◆第七話『夜の散歩』
「結局、帰るのか」
月明かりの下、アッシュはログハウスを出たばかりのラピスに声をかけた。つい先ほど廊下を歩く音が聞こえたので、もしやと思ってあとを追ってきたのだ。
ラピスが振り向いて、こちらを睨んでくる。
「……あとをつけるならもう少し潜めたら」
「わざとだわざと」
「ほんと意地が悪いわ」
そう答えたのち、ラピスは視線を外して話を継ぐ。
「これ以上、迷惑はかけられないから」
「迷惑なんて言葉、あいつらの頭の中にまったくないと思うけどな」
「……わたしが納得できないから」
それを言われたらなにも返せなかった。
アッシュは彼女のそばまで行き、中央広場への林道を横目に見ながら言う。
「送ってく」
「いらない」
「まだ万全じゃないだろ」
「帰るぐらいはできるわ」
本当に強情だ。
ここは卑怯な手を使うしかない。
「こっちは命の恩人だぜ」
「それを言うのは……ずるい」
ラピスは不満そうにひと睨みしてきたのち、つかつかと歩きだした。彼女に合わせてこちらも歩き出す。
林道とあって屋根のように頭上を塞ぐ枝葉が月明かりを少し遮っている。だが、先ほどまで寝ていたこともあってか、暗さに目が慣れていた。明瞭に辺りのものを認識できる。
「夕飯はどうだった?」
「すごく美味しかったわ。もしお店で出ていたら繰り返し食べたいぐらいに」
「それ、言ってやったら喜ぶぜ」
「……そういうのは」
得意ではない。
そう言いたかったのだろう。
半年ほどの付き合いだが、そういう性格であることは理解している。
「彼女……いつから料理してるの」
「クララのことか。ほんと最近だぜ」
「少し危なっかしい感じだったけれど……頑張ってたわね」
「これまでああいうこと、できるような環境じゃなかったみたいだからな。本人は頑張ってるってより楽しんでる感じっぽいな」
時々というかよく失敗しているが、日に日に上達している。そんなクララの成長を見守るのが最近の楽しみでもあった。
林道を抜け、中央広場に入った。多くの者が寝静まる時間とあってさすがに静かだった。空いている酒場も《喚く大豚亭》ぐらいだ。
「あの変態、チームに入れたのね」
「ああ。いまじゃなるべくしてって感じだ」
「大丈夫なの? 彼女たちと混ぜて」
「たしかにレオは変態だが、害はないってのはラピスも知ってるだろ」
「そうね。彼、あなたにしか興味がなさそうだし」
「その言い方は悪寒がするからやめてくれ」
レオも場を和ますためにふざけてやっているだけだろう。きっとそうだ。間違いない。
「ま、3人とも上手くやってる。前から一緒にずっと戦ってきた仲間みたいにな」
会話のぎこちなさがいっさいないだけでなく、戦闘の連携度が初めからおどろくほど高いところにあった。
レオが常に周囲に気を配っているからという理由もあるのは間違いない。だが、それ以上にやはりすでに気心の知れた仲というのが大きかったのだと思う。
仲間の話になったからか、自然とラピスに視線が向いてしまった。アッシュは重い空気にしないよう、さりげなく問いかける。
「なあ、どうして誰ともチームを組まないんだ?」
「べつに必要ないから」
「そのわりにはずっと8等級で止まってるんだろ」
「これから攻略するところよ」
「聞いたぜ、もうずっと71階で止まってるってな」
話しているうちに中央広場の北側通りに辿りついた。
ベヌスの館から2本横の路地を奥に進めば彼女の宿だ。
「ここまででいいわ」
「倒れてたの、俺たちがいなかったら死んでたろ。ひとりなのも限界なんじゃないか」
足を止めたラピスに先ほどの話の続きを言った。
おそらく彼女が一番わかっているだろうことだ。
ラピスの目がかすかに細められた。
苛立ちか悔しさか。
彼女はそれらの感情を吐き出すように息をつくと、その目を星空に向けた。
「ある人を待ってるの。その人はわたしなんかよりもとても強くて。だからその人に見合うようにって……」
月明かりを帯びた彼女の肌は青白く染まっていた。
夜の穏やかで少しひんやりとした風が吹き、彼女の金の髪がふわりと舞う。《フェアリー》シリーズを着ていることもあってか、その姿は本当の妖精のように幻想的で、ひどく美しかった。
彼女がいつも海を見ていたのはそれが理由か。
海の先から、〝ある人〟がくるのをずっと待っていたのだ。
「ラピス以上って相当だな」
「ええ、本当に強い人よ」
彼女ほどの人間にここまで言わせるとは。
少しばかり羨ましい気持ちが湧いてしまう。
ラピスはその瞳から憧れを消すと、疑念に染めてこちらに向けてきた。
「ねえ……本当は長剣、使えるんじゃないの?」
「どうしてそう思うんだ?」
極めて自然に問い返した。
――つもりだ。
「仮に使えたとして、なにかあるのか?」
「それは……」
ラピスはどこかばつが悪そうに目をそらすと、下唇を噛んだ。
「ごめんなさい、忘れて」
言うやいなやこちらに背を向けて歩き出そうとする。が、すぐに足を止めた。
「今日はありがとう」
そう言い残すと、今度こそ去っていった。
あれほど取り乱していながらもしっかりと礼を言ってくる辺り、やはり律儀な人間だ。
それにしても――。
なぜ〝長剣を使えるのか〟と訊いてきたのか。
そもそも、なぜその疑問を抱いたのか。
島で長剣を使ったのはリッチキング戦のみ。
それもヴァネッサ以外に見られてはいない。
あのヴァネッサが話したとは考えにくいが……。
アッシュは誰もいなくなった通りで、ひとりため息をつきながら頭をかいた。
◆◇◆◇◆
ラピスは足早に路地を抜け、宿に戻った。
扉が閉まるなり、背中から寄りかかる。
「あの男があの人のはずがないのに……っ」
どうしても思い出してしまう。
彼の話し方。
彼の笑顔。
そして今日、握ったあの手。
大きさは違うけれど、力強くて、なにより温かい手。
なにもかも記憶の中のあの人とそっくりだ。
けれど、訊くに訊けなかった。
もし間違えていたら。
いや、それならまだいい。
覚えていなかったときが一番怖い。
覚えていたとしても〝待っていた〟のは勝手にしていることだ。もしかしたら鬱陶しがられるかもしれない。なにしろすでに彼には、あんなにも素敵な仲間がいるのだ。
もし〝あの人〟と一緒になれない未来がきたら。
胸が張り裂けそうに痛くなった。
これまでの辛い訓練だけではない。ジュラル島で死ぬような思いをしながらも、ひとりで戦ってきたすべてが崩れ去ってしまう。
ラピスは扉に寄りかかったままずるずると座り込んだ。
胸元に手を突っ込み、中から首飾りを取りだした。
先端に取りつけられた親指程度の小さな結晶。
海のように深い青色に煌くそれを見つめながら、ラピスは訴えかけるように言葉を紡いだ。
「ねえ、わたしはここにいるよ……あなたに会うために……あなたと戦うために、ここにきたんだよ……」





