◆第四話『ラピスの部屋で』
消え入るような声でもらされたラピスの願い。
彼女はそれが本気であることを示すように、ぎゅうと服を握りしめてきた。
「ってもな……」
「本当は出会ったときからあなたのこと、ずっと気になっていたの。ときおり見せる笑顔が憧れの人とすごく似ていたから」
思い返してみれば、こちらが笑顔を向けたとき、彼女は驚いたような顔を見せることがあった。どうやらあれは彼女の記憶の中にあった〝憧れの人〟を想起させていたからだったようだ。
「でも、すごい馴れ馴れしいし、なんだか自信過剰だし」
「……けなしてるのか」
「あの人はこんなんじゃないってずっと否定していたけど、心の中ではこの人じゃないかって思う気持ちもあって……そしたら、やっぱりあなただったから」
「幻滅したか?」
「少し混乱してるだけ。でも、不思議とほっとしてる」
背中に彼女の頭がそっと当てられる。
信頼の表れだと思うと悪い気はしなかった。
「チームを断った理由、教えてくれないか」
アッシュはゆっくりと振り返ったのち、そう問いかける。
ラピスは行き場を失った手で毛布をぎゅうと握った。さらに下唇を噛み、ばつが悪そうに俯く。
「……あとから入って輪を崩したくないと思ったの」
「べつに崩れやしない」
「わたし、人付き合いが得意じゃないから」
「あいつら、そんなの気にしないぞ。っていうか、もう何度も会ってるんだ。ラピスだってわかってるだろ」
先日、ラピスが体調を崩したときもログハウスで夕飯をともにした。ラピスが積極的に喋らないのはいまに始まったことではないが、食卓はいい雰囲気だったように思う。
「……ごめんなさい。この話はうそ。ううん、半分は本当だけど……」
ラピスはいっそう強く毛布を握りしめ、話を継いだ。
「本当は彼女たちと触れ合ったことで勝てないと思ったから。きっと近くで見ていたら辛くなるって……そう思ったから」
抽象的でなにを言いたいのかいまいちわからなかった。ただ、彼女がひどく苦しそうなことだけは痛いほど伝わってくる。
「勝てないってどういうことだ?」
「わたし、独占欲強いみたい……あなたがほかの女性と話してるところを見ると胸が苦しくなってどうしようもなくなるの」
「あー……そういうことか」
ここまで言われて気づかないほど鈍感ではない。
最近、あとをつけていたのもこれが理由のようだ。
「ご、誤解しないで欲しいけど、憧れの人だったからって理由じゃないから」
ラピスは慌ててそう付け加えると、自身の胸に手を当てながら訥々と語りはじめる。
「もちろん、それがきっかけではあったけど。でも、その、わたしみたいな……性格の悪い女とよく話してくれていたし、困っている人を捨て置けないところも……だから――」
彼女は怯えながらも必死な顔を向けてくる。
「思い出だけで……その、好きになったわけじゃないから」
勇気を振り絞って出したのが、ありありと伝わってきた。
あまりに真っ直ぐで思わず目をそらしてしまいそうになった。だが、向けられた真剣な気持ちから逃げるわけにはいかない、となんとか留める。
「言っとくが、べつにクララやルナとはそういう関係じゃないぞ」
「……本当?」
首を傾げ、潤ませた目を向けてくる。
アッシュは「ああ」と頷いた。
「じゃあ、ヴァネッサは?」
「違う」
「ほかのソレイユの子たちも?」
「ああ」
「ミルマの2人も?」
「2人って……まあ、なんとなくわかるけど、違う」
ラピスはようやく安心したように息をついたかと思うや、眉尻を下げながら期待の眼差しを向けてきた。
「じゃ、じゃあ……わたしがいちばん?」
「どうしてそうなる」
「……やっぱり違うんだ」
「待て待て。話を聞け」
しゅんとして持ち上げた毛布に顔を埋めるラピス。
先ほどから普段とは違いすぎる彼女の姿に戸惑うばかりだ。
酒を飲んだからか、これが本来の彼女なのか。……どちらもあるような気がするが、いずれにせよはっきりと伝えておかなければならない。
「ほかの奴らにも言ってるんだが、いまは誰にも応える気はない。塔の攻略に集中したいんだ」
塔の中では魔物との厳しい戦いが待っている。
だからこそ普段は気楽な環境に身を置いておきたいのだ。
行動が制限されるような状況になることは避けたかった。
「じゃあ塔を制覇したら応えてくれるの?」
「俺も男だからな。色々けじめはつけるつもりだ」
「……わかった」
どうやら納得してもらえたようだ。
ほっとしていると、ラピスがぼそりと口にした。
「わたし、あなたのチームに入る」
「いきなりだな」
「だって、そういうことならずっと近くにいたほうが有利でしょ。それに――」
ラピスはベッドからその長い脚を放り出すと、すっくと立ち上がった。そして向かい合う形で強い意志の宿った瞳を向けてくる。
「やっぱりあなたの隣に立って一緒に戦いたい。そのためにこの島にきたんだもの」
その言葉は、まるで彼女が扱う槍のように真っ直ぐだった。
アッシュはしかと胸に届いた新たな仲間の言葉を噛みしめながら、歓迎の笑みを浮かべる。
「……了解だ。あいつらも喜ぶ」
「あなた……アッシュは?」
「もちろん嬉しいに決まってるだろ」
「そっか……嬉しいんだ」
彼女ははにかむように笑った。
素材がいいこともあるが、それ以上に無愛想な面ばかり見てきたからか、より魅力的に映った。アッシュは自身の中の男を押し殺すように息を吐く。
「それじゃ、そろそろ帰る」
「え、いてくれるんじゃないの?」
「自分がどれだけ魅力的かわかってるのか?」
少しだけ強めに言い返した。
しばらく目をぱちくりとさせるだけだったラピスだが、やがて意味を理解したのか。酔いの回った顔をさらに赤く染め上げる。
「わ、わたしはそれでも――」
「よくないだろ」
そう告げると、ラピスがほんのりと口を尖らせ、不満そうな目を向けてきた。まるで叱られた子どものような拗ね方だ。
「それでも今日だけは一緒にいてほしい……お願い」
彼女は長い間、ジュラル島でひとりで待っていた。その孤独から解放されたからか、一気に寂しさから逃れる気持ちが湧いて出てきたのかもしれない。
アッシュは盛大にため息をつく。
「あのつんけんしてたラピスが実はこんな甘えたがりだったとはな」
「い、言わないで。わたしだって好きであんな風にしていたわけじゃないんだから……」
そうしてラピスが羞恥心に身悶える中、アッシュは近くにあった椅子をベッド脇まで持ってきて腰を下ろした。小さな子どもに言い聞かせるように微笑みながら声をかける。
「わかった。けど、その代わりちゃんと寝るんだぞ」
「……うん」
ラピスはみるみるうちにその顔を明るくすると、静々とベッドに戻った。毛布を首までかけたのち、目線だけを向けてくる。
「ずっと……ずっと待ってたんだから」
よほど安心したのだろう。
そう口にしてから彼女が寝息を漏らすまで時間はかからなかった。





