◆第四話『独りの代償』
どしん、と重みのある音を鳴らして地竜が倒れた。
これまでに倒したのは地竜、飛竜あわせて15体程度とあまり多くない。だが、すでに7等級以下の階層を突破したときと同じぐらいの疲労感に包まれていた。
「少し休憩しよう」
アッシュは全員の状態を見て、そう提案する。
近くには飛竜が何頭も飛び回れるほど巨大な縦穴があった。途中でもこのような縦穴を何度か見ている。存在理由はわからないが、とにもかくにも縁近くがでこぼこして隠れやすい場所となっていたので、そこで休憩することにした。
「この調子だと今日中に突破するのはきつそうだね」
腰を下ろすなり、ルナがそうこぼした。
レオが近くの岩に盾をたてかけながら応じる。
「ほかの8等級の人たちは2日かけて突破してるみたいだね」
「それって野宿ってこと……?」
クララが見るからにいやそうな顔で訊くと、レオが「うん」と頷いた。
「8等級階層は規模がかなり大きいからか、ここみたいに魔物が湧かないところも多いらしいしね。ちなみに野営用の道具は中央広場で買えるよ」
「さすがジュラル島、なんでもあるね……」
そういったものが売られているということは、つまりは野営が前提となる造りなのだろう。今後は戦闘面以外の準備もしっかりとする必要がありそうだ。
「ま、いずれにせよ今回は撤退だな」
そう口にしたところ、クララが心底ほっとしたように息をもらした。
「よかった……アッシュくんのことだからいまからでも野宿するーって言い出すんじゃないかって心配してたよ」
「俺ひとりなら間違いなくしてるけどな」
なんの準備もなしに野宿をしても平気な者とそうでない者がいることぐらいは理解している。後者の場合、気分的な問題からあらゆる面で翌日の能力が著しく落ちる可能性もあるので、さすがに強要する気はない。
「もう少しだけ休憩したら帰りはじめるか」
「狩りつづけるにしても入口付近ならいつでも帰れるしね」
そうルナが同意をしたとき、どこからともなく地竜の咆哮が聞こえてきた。かすかな揺れも感じる。ほかの者たちも感じとったらしく、全員で顔を見合わせる。
アッシュは地面に耳を当てた。音の出所はかなり下方からだ。とはいえ、近場に下へと向かう場所は――あった。
アッシュは近場の縦穴へと向かい、顔を覗かせる。なにやら下り坂を見つけた。横幅はちょうど人ひとりがとおれる程度といったところだ。下り坂の先には広めの足場があり、壁には大きな穴が見える。
「たぶん、あの穴の先だ」
「レア種かな?」
クララも隣で同じように縦穴をひょこっと覗き込んでいた。
「にしては、わりと簡単に見つかりそうな通路だよな……とにかく行ってみようぜ」
ということで坂を下り、穴の中へと入った。全員で横並びになって歩けるほどに広々とした通路だ。高さもそれなりにあり、ちょうど1頭の地竜がとおれるぐらいか。
奥に進むにつれ、揺れがどんどん激しくなっていく。やがて通路が終わると、開けた空洞に出た。大きさは試練の間程度。奥にはまるで泉のような溶岩のたまり場があり、左右の壁ぞいに川のごとく流れている。
右方から激しい衝突音が聞こえてきた。見れば、地竜が暴れ狂うように地を這っていた。先ほどから感じていた揺れはあの地竜が原因か。
突進した地竜から逃れるように小さな影が飛び出した。土ぼこりではっきりとは見えないが、人のようだ。やがて巻き上がった土ぼこりが晴れた瞬間、アッシュは思わず目を見開いてしまう。
「ラピス?」
ひとりで戦っていることは聞いていたが、実際に見るのとはまた違った。
彼女はひとくくりにした金の髪を揺らしながら、地竜を翻弄するようにあちこちを駆け回り、また軽やかに跳び回る。まさに踊るようなその動きや、身を包む《フェアリー》シリーズの軽装もあいまって本当の妖精のようだった。
「……なんだかおかしいね」
「うん、以前に見た彼女ほど動きにキレがないっていうか」
レオがこぼした言葉に、ルナもまた難しい顔で同意していた。クララはひとり「え、え? 充分すごくない!?」と混乱しているが……。
「ああ」
アッシュはレオたちの意見に頷いた。
もっともおかしいのは、ラピスが躱すだけでまったく攻撃に転じようとしないことだ。余裕がないわけではないのに――。
と、ラピスがいきなり着地と同時にふらついた。
倒れそうになるのを槍で支え、なんとか堪えている。
「ラピスッ!」
アッシュは気づけば走っていた。
視界の中、地竜はラピスめがけて突進を始めている。ラピスのほうはいまだ逃げようともしない。いや、きっと逃げようにもできないのだ。苦しそうに歪んだ顔を見ても間違いない。
ラピスまでの距離は一瞬で縮められるほど短くなかった。地竜の突進のほうが早くラピスに到達する。どうすれば――。
そう考えはじめるよりも早く、すぐそばをルナの矢が翔け抜け、地竜の片目を射抜いた。地竜がその場でもがき苦しむようにたたらを踏む。
「アッシュ! いまのうちに!」
「助かる!」
ルナの支援のかいあって、ラピスのもとに地竜よりも先に辿りつけそうだ。
「アッシュくん、追加で湧いた!」
クララの声が飛んできた。
奥のほうにもう1頭の地竜が現れていた。
現状で2頭を相手にするのは得策ではない。
「逃げるぞ! みんなは先に出口に向かっててくれ!」
クララたちへと指示を出しながら、ラピスとの距離を縮める。
ラピスが顔だけをこちらに向け、苦しげに声をもらす。
「どうしてあなたが……ここに……」
「話はあとだ! いまは逃げるぞ!」
アッシュはラピスに駆け寄るなり、彼女の肩と膝に腕を回して抱き上げた。そのまま方向転換、通路のほうへと全力で駆ける。
「な、なにをしてるの。お、下ろして……」
「そんな辛そうな顔で言われて誰が下ろすかよっ」
顔は青白いし、汗もかいている。
外傷はないようだが、どうみても平気でないことはたしかだ。
「アッシュくん、急いでくれ! もう近くまできてる!」
先行するレオが振り向きながら切羽詰った声で叫ぶ。
振り向いて確認する暇なんてなかった。ただ、地竜が迫っていることは揺れからはっきりとわかる。このままでは追いつかれるかもしれない。
ラピスが重いわけではない。むしろこんな細身でよく戦えていたなと思うぐらいに軽い。ただ、単純に地竜の移動が早いのだ。ルナが振り返ってはこまめに牽制をしはじめた。それに乗じてクララもまた後方へと手を伸ばす。
「こんのぉっ」
大量の《フロストウォール》を生成しているのか、背後から硝子の割れるような音が幾度も聞こえてくる。すぐに割られているようだが、少なくとも効果はあったようだ。
アッシュは出口になんとか無事に辿りついた。曲がる余裕もなかったが、レオが坂のほうへと引っ張りあげてくれる。
直後、すぐそばを地竜が駆け抜けていった。1頭、続いてもう1頭が飛び出し、そのまま足場で止まりきれずに縦穴へと落ちていく。思っていた以上の深さだったようで、地竜の落下音が聞こえてきたのはしばらくしてからだった。
「……ほんとぎりぎりだったな」
これほどまでに肝を冷やしたのは久しぶりだ。
アッシュはふぅと息をつきながら立ち上がる。
「みんな、助かった。ありがとな」
「そ、それよりラピスさんは大丈夫?」
クララが心配したように腕の中のラピスを覗き込んでくる。
「じゃ、なさそうだね……」
「これは風邪かな?」
「それだけじゃない気もするね」
続いてルナとレオも様子を確認し、険しい顔でそう口にする。
ラピスは意識を失っているようで目を閉じていた。
ただ青白い顔で、苦しげに吐息をもらしている。
詳しい容態はわからないが、あまりよくない状態であることはたしかだ。
「悪い、みんな。面倒かけるかもしれないが、ラピスを連れ帰ってもいいか?」
こちらの問いに全員がきょとんとしたかと思うや、微笑みを返してくる。
「そんなの、もちろんだよ」
「彼女には恩もあるしね」
「紳士の僕が断ると思ってるのかい?」
わかっていたことだが、全員が快く承諾してくれた。
アッシュは仲間に感謝しながら、いまもなお辛そうなラピスの顔を見やる。
帰るまでなんとか堪えてくれよ……!





