉妹であることは決定らしい。
「ボクは20歳」
ルナが自身の年齢を口にしたので、こちらも明かす。
「わたしも同じ」
「同い年だったんだ。奇遇だね」
とはいえ、なんとなく同い年な気はしていた。
そうして2人で年齢を言い合ったのち、クララのほうへと揃って目を向ける。
「……16歳です」
「クララの末っ子は変わらないね」
「どこに行っても子ども扱いばっかり……」
言って、クララが顔の下半分を湯につけた。
ふて腐れているのか、ぶくぶくと泡をたてはじめる。
まさしく末っ子に相応しい行動だ。
それからしばらく落ち着いた時間が続いた。体を動かしたことによる水音、熱を吐き出すような呼気だけが浴室に響く。
会話を交わさなかったからか、本日の狩りのことが自然と頭に浮かんできた。ラピスは喉で突っかかっていたものをなんとか押し出し、言葉にする。
「今日は……ごめんなさい」
内容については口にしていない。
だが、ルナには伝わったようだった。
「謝る必要はないよ。ボクだってきみの動きを読めなかったからね」
「任せられるところも任せられなかった」
「まあ、それはね」
ルナは少し困ったように眉尻を下げたかと思うや、優しい笑みを向けてきた。
「でも、ボクはラピスとの連携に可能性を感じてるよ。戦闘では上手くいかなかったけど、こうして面と向かって話せてるからね」
ただ気遣って言ってくれているのではない。
そのことは真っ直ぐな彼女の瞳を見れば一目瞭然だった。
「戦闘回数をこなすことも大事だけど、それ以上にこうして話すことのほうが大事だとボクは思ってる。そうすれば戦闘時でも相手がなにを考えているのか、なんとなくだけどわかるようになるしね」
同い年とは思えない落ち着いた話し方で彼女は続ける。
「だから焦る必要はないよ。いまのままでもきっと明日にはもっと上手く戦えると思うし、明後日にはもっともっと上手く戦えてるはずだ」
「はいはいっ! あたしも、ルナさんと同じ意見です!」
「まったく……クララは調子がいいんだから」
困ったように笑うルナに、えへへと愛らしい笑みをこぼすクララ。
そんな2人のやり取りを見ていると、こちらまで朗らかな気分になった。2人に挟まれているからか、それとも裸という解放感のある格好をしているからか。いずれにせよ、感じていた隔たりのようなものはもうないような気がした。
「……実は不安だった。あなたたちと上手くやれるのかって。けれど、こうして話せたことですごく気持ちが楽になったわ」
「それはよかった」
ルナが安心したように微笑む。
本当に優しさの塊のような人だ。
「あ、それとボクのことは呼び捨てでいいよ」
「あたしもクララでっ」
すかさずルナの提案に乗ったクララ。
2人して期待に満ちた眼差しを向けてくる。
これはいますぐに呼べということだろうか。
「えっと……ルナ……クララ」
なんだか改まって口にするのは恥ずかしい。
クララとルナが顔を見合わせたあと、弾けるような笑みを浮かべて頷く。
「うん」
「はーいっ」
アッシュだけでいい。
彼さえいれば仲間はいらない。
そんな考えが少なからず頭の隅に残っていた。
けれど――。
いまも両側から向けられた2つの笑みを前に、悪くないかもとラピスは思った。





