◆第六話『目覚めのあと』
「お、起きたか」
そう声をかけながら、アッシュはベッドの上で寝ていたラピスの顔を覗き込んだ。彼女は長い睫毛を幾度も上下させたのち、訝るように凝視してくる。
「……どうしてあなたが」
言いながら、彼女が体を起こす。
あわせてこちらも顔を引いて、ベッド脇の椅子に座りなおした。
「やっぱ覚えてないのか」
「……ここは?」
「俺が住んでるログハウスだ」
ラピスはいまだ状況が理解できていないようだ。
ぼうっとした様子で視線を巡らせはじめる。
彼女の額には汗が滲んでいたせいもあってか、一房の髪がはりついていた。彼女もそれが不快だったのだろう。かきわけるようにして右手で横へずらす。
と、彼女はなにか違和感を覚えたようにぴたりと止まった。視線をおそるおそる左手のほうへと移した、直後。
「ど、どうして手なんか繋いでるのっ」
弾かれるようにして右手を引くと、こちらを睨んでくる。
「言っとくけど、そっちが繋いできたんだからな」
「うそよ」
「べつにそれでもいい」
「…………もしあなたの言っていることが本当だったとしても、あなたの手だから握っていたわけじゃないことはたしかだから」
言葉では信じていない風を装っているが、実際は自分からだとわかっているのだろう。彼女はまるで失態を恥じるようにほんのりと頬を赤く染めていた。
「わかってる。人肌恋しかったって奴だろ」
「……それだとわたしが寂しがり屋みたいじゃない」
「違うのか?」
「違うわよ」
すぐさま否定されてしまった。
たしかに寂しがり屋ならわざわざひとりで狩りをしたりはしない。
ラピスはまたもはっとしたように硬直したのち、自分の体を見下ろした。彼女はいま、ルナが提供してくれた質素な布着を着ている。
「わたしの防具は? ……まさか」
「安心しろ、着替えさせたのはクララとルナだ」
ほっとしたように息をついたかと思うや、彼女はばつが悪そうに視線をそらした。
「あのあと引き返したんでしょう……ごめんなさい」
「もともと引き返そうかって話してたところだし、気にするな」
「……そう」
本当のことだったが、彼女はそう受け取らなかったらしい。まるで逃げ出すようにいそいそと掛け布団をのかし、足を下ろす。
「もう大丈夫だから」
言いながら、立ち上がったラピスだったが、早速フラついて倒れそうになっていた。慌てて彼女の腹の前に腕を差し込んで支える。
「なにが大丈夫だ。全然だめじゃねえか」
「なにしてっ、離し――」
「ちょっと触るぞ」
力なく暴れようとする彼女を制して、こちらを向かせた。その額に手を当てて体温をはかる。
「汗……かいてるのに」
たしかに湿り気を感じたが、とくに気にするものでもない。さすがに異臭を放っていたなら抵抗感を覚えるかもしれないが、彼女相手ではそんなことはいっさいなかった。
自分の額にも当てて比較してみるが、それほど差異はない。ほんのりとラピスのほうが温かいぐらいだ。
「やっぱ熱はないよな。単純に過労じゃないか」
「終わったならさっさと離して」
そうラピスが発言した直後、部屋の扉が開けられた。
「アッシュ、彼女の具合は――って、邪魔しちゃったかな?」
「あわわわわっ」
中に入ってきたルナ、クララが二様の反応を見せる。
どんな勘違いをされたのかは明らかだった。
ラピスは動じることなくさっと離れると、息をついた。ため息というよりは、少し疲れた感じのものだ。アッシュは彼女を横目に見ながら言う。
「ラピスの奴、まだ体調がよくないみたいでさ。このまま泊まらせるけどいいだろ」
「なに勝手なこと言ってるの」
「そんなフラついたまま帰らすわけにはいかないだろ」
先ほど倒れそうになった手前か。
ラピスは不満そうに顔を歪めるだけで言い返してはこなかった。
「もちろんいいに決まってるよ。部屋も余ってるしねっ」
クララが歓迎とばかりに声をあげる。彼女の言うとおりログハウスには寝室がちょうど4つあるので誰かの部屋をわざわざ空ける必要もなかった。
ルナが微笑みながらラピスに問いかける。
「食欲はある?」
「え、ええ……」
「じゃあ4人分だね」
帰還したのは正午を少し過ぎた頃だったが、そろそろ夕飯時だった。
「クララ、手伝ってくれる?」
「うん。今日はラピスさんもいるし……し、慎重に頑張る」
「あはは。気楽にね。そんなんじゃ手、切っちゃうよ」
そうしてルナとクララが部屋を出て行こうとしたとき、「あのっ」とラピスが声をかけた。どうしたのか、とばかりにルナとクララが振り向いて首を傾げる。
「その……着替えのこともだけど……色々ありがとう」
たどたどしい言葉ではあったが、しっかりと伝わったようだ。ルナとクララは互いに顔を見合わせたのち、ひどく嬉しそうににっこりと笑みを浮かべる。
「ボクたちも前に助けてもらったしね」
「うんうん、困ったときはお互いさまだよっ」
一点の曇りもない優しさを受けてか、ラピスが面食らったように目を見開いていた。
「それじゃ、できたら呼びにくるからゆっくり休んでて。……あっ! アッシュ、彼女が弱ってるからって襲ったらだめだからね」
「俺をなんだと思ってるんだ。ったく……」
最後に悪戯っ子のような笑みを残して、ルナがクララとともに部屋から去っていった。
静かになった部屋の中、ラピスが閉められた扉を見ながらぼそりとこぼす。
「いい人たちね」
「だろ。俺の自慢の仲間だ」
本当に自分には勿体無いと思うぐらいだ。
クララやルナだけではない。
レオを含めた仲間たちと知り合えて心の底から良かったと思える。
もちろん、それはラピスに対しても同じだが――。
ふと彼女のほうを見れば俯いていた。
その目は寂しげに揺れ、どこか遠くを見ているような、そんな気がした。





