◆第五話『最後の仲間』
アッシュは、かすかな光を感じて目を覚ました。
ぼんやりとした視界の中、対面の窓にかけられたカーテン越しに陽光が射し込んでいる。……どうやら朝を迎えたようだ。
ずっと椅子に座っていたからか、腰と尻が痛かった。
立ち上がって伸びでもしようとするが、遮られる。
左手を掴まれていた。
掴んでいるのは、いまもベッドで寝ているラピスだ。
彼女が寝ぼけつつ手を握ってきたのが夜遅くのこと。
それからいまのいままでずっと握ったままだった。
寝息は聞こえないが、ラピスは心地良さそうに寝ている。警戒心むき出しの普段とは違い、無防備な姿の彼女はなんとも愛らしい。
いつまでも見ていたい気分に駆られるが、今日もチームとしての活動がある。早々にこの部屋を出てログハウスに戻る必要があった。
「ラピス、朝だぞ」
声をかけてもまったく起きる気配がない。
「おーい、起きろー」
肩を揺さぶってみるが、やはり反応がない。
しかたないので右手の人差し指で頬をつついてみた。思った以上に柔らかく、むにっとへこんだ。ほんの少しだけ口を突き出すような形になったラピスが「んぅ~」と呻き声をもらして寝返りを打つと、ようやくまぶたを持ち上げた。
半身を起こしたのち、寝ぼけ眼をごしごしと腕でこする。
「おはよう、アッシュ」
「ああ、おはよう。よく眠れたみたいだな」
「ええ。なんだかすごくいい気分だわ」
ラピスはあくびを交えつつ自然に答えると、こちらを見て硬直した。時が止まったのではないかと思うぐらいだ。
「……え?」
「ん?」
「どうしてあなたが……ここにいるの?」
「覚えてないのか? 昨日、自分が帰るなって言ったこと」
酔っていたからしかたないかもしれない。
そう思っていたが、一応記憶は残っていたらしい。
昨日のことを思い出してか、ラピスは顔を真っ赤に染めた。
「わたし、こんな姿で……っ」
握っていた左手をばっと離し、慌てて乱れた髪や服を整えはじめる。
あわてふためく彼女が面白くて笑っていたからか、ぎろりと睨まれてしまった。彼女は体を横向けて胸を隠すように自身を抱く。
「昨日のわたしは忘れて。あれは酔っていただけだから……っ!」
たしかに普段のラピスでは考えられない行動ばかりしていたように思う。あれが酔っていたからという理由で説明されれば納得せざるを得ない。
ただ、すべてを忘れるのは残念な気持ちがあった。
なにしろ自分にとって重要なことが含まれていたからだ。
――チームに入ると言ったのも酔っていたからなのか。
そう確認しようとしたときだった。
ラピスが「でも」と口にして、ぼそぼそと話しはじめる。
「チームに入るって言ったのは本当だから。あと……あなたのことを好きなことも」
アッシュは心の底からほっとした。
ただ予想外のことも補足されていて思わず言葉に詰まってしまった。嬉しいやらむず痒いやらでアッシュは頭をかきながら返答する。
「それも本当だったんだな」
「たとえ酔っていたとしても、好きでもない男にあんなこと絶対に言わないわ」
幾度も向けられる真っ直ぐな気持ちは強烈だった。
竜のブレス並みか。いや、それ以上かもしれない。
「……正午過ぎにログハウスに行くから。変態も呼んで待っていて」
「了解だ。ちょうどいいし、それまでに装備でも整えておく」
そろそろ8等級の装備を揃えようという話も出ていた。本日は狩りの予定だったが、そちらに変更しても問題はないだろう。となればまずはレオのところに連絡しに行く必要がある。
そうして本日の予定を組み立てながら部屋を出ようとして、立ち止まった。肩越しに振り返り、いまも羞恥に身悶えるラピスへと告げる。
「ああそうだ。昨夜、ほとんどなにも食べてないだろ。ちゃんと朝飯食べてからこいよ」
「ええ、そうするわ。なにからなにまでありがとう……アッシュ」
アッシュはひらひらと手を振って、今度こそラピスの部屋をあとにした。
◆◆◆◆◆
「2人ともかっこいい……! すごく似合ってる!」
「うん、ばっちりだね。とても輝いてるよ……!」
ログハウスの居間にて。
クララとレオが興奮しながら、そう評価を口にした。
アッシュはルナとともに新たな防具――8等級の《レガリア》シリーズの軽装に身を包んだ姿を披露していた。先ほど委託販売所で購入、交換屋で入手したものを早速着ているのだ。
「ヴァネッサで見慣れてるとはいえ、自分が着るとなるとなんか違和感がすごいな」
「だね、ちょっと派手かも」
ルナが自身の体を見下ろしながら苦笑する。
《レガリア》シリーズは白銀に金で模様づけされた豪華な見た目が特徴だ。8等級の挑戦者が少ないこともあって、中央広場ではもっとも目立つ装備のひとつと言える。
セットで揃えた場合、敵への損傷を少し増加させる効果を持つ。これまで装備していた6等級の《インペリアル》の完全な上位版だ。
一式で約140万ジュリーとガマルが干からびそうなほどの額を払ったが、それだけの価値は間違いなくあるだろう。
ふとレオがなにやらポーズをとっていた。
彼もその身を《レガリア》の重鎧で包んでいる。
「あ、あのクララくん。僕のほうはどうかな?」
「レオさん、少し前から揃えてたじゃん。いまさらっていうか……」
「こんなことなら僕も一緒にお披露目するんだった……!」
ひとりだけ仲間はずれが寂しかったのか、がくりとうな垂れてしまった。哀れレオ。
そんな彼を無視して、クララがこちらに羨望の眼差しを向けてきていた。
「いいなあ」
「クララも変えればよかったろ。レガリア、ソルシリーズにもローブあったし」
「ん~、なんかしっくりこないんだよね。これだって感じがしないっていうか」
彼女は眉根を寄せて思い悩むように唸りはじめる。
ローブの最大の特徴である〝魔力の増加〟は《精霊の泉》を持つ彼女にとっては必要のない効果だ。そんな事情もあって、やる気に繋がるのであればと防具に関しては彼女の好きにさせている。
「とりあえず武器も1個だけだけど買ったし、ひとまず形だけは8等級装備は揃ったね」
「おかげでガマルの胃袋がすかすかだけどな」
10万ジュリー以下になったのは久々だった。
もっとも、低層をさまよっていた頃とは違って資金は貯まりやすい。必死に塔を昇っていれば勝手にまた貯まっているだろう。
いつの間にやら立ち直ったレオが入口の扉のほうを見ていた。
「それより遅いね、ラピスくん。正午過ぎにくるんだったよね?」
「って言ってたけどな」
チームに入るため、挨拶をするだけなら大した準備はないはずだ。いったいなにに手間をかけているのだろうか。
様子を見にいこうか悩んでいると、クララが質問してきた。
「話ってやっぱりチームのことだよね?」
「ああ、たぶん予想してる流れで合ってると思うぜ」
「どうして心変わりしたのかな」
「やっぱりアッシュが朝帰りしたことと関係あるんじゃない?」
話に割って入ってきたルナが口元だけで笑いながら言ってきた。からかうつもり満々なのが見て取れる。
「……関係なくはないかもな」
「ア、アッシュくん……まさか」
なぜかレオがひどく狼狽しはじめた。
クララのほうはというと「ん?」と首を傾げている。
ちなみに朝早くに帰ってきたとき、まだクララは寝ていた。とはいえ、クララの場合、〝朝帰り〟の意味することもわかっていない気もするが。
ルナが大げさに嘆きはじめる。
「ずるいなぁ。ボクとは一緒に寝てくれないのに」
「言っとくが、ルナの想像してるようなことはいっさいしてないからな」
「ほんとに~?」
詰問するように目を細めながら近づいてきた。その顔は怒っているように見えるが、遊んでいるようにも見える。やはりからかい半分のようだ。
どうすれば信じてもらえるかと考えていると、こんこんと扉が小突かれた。
「残念。話はまた今度」
ルナがすっと離れた。
ひとまず解放されたが、またのちほど迫られそうだ。
アッシュはため息をついたのち、扉を開けにいった。
訪問者はやはりラピスだった。
彼女の手に持たれた〝あるモノ〟を一瞬2度見してしまったが、見なかったことにして中へと招き入れた。
リビングでラピスと向かい合う形で、全員が並ぶ。
「わざわざ集まってもらってごめんなさい。もう聞いているかもしれないけれど、あなたたちに話があってきたの」
ラピスは初めこそ凛としていたが、改まった空気に緊張したのか、ちらりと不安そうな視線をこちらに向けてきた。
アッシュは力強く頷いて応える。
それが後押しとなったか、ラピスが意を決したように口を開いた。
「わたしを、あなたたちのチームに入れてほしい」
簡素ながら気持ちのこもった言葉。
それから緊張した空気が緩むまで一瞬だった。
「アッシュが勧誘した時点でボクたちの答えはもう決まってるよ」
「うんうん、ラピスさんなら大歓迎だよっ」
「ラピスくんが仲間になるなんて、これ以上ないぐらい心強いしね」
ルナに続いてクララ、レオがそう応えた。
ラピスが心底ほっとしたように息をつく。
「ありがとう」
結果は決まっていた。
だが、ラピスにとっては初めてのチームだ。
もしかしたら、という不安が少なからずあったのだろう。
アッシュは彼女の頑張りを称えるように手を差し出した。
「今日からよろしくな」
「……ええ」
ラピスとがっちりと握手を交わす。
しっかりと握ったのはこれで3度目だろうか。
とても戦士とは思えない細い指と、なめらかな肌触りだが、この手が凄まじい一撃を放つことは何度も見てきた。信頼できる手だ。
初めこそどうなることかと思ったが、無事に彼女がチームに入ってくれて本当によかった。アッシュは上手く収まったことに心の中で安堵する。が、このまま歓迎の空気に浸るわけにもいかない事情があった。
アッシュは握手を終えるなり視線を落とした。
ラピスのそばに置かれた〝あるモノ〟を見やる。
「で……ラピス。ひとつ訊きたいことがあるんだが」
「なに?」
「その大量の荷物はどうしたんだ?」
ラピスはぱんぱんに膨れ上がった2つの手提げ鞄を運び込んでいた。……あえて訊かずにいたが、いつまでも放置するわけにはいかなかった。
なにもおかしいことはないとばかりに彼女はあっけらかんと言い放つ。
「決まっているでしょう。わたしも今日からここに住むの」





