◆第二話『緑の塔』
白い靄を纏った矢が、こめかみのすぐそばを抜けていく。
ぞくりとした寒気。走る緊張。
それらが直後に高揚感へと姿を変え、体を突き動かす。
アッシュは地を這うように前へと飛び出した。
前方のゴブリンファイター2体を上下に両断。さらに奥で構えていたアーチャーへと肉迫し、その眉間へとスティレットをぶっ刺した。
「いいか、絶対に俺の真後ろには立つなよ! 少し外れたところから敵の攻撃すべてを把握しておけ!」
敵からスティレットを引き抜きながら、後方に控えるクララへと忠告する。
現在、緑の塔の9階と10階とを繋ぐ坂をのぼっていた。
右手には鮮やかな青で彩られた空。
左手には苔のような深い緑色の壁が奥まで続いている。
「あと壁側に背中を向けて、できるだけ半身になるんだ! そうだ! それなら後ろももっと見やすくなる!」
「わ、わかった! 後ろの確認は任せて!」
赤と青の塔で10階まで到達したこともあり、順調なペースで昇れている。
だが、簡単というわけではなかった。
前方から鞭を持ったゴブリン1体、球根型の魔物が5体現れた。
球根は人の頭ほどの大きさを持ち、天辺から双葉を生やした格好だ。
6階から出現している緑の塔固有の魔物だ。
ゴブリンが甲高い声をあげながら鞭を振るった。
叩かれた2体の球根がギザギザの口を開けながら跳ねるようにして突撃してくる。
「この球根野郎ッ!」
片方を鞭で牽制するが、ほんの少し押し戻すだけに終わる。
球根の厄介なところだ。
奴らはゴブリンに鞭で打たれた瞬間から、ただひたすらに突撃することしかしない。
アッシュは舌打ちしながら即座に鞭を仕舞い、両手に短剣を構えた。ほぼ同時、1体の球根が、遅れてもう1体が涎まみれの口を広げて飛びかかってくる。
どちらの口にも短剣を突き刺した。
ぐさりとたしかな感触。
だが、そこで終わらずに球根は刀身が食い込むのも厭わずに突き進んでくる。
このままでは手ごと食われかねない。
すぐさま床に叩きつけ、足で球根の顎を押さえながら短剣を引き抜いた。
直後、球根は耳をつんざくような奇声を発し、消滅する。
「アッシュくん、2体来るよ!」
クララの警告を受けて視線を上げると、すでに2体の球根が間近まで迫っていた。
体勢が悪い。
一旦立て直すために回避するか――。
そう思ったとき、1体の球根に氷の矢が刺さった。
クララのフロストアローだ。
仕留めるまではいかなかったが、2体の間にズレが生じた。
その隙を狙って先に来た球根の裏手に回り、スティレットで一刺し。
あとから来た球根をソードブレイカーで受けながら、スティレットを側面から突き刺して処理した。
「助かった!」
「今日初の役立ちだよっ!」
喜ぶクララの声を聞きながら、ゴブリンとの距離を詰めに行く。
最後の球根をけしかけてくるが、1体では相手にならない。
すれ違いざまにソードブレイカーで引き裂き、そのままゴブリンへと肉迫。繰り出された鞭を斜め前方に身を投げて回避したのち、スティレットを敵の脳天へと突き落とした。
ふぅと息をつきながら立ち上がる。
と、クララの焦った声が聞こえてきた。
「アッシュくん、後ろから追加! ゴブリン2体と球根お化け5! 気持ち悪いです!」
「よし、じゃあそいつらに背を向けて走れ! 一気に駆け上がるぞ!」
◆◆◆◆◆
10階の踊り場で踏破印を刻んだのち、アッシュはクララと一緒にへたり込んだ。
「あの球根、ほんと無理……はぁ、夢に出てきそうだよ」
「あいつに限らず人面なんてこの先たくさん出てくると思うぞ」
「うぇ……最悪だぁ……」
涙目で弱音を吐くクララをよそに、10階の入口へと目を向ける。
ほかの塔の試練階と同じく、踊り場の先にはだだっ広い空間が待ち受けていた。
壁のあちこちに幾何学的な模様が彫られ、それを彩るように木の根が這っている。
静かな空気と相まって、まるで遺跡のような雰囲気だ。
「さて10階まで来たわけだが、どうする?」
「どうするって……まさか」
「思ったより早く到着できたしな。ついでに挑戦するのもありだろ?」
すっくと立ち上がったあと、にっと笑ってみせる。
と、クララが呆れた様子で見つめ返してきた。
「アッシュくんって、ほんと楽しそうだよね」
「いきなりどうしたんだ?」
「ただ、すごいなって思っただけ。あたしなんてついていくだけで精一杯なのに」
クララは少し寂しそうな目をしたあと、「んっしょ」と立ち上がった。
服の乱れを整えるなり、悪戯っ子のような笑みを向けてくる。
「でも、アッシュくんに触発されちゃったかな。あたしも10階の主、少し気になってきちゃった」
「話のわかる相棒で良かったぜ」
「相棒……!」
クララは目をキラキラ輝かせると、転移陣のほうへと駆け出した。
ぴょんぴょん跳びはねながら、杖をブンブンと振り回しはじめる。
「なにしてるの、アッシュくん! 主があたしたちの挑戦を待ってるよ!」
「ったく、ほんと調子の良い奴だな」
だからこそ一緒にいて楽しいのかもしれないが。
ため息をついたのち、アッシュはクララのもとへと向かった。
◆◆◆◆◆
「何度来てもこの暗さには慣れないよ……」
試練の間に転移するなり、クララが怯える声を漏らした。
たしかに暗闇で周りが見えないのは恐怖だ。
ただ、この状況で戦うわけではない。
間もなくして奥の盃に火が灯ると、うっすらと辺りに光が届いた。
「キシシシシッ!」
どこからか笑い声が聞こえてきた。
不気味ながら可愛らしさも兼ね備えた声だ。
遠くのほうで人の頭ほどの光玉がゆらゆらと空中を飛んでいた。
じっと見つめていると、それが人型であることがわかる。
トンガリ帽子を目深に被り、だぼっとした服に身を包んでいる。
燐光を撒き散らし、人の姿をしているとなれば妖精であることは間違いないが……。
「あれ知ってる! 悪戯妖精のチェルフだよ! 昔読んだおとぎ話に出てきた!」
「特徴は?」
「たしか……」
クララが記憶を漁りはじめた、そのとき。
チェルフが右手に持った短い木の棒をくいっと上へ振るった。
風の魔法でも放たれるのかと思いきや、なにも飛んでこない。
いったいなにをしたのか。
状況を把握せんと必死に辺りを警戒していると、ふいに足下から光が溢れ出した。
いつの間にか床に人一人を包みこむ魔法陣が描かれている。
「木を生やす力を持ってたはず!」
クララの声を聞くよりも早く、いやな予感がして身を投げた。
魔法陣から、メキメキと音をたてながら猛烈な速度で木が生えてくる。
一瞬にして見上げるほどまで成長した木は多くの枝を伸ばし、沢山の葉を蓄えたところでようやく止まった。まるで風に吹かれたように葉擦れの音が広間に響く。
「……みたいだな」





