◆第二話『浜辺での出逢い』
「ありがとな、おっちゃん」
アッシュは船から桟橋に飛び移ったあと、船頭にそう告げた。
礼を言われると思っていなかったのか。
船頭は目を瞬かせていたが、すぐに面白げに口元を緩めた。
「頑張ってこいよ」
「ああ」
どちらからともなく手を伸ばし、がっしりと握手を交わす。
岩のようにごつごつとした手だ。
この船頭なら並大抵の男は組み伏せられるに違いない。
だが、そんな彼でも女房には頭が上がらないという。
世の中わからないものだ。
相手の人、いったいどんだけ強いんだ……?
そんなことを思っているうちに船は再び海へと戻っていた。
視界にはほかに島なんて見当たらない。
それほどの大海原をあんなにも小さな船で渡る。
本来は考えられないことだが、不思議と海に波は一切ない。
これもジュラル島によるものなのか。
答えはわからないが、なにしろ神の息がかかった島だ。
きっと疑問を持つだけ無駄だろう。
「さてと……俺も行くとするか」
脇に置いていた荷袋を担ぎ、振り返る。
船着場は桟橋が一本あるだけで簡素なものだった。
おまけにボロい。
踏む人が踏めば簡単に底が抜けそうだ。
船着場の向こう側には汚れのない白い浜辺。
さらに奥には密林が広がっている。
光景こそ熱帯地のそれだが、気温は高くない。
湿気もあまり感じられないし、快適の一言に尽きる。
これもきっと神の力なのだろう。
便利なものだ。
しかし気候の問題は良いとして……。
いったいどこへ行けばいいのか。
船着場には迎えてくれる人はいない。
島に到着すれば案内人が来るという話を聞いていたが、どうやら違ったようだ。なにか不都合でもあったか、それとも単に嘘の情報を掴まされたか。
いまとなってはどちらでもいい。
これだけ広い島でも適当にうろついていれば誰か見つかるだろう。
そんな呑気な考えのもと、辺りに視線を巡らせる。
と、あっさり人を見つけた。
浜辺の端のほうで女性がひとり座り込んでいる。
日光浴ではなさそうだが、なにをしているのか。
とにかく彼女のもとへ向かうことにした。
◆◆◆◆◆
女性はただ静かに海を眺めていた。
憂いを帯びた目のせいか、少し大人びて見えるが……。
年齢はおそらく同じぐらいだろう。
20歳か。もしかするとそれより若いかもしれない。
身に纏っているのは青と白を基調にした薄手の衣装。
ドレスのような見た目ながら、とても動きやすそうな造りだ。
空でも飛べそうな軽やかさを感じる。
ただ、服装以上に異彩を放つものがあった。
後ろでひとつに結われ、腰まで流れるように伸びた黄金の髪だ。
陽光を受けた白砂よりも煌き、この世のものとは思えないほどの艶を放っている。
これほど誰かに見惚れたのは人生で二度目だ。
懐かしい感情を楽しんでいると、彼女から訝るような目を向けられた。
「……見たことない顔ね」
「ああ、さっきついたばかりなんだ」
片手を差し出す。
「アッシュ・ブレイブだ。よろしく」
「そう」
素っ気ない返事をして、彼女は海に視線を戻した。
行き場をなくした手を見ながら、アッシュは肩を竦める。
「ってか、ここにいたなら見えてただろ」
「ごめんなさい。わたしの目、興味ないものは映らないの」
「随分と都合の良い目だな」
「ええ、おかげで毎日が快適よ」
風で乱れた髪をかきあげながら言う。
アッシュは彼女の前に回り込むと、目線が合うよう屈んだ。
「とりあえずいまは興味を持ってもらえてなによりだ」
「どいて。海が見えない」
ぎりっと睨まれるが、構わずに続ける。
「悪いな。少しだけ話をさせてほしい」
「私は話したくないんだけど」
「さっきも言ったけど、ここに来たばっかでさ。ひとまずどこに行けばいいか教えてもらえないか」
値踏みでもするかのように、彼女がじーっと見てくる。
あっけらかんと応じていると、やがてため息をつかれた。
「……ミルマは?」
「ミルマ?」
「この島で挑戦者をサポートしてる、神の使いたちのことよ」
「いや、見てないが……どんな姿なんだ?」
一瞬、考える素振りを見せたあと、彼女は上体を起こした。
「猫みたいな尻尾があって……こんな感じの、耳がついてる」
言いながら、両手を頭上に持っていく。
指が軽く曲がったそれは、まるで動物の耳のようだ。
とてもわかりやすいが……。
アッシュは思わず「ふっ」と漏らしてしまった。
「な、なに笑ってるのっ」
「いや、そんなことするような奴に見えなかったからさ」
お世辞にもとっつきやすいとは言えない印象だった彼女が、いきなり可愛らしいポーズをとったのだ。悪いとは思ったが、笑わずにはいられなかった。
彼女は耳を模った自身の手を見たあと、慌てて背中に隠した。
真っ赤な顔で抗議をしてくる。
「こ、これはっ! あなたがわかりやすいようにって!」
「そうだよな。笑って悪かった」
素直に謝ってみたものの、彼女の機嫌はなおりそうにない。
顔ごと横にそらして、ほんの少し頬を膨らませている。
失敗したな、と髪をかきながら対応に困っていた、そのとき。
視界の端、船着場のほうから誰かが走ってくるのが映った。
「えーと、こんな感じの耳がついてるんだよな」
「……嫌がらせならその口に砂を突っ込むけど」
「砂が食べられなくて残念だ。あの走ってる人がミルマで間違いないか?」
こちらが指差した先を、彼女がむすっとしながら見やる。
と、握っていた砂を名残惜しそうに捨てた。
どうやらミルマで間違いないらしい。
「新人さーん、遅れてすみませーん!」
そんな大声をあげた直後、ミルマはつまずいて豪快に顔から倒れ込んだ。
「あ、こけた」
神の使いというからどれほど仰々しいかと思いきや、意外と俗っぽいようだ。
一気に親しみが湧いてきた。
助けに行こうと立ち上がると、目の前の彼女も腰を上げた。
一緒に来るのかと思いきや、反対側を向いている。
「どこ行くんだ?」
「今日は綺麗な海が見えないから帰るの」
言って、彼女は歩き出した。
「ミルマに訊けば大抵のことはわかると思う」
無愛想かと思えば、こんな助言を残してくれる。
意外と面倒見が良いのかもしれない。
「ありがとな、猫耳の人」
「……ラピス」
ぴたりと足を止めた彼女が振り返って睨んでくる。
「ラピス・キア・バルキッシュ。……私の名前、猫耳の人じゃないから」
その言葉を最後に今度こそ去っていった。
ラピス……か。
なんか面白い奴だったな。
そんなことを思いながら、アッシュはミルマを助けに向かった。