◆第十話『赤の71階リベンジ』
まるで天地が鳴いているかのような凄まじい音だった。ひとつ、ふたつと轟くたび地面に穿たれる大穴。弾けとぶ無数の礫。さらには視界が上下するほどの激しい揺れ――。
あまりに凄惨な状況に恐れを抱くと同時、アッシュは気持ちが昂ぶっていた。
――これが8等級階層か、と。
3頭の飛竜に襲われていた。
赤の塔71階。
1本道の通路の先、だだっ広い空洞に出た矢先のことだ。
飛竜たちは降下することなく、ひたすらに上空から火球を放ってきている。まさに火球の雨といった壮観な光景にただただ圧倒されるが、あいにくと当たれば無事ではすまないとあって足を止めて眺める暇などなかった。
「ごめんっ、これ全部迎撃は無理っぽい……!」
クララが《フロストバースト》で火球の迎撃に当たっているが、数が多いこともあってなかなか上手くいっていない。
飛竜の敏捷性や知能の高さも大きな理由だ。天井を支えるように伸びた幾つもの岩柱を盾に見立ててうまく《フロストバースト》から逃れている。
「こっちも落とすのは厳しいかも! いけなくはないけど時間がかかりそうだ……っ!」
ルナも飛竜を墜とそうと矢を射続けてくれてはいるが、彼女もまた大量に降り注ぐ火球に悩まされている。
ふいに頭上から影が差した。アッシュはとっさに身を横に投げて地面を転がる。最中、全身の骨を直接叩かれたかのような、とてつもない轟音が鳴った。火球がそばの地面に衝突したのだ。
あまりに近かったこともあり、きぃんと耳鳴りが起こった。アッシュは顔を歪めつつ、頭部に飛んできた礫を得物で防いだ。
速やかに起き上がると、またも火球がこちら目がけて降ってきた。舌打ちしたのち、再び地面を転がって無傷でやり過ごす。
まるで鎖で繋がれているかのような窮屈さだ。
どこへ行っても火球が頭上から降ってくる。
「なんてやりにくい相手なんだ……っ!」
3頭の飛竜のほぼ真下、レオが標的を自身に固定せんと必死に長剣を振って飛竜に斬撃を飛ばしている。だが、どれも完全には固定できていない。
基本はレオに注意を向けてはいるものの、気まぐれのようにレオ以外にも火球を飛ばしてきているのが現状だ。と、1頭の飛竜が放った火球がクララの迎撃網を抜け、レオに命中した。
弾けるように散った火炎の中から、上方へと盾を構えたレオが現れる。五体満足だが、その身を包む《巨人》防具は煤がついたようにこげていた。
「ごめん、レオさん……!」
「ある程度なら受けられるから気にしないでおくれ!」
レオは再び重鎧独特の金属音を鳴らしながら、飛竜たちへと属性攻撃――斬撃を放ちはじめる。先ほどと変わらない動きを見せてはいるが……やはり余裕というわけではないようだ。その顔は苦痛に歪み、余裕はない。
このままではジリ貧だ。
やられるのは目に見えている。
アッシュは入ってきた通路の対面――空洞の奥へと視線を向けた。切り立った崖のような壁の下端に次の区画へと繋がるであろう穴が開いている。ちょうど飛竜が通り抜けられない程度の大きさだ。
あそこに逃げ込めば、なんとか飛竜たちをやり過ごせるかもしれない。
「ルナ、先行してあそこの穴に敵がいないか確認を頼む!」
「了解っ!」
ルナが穴のほうへと向かいはじめた直後、1頭の飛竜が反応した。力強く翼をはばたかせ、弾かれるようにして翔けだす。
「お前の相手はこっちだ!」
アッシュは飛竜が頭上を通り過ぎる瞬間を狙い、アックス側を振ってその翼に斬撃を当てた。傷をつけることはできなかったが、飛竜は苛立つように鳴いてその場に留まった。こちらに向かって連続で火球を吐いてくる。
それらを回避していると、先行したルナから声が飛んでくる。
「大丈夫だ! 中に敵はいない!」
「よしっ……クララ! レオへの火球だけを迎撃しつつ穴に向かえ! 背中は絶対に見せるなよ!」
「わ、わかった!」
クララの進路を塞がないよう、アッシュはいまも相手をしている飛竜を誘導する。ほぼ安全圏までクララが辿りついたのを確認したのち、レオへと叫ぶ。
「レオ、先に行け!」
「でもそれじゃきみがっ」
「そんな重いもん着てるんだ! 先に行くのは当然だろ!」
「……了解だっ」
渋々といった表情でレオが穴のほうへと向かいはじめる。
とはいえ、レオが先に穴へと逃げ込めば、彼を追いかける飛竜に入口を塞がれてしまう。こちらもいま1頭を引きつけているので同じことが言える。つまり2人で助かるには、2人ほぼ同時に入る必要があるというわけだ。
思考中にも火球は降り注いできていた。いまでも当たる気はしないが、少しでも身軽になっておきたい。アッシュはハンマーアックスを振りかぶりながら声を張り上げる。
「クララ、ルナ! そのまま動くなよ!」
ハンマーアックスを穴のほうへと投擲した。ぐるぐると回ったそれは見事に穴の中へと入ると、入口付近の地面に落ちて転がった。「ひぃっ」とクララが短い悲鳴をあげていたのは言うまでもない。
ひとまずこれで身軽になった。アッシュは余裕を持って火球を回避しつづけると、2頭の飛竜を引きつけたレオが穴付近まで辿りついていた。
「クララ、迎撃は終わりだ! ルナと中に避難してろ! レオ!」
「ああ!」
レオと視線を交差させ、揃って穴の中へと走り出した。2頭の飛竜たちが火球を放ってくる中、1頭だけは降下をはじめていた。穴に逃げ込むと察したのかもしれない。
「2人とも早く!」
ルナが穴の中から必死に叫ぶ。
すぐ後ろに火球が落ちたようだ。
轟音が鳴り響き、地面が揺れる。
レオが先に穴へと入った。
こちらはあと5歩程度。
続いて飛竜の威嚇するような咆哮も聞こえてきた。振り向かずとも威圧感からわかる。もう近くまできている。振り向けば、こちらを食わんとする凶暴な口が待っているのは間違いない。
――このままでは食われる。
脳がしびれるような感覚に見舞われたとき、そばを1本の矢が通り過ぎていった。ルナが矢を射てくれたのだ。近くまできていた威圧のようなものが消えたのと同時、アッシュはまろぶようにして穴の中へと飛び込んだ。
背後からとてつもなく重い音が聞こえてきた。飛竜が穴の両端に翼を引っ掛ける形で激突したのだ。穴の天井からぱらぱらと小石が落ちてくる中、アッシュは落ちていたハンマーアックスを拾いつつ、起き上がった。
穴の両端に翼を引っ掛けた飛竜は初めこそ衝撃で呻いていたが、すぐさま怒り狂ったように猛った。少しでも穴の中へと入ろうともがいたのち、その頭部をすっと引く。
もう何度も見た。
火炎を吐くつもりだ。
アッシュは前へと踏み出した。
レオも予測してか、動きだしていた。
2人揃って飛竜の頭部へと接近する。
「吐く前に――」
「やるッ!」
レオが飛竜の鼻に長剣を刺し込む中、アッシュは眉間の辺りにハンマーを叩き落とした。呻きながら地面に顎をぶつけた飛竜へと2人してさらにもう一撃を見舞う。
飛竜が口をだらしなく開け、眩暈を起こしたように頭部を揺らしはじめる。このまま総攻撃をしかければ倒せるかもしれないが、向こう側にはまだ2頭残っている。
眼前の飛竜のように突っ込んでくれれば対処できるが、仮に距離をとって穴へと火炎を吐かれたら全滅だ。戦うにしてもここは場所が悪すぎる。
「ジュリーになったらさっきの2頭が突っ込んでくる! このまま残して奥に進むぞ!」
そう指示を出し、アッシュは仲間とともに奥へと全力で駆けだす。
意識を取り戻したのか、しばらくの間、飛竜の怒りに任せた咆哮が後方から聞こえてきていた。





