◆第十二話『長い時を経て』
赤の塔71階を2日かけて突破した翌日。
陽が中天を差しかかる頃、アッシュは島の南東を目指して歩いていた。
波の音や潮の香りに誘われるようにして密林を出る。正面には船着場。そこから右側へ視線を移すと、浜辺にぽつんと座っている女性が映り込んだ。
後ろで結った黄金の髪に、《フェアリー》シリーズとくれば当てはまるのはひとりしかいない。ラピスだ。
ちょうど海風が吹いたのか。彼女の長い髪がゆらりと宙をたなびいた。髪質がおそろしくいいのだろう。陽射しで1本1本が綺麗に煌いていた。
ラピスは乱れた髪を手櫛で梳くようにして整えていたが、その行動ひとつとっても目を惹くものがある。彼女がどこかの王族だと言われれば、きっと疑うことはしないだろう。それほどまでに品があった。
もう少し眺めていたかったが、彼女を待たせるわけにはいかない。アッシュは気持ちを振り切るようにして彼女のもとへと向かった。
「早くきたつもりだったんだけどな」
「ついでに海を見ようって思って、それで早くきただけ。べつになにかを期待していたとか、そういうわけじゃないから」
「わかってる」
そばに立ってもラピスはこちらを見ようともしなかった。変わらず海のほうを向いている。彼女に倣う形で、こちらも海に向かって座り込んだ。
「覚えてるか、ここで出会ったときのこと」
「……ええ」
「俺がここで道を訊いて、ミルマのことを教えてもらって。そしたらラピスが猫耳の真似してくれて」
「わ、忘れてって言ったでしょ」
すました顔をしていたラピスが慌ててこちらを向いた。その綺麗な眉を寄せながら、ぎりりと睨んでくる。
「わたしを辱めるために呼んだの? だったらすぐに帰るけど」
「訊きたいことがあるんだ」
アッシュは間髪容れずにそう言った。
こちらの真剣な顔を見てか、ラピスが立ち上がろうと地面に当てた手を浮かした。
波が押し寄せ、引いていく。
古い波を、新たな波が覆ったのを機にアッシュは口を開く。
「昔、俺と会ったことがあるか?」
「…………口説いてるつもり?」
かすかにまぶたを跳ね上げたのも一瞬。
彼女は眉をひそめながら、そう返してきた。
どうやら平静を装うつもりのようだ。
アッシュはほぼ確信を抱きながら話を続ける。
「子どもの頃、キアってところに行ったことがあってさ」
「……あんな辺境地に行くなんて物好きね」
「ラピスの出身地なんだろ」
「そうだけど……でも、それだけじゃ会ったとは言えないわ」
頑なに認めるつもりはないらしい。
というより彼女自身が確信を抱けるまで続きそうだ。
アッシュは続けてつらつらと情報を出していく。
「キアには試練の塔を攻略するために行ったんだけどな。塔の前に同じぐらいの歳の奴に会ったんだ。たぶん俺の一個下ぐらいだと思う」
「わたしのほかにも村には歳が近い子は3人いたわ」
「……で、そいつ川の近くで泣いてたんだ。それはもう天に届くんじゃないかってぐらいわんわん大声で」
「そ、そんなに泣いてなかったでしょう!?」
ラピスが大声で反論してきたのち、しまったとばかりに口を閉じた。ばつが悪そうに海のほうへ向きなおると、ぼそりと言う。
「……子どもだもの。わたし以外にも川で泣いてる子も……いたかも」
「そろそろ苦しいな」
自分でもわかっているらしい。
ラピスが悔しそうに身を縮める。
あとひと押しといったところか。
「それでどうして泣いてるのかって訊いたら、塔の中に大事なものを落としたって言うからさ。一緒に取りにいったんだ」
言い終えるなり、アッシュはラピスの胸元へ視線を向ける。
時折、彼女は胸元に手を当ててなにかを握っていた。
おそらくそれこそが――。
「あんなに大事そうにしてたんだ。いまもつけてるんだろ?」
ラピスからの返答はなかった。
代わりに彼女はゆっくりと胸元に手を差し入れ、細い紐をたぐるように出した。先には親指程度の大きさを持った瑠璃色の結晶がついている。記憶の中のものと間違いなく合致している。
「……まさかあのときの奴がラピスだったなんてな」
アッシュは思わず驚嘆の息をもらした。
あの弱々しい子から、こんなにも凛々しい女性へと成長するなんて誰が想像できただろうか。喋り方だってもう少し可愛らしかった気もするし、まったくもって面影がない。
ただ、信じられない気持ちはラピスのほうが勝っているようだ。彼女は瞳にわずかな恐れと疑心を混ぜながら、必死な顔を向けてくる。
「でも待って。彼、長剣を使っていたわ」
「それなんだけどな、実は俺も12歳になるまでは使ってた」
「12歳って……もしかして前に言っていた自分で切ったっていう? でも、あれだけ剣を扱える人が、そんな失敗するなんてとてもじゃないけど信じられないわ」
まったくもってそのとおりだ。
アッシュは頭をかきながら答える。
「あ~、あれはとっさに出た嘘なんだ」
「嘘ってどうしてそんなこと」
当然ながら説明を要求された。
この話をするのは何度目でも気が引けるが、話さないわけにはいかない。
「12歳になると発現する《血統技術》があってな。使えば塔の100階までいけるんじゃないかってぐらいぶっ飛んだ奴なんだが、これがまた厄介で、長剣を使うと自我を失って仲間を傷つけるかもしれないんだ」
――使えば100階まで行ける。
挑戦者にとって興味の対象となるだろう力を話したにもかかわらず、ラピスは驚きをみせなかった。きっとそれよりも重要なことがあったからだろう。
ラピスはじっとこちらを見つめてきたのち、そっと呟くようにして訊いてくる。
「じゃあ、本当に……あなたなの?」
「ラピスと一緒に首飾りを取りに行ったって奴がいるなら話はべつだけどな」
「いないわ。彼だけよ」
ラピスは盛大に息を吐きながら思い切り脱力していた。それからまた海のほうへと顔を戻したのち、視線を落としてぼそりとこぼす。
「やっぱりあなただったのね」
「気づいてたなら、もっと早くに声をかけてくれりゃよかったのに」
「もし違ったら……そう思ったら怖くてしかたなかったの」
「怖いって大げさだな」
ラピスが両膝の間に顔をうずめ、両腕で脚をぐっと抱いた。普段の毅然とした姿からは考えられないほど弱々しい姿だ。
「だって彼と――あなたと一緒に戦うためにずっと辛い訓練をしてきて、ようやくここまで辿りついたのよ。それなのにあなたは島にいなくて。待っても待っても全然こなくて。そんなに長い時間があったから……」
どうやら、こちらが思っている以上にラピスは再会を望んでくれていたようだった。だからこそ、ここまで怯えるほどに思い悩んでしまったのだろう。
「世界中の試練の塔を攻略してたんだ。……悪いな、まさか待っててくれたとは思わなかった」
「それは……わたしが勝手にしていたことだから」
たしかに約束はしていない。
それでもラピスの強い想いはたしかに伝わってきた。
素直に応えたいと思った。
記憶の中の彼女だけではない。
いまの彼女との信頼関係もきっと築けている。
もう障害はない。
アッシュは意を決して口を開く。
「俺たちのチームにこないか? もう仲間には許可をもらってる」
「いや」
「……え?」
あまりに早い即答にアッシュは思わずきょとんとしてしまった。彼女の心境が理解できず、窺うようにして問いかける。
「あ~……俺のことを待っててくれたんだよな?」
「……ええ」
「俺と一緒に戦うために」
こくりと頷くラピス。
「だったら――」
「いやなものはいや」
まるで口げんかで負けた子どものように悔しげな顔でこちらを睨んできた。目尻にはかすかに涙が滲んでいる。
「だって……」
ラピスは下唇を強く噛み、続きを絶った。
そして立ち上がり、密林のほうへと駆けだす。
「ごめんなさい。やっぱり言いたくない」
「あ、おい。ラピスっ」
すぐに制止の声をかけるが、彼女が足を止めることはなかった。アッシュは彼女が姿を消した密林のほうを呆然と見つめる。
「いったいどうしたってんだ……」
思わずこぼれたため息が波のさざめきにさらわれ、虚しく消えていった。





