◆第三話『いつもと違う彼女』
翌日。アッシュは赤の塔73階を突破したのち、昼過ぎに帰還。一旦、ログハウスで身支度を整えたのち、中央広場に戻ってきた。
すべては昨日、ラピスと交わした約束を果たすためだ。
「あ~……それで、どうして隣なんだ?」
アッシュは戸惑いつつそう問いかけた。
スカトリーゴで料理を皿に載せ終わり、隅の席についたときだった。ラピスがしれっと隣に座ったのだ。普段は向かい合って座るのに、なぜか今日に限って――。
「べつにおかしくないと思うけど」
「いつも向かいだったろ」
「今日はここの気分なの」
ラピスはこちらを見ずに無表情で答えると、贔屓にしている野菜たっぷりのサンドイッチをかじった。怒っているわけではないあたりがなんとも心境が読みにくい。
「まあ、そっちがそれでいいならいいが……」
カウンター席ならまだしもテーブル席で並んで座るのは凄まじく違和感があった。それは周囲の客も同様のようで、ちらちらとこちらを窺っている。
「また――シュよ」
「ついに――ピスまで――」
断片的に聞こえてくる話し声。
とりあえず褒められていないことはたしかだろう。
そうして居心地の悪さを感じていると、そばに店員のミルマが立った。
「お待たせしました。えっと、マスカとハニーミルクですっ」
テーブルにカップを運んでくれたのはウルだった。
彼女はトレイを胸に抱きながら花開くような笑みを向けてくる。
「いらっしゃいです、アッシュさんっ、ラピスさんっ」
「おう、ウル。今日はここの手伝いなんだな」
「はいっ。ひとりお休みになったそうで急遽入ることになったんです」
相変わらず色々な場所で便利屋をしているようだ。
ウルはこちらとラピスを交互に見やったあと、にっこりと微笑んでくる。
「隣に座ってすっかり仲良しさんですね」
「ええ、10年前からの付き合いだから」
すかさずラピスが答えた。
「そうだったのですかっ。どうりで最初からあんなに打ち解けて……」
ウルはすっかり信じてしまっていた。
アッシュは呆れつつ問いただす。
「おい、ラピス」
「なに? べつに間違ったこと言ってないと思うけど」
「10年間、ずっと一緒にいたわけじゃないだろ」
「そうかもしれないわね」
そうかもしれないどころか、そのとおりだ。
ラピスの発言の真意をたしかめようとした、そのとき。
彼女がとんでもないことをウルに向かって口にした。
「ねえ、あなたはこの人のこと、好き?」
「……え?」
きょとんとするウル。
なにを言われたのか理解できていないといった様子だ。
「おい、なに訊いてんだ」
「ちょっとした興味よ。ミルマは中立だと聞いているけれど、彼女はよくあなたと一緒にいるでしょう」
ラピスを問い詰めると、そんな答えが返ってきた。
ちょっとした興味と言われてしまうと止めづらい。
「ウル、無理に答えなくてもいいからな」
「そ、そうですね……」
ウルはトレイをぎゅうと抱きしめると、下向けた視線を泳がせはじめた。
「アッシュさんはおっちょこちょいのウルにいやな顔せず付き合ってくれますし、お話ししていても楽しいですし、なにより優しいですし。あの……だ、大好きですっ」
勢いよく上げられたウルの顔は真っ赤に染まっていた。まさかこんな衆人環視の中、真面目に答えるとは思っていなかっただけに、アッシュは思わず目を瞬いてしまう。せいぜい〝友人として好き〟が返ってくると思っていたのだが……。
反してラピスのほうは予想どおりだったようで「やっぱり」と口にしていた。
「そ、それではウルはお仕事に戻りますね。またですっ」
一礼したのち、焦った様子で離れていくウル。
その尻尾は興奮してか、羞恥心からか、揺れに揺れていた。
「――やだ。ついに――まで」
「でもさ――シュなら――」
「――わかる――ね」
先ほどよりも周囲から注目が集まっているのは無理もなかった。ほかの客席と同じ高さだというのにお立ち台にでも立ったような気分だ。
「どうしたんだ、今日は」
「いつもと変わらないと思うけれど」
ラピスの顔はやはり無表情のままだ。
これもすべて、彼女が勧誘を断った理由に関係しているのだろうか。いずれにせよ、この調子では精神的に疲労が溜まるばかりだ。
アッシュはため息をつきつつ、カップを口につける。
マスカの濃厚な甘味と、口に残る酸味がいまの心境にはよく効いた。
ラピスがカップをじっと見てくる。
「それ、わたしも飲んでみてもいい?」
「ん、ああ。べつに構わないが」
これまで何度も彼女の前で飲んでいたが、初めてのことだった。
ラピスは受け取ったカップを両手で大事そうに掴んだのち、まじまじと中を見はじめる。一向に動かないことや視線から間接キスを気にしているのは明白だった。
アッシュは強引にカップをくるりと回し、反対側をラピス側に向ける。
「恥ずかしいなら、こっちから飲めばいいだろ」
「いいえ、わたし取っ手がこっちにないと飲めない派なの」
いったいどういう派なのか。彼女はカップの位置を元に戻すと、意を決したように口をつけた。というより勢い余ってか、かなり口内に含んだようだ。ごくんっと喉を鳴らす音が聞こえてきた。
「おい、一気に飲みすぎだ」
「おいしいわ」
カップをテーブルに置きなおし、感想をこぼした。直後、ラピスはふっと力が抜けたようにそのまま前に倒れてしまった。テーブルが揺れ、がしゃんと音をたてる食器。幸い割れたものはないが……。
「ラピス? 大丈夫か? おい」
一気に酔いが回ってしまったのだと思われるが……。
いずせにれよ、これは食事どころではない。
さらに強まったほかの客からの視線を一身に浴びながら、アッシュはラピスを背負って店を出た。
◆◆◆◆◆
「ついたぞ」
ラピスが利用する宿の部屋前に到着した。
背中で呻いた彼女が前方に腕を伸ばし、茶褐色の扉中央に埋め込まれた魔石に手をかざした。魔石が柔らかく光り、扉が左右へと割れるように開く。
「ごめんなさい……ベッドまでお願い……」
しかたないな、と思いながらもアッシュは部屋の中へと入った。
以前、宿を探していたとき、参考にと入れてもらったことがあるのでラピスの部屋に入るのは今回で2度目。彼女の寝室へと迷うことなく辿りついた。
ラピスをゆっくりとベッドに寝かせる。
まだ顔が赤いうえに苦しそうだ。
アッシュは台所へと行き、適当なコップに水を入れてきた。ラピスに半身を起こさせ、コップを手渡す。
「ほら、水だ。ゆっくりな」
「……ありがとう」
ラピスが両手でコップを持ち、口をつけた。
喉が渇いていたのか、それとも酒による不快感を流すためか。ごくりごくり、と音を鳴らして彼女は一気に水を飲み干した。
アッシュはコップを受け取りながら訊く。
「まだいるか?」
「もう大丈夫」
彼女はまた枕に頭を預けると、右腕で目を覆い隠した。自身の弱った姿を見られることに羞恥心を感じているのだろうか。
「まさかこんなに酒に弱かったとはな。飲ませて悪かった」
「わたしが頼んだことだから。あなたは悪くないわ」
少し汗ばんだ額や耳、首にはりついた幾つもの髪。ほんのりと赤く染まった頬。ふぅと息をもらすしぐさ。すべてが艶かしく見えた。
男としてなにも思わないわけではない。
だからこそ早々に立ち去るべきだと思った。
「とりあえずただの酔いだし一晩寝たら治るはずだ。……それじゃ俺は帰るからな」
そう言い残して部屋を去ろうとしたときだった。
ぐいと服のすそを掴まれた。
とても体調の悪い人間とは思えないほどの力だ。
「おい、そんな引っ張ったら帰れないだろ」
振り返って彼女のほうを見る。
と、アッシュは思わず目を瞬いてしまった。
そこには普段の毅然としたラピスはいない。
いまにも泣き出しそうな、ただのか弱い女の子がいた。
「お願い……帰らないで……」





