◆第二話『8等級階層』
「アッシュくんって、竜と戦ったことあるんだよね?」
翌日、チームで赤の塔へと向かう道すがらクララがそう訊いてきた。
アッシュは「ああ」と頷いた。すると彼女はとてとてと早足で隣に並び、興味津々な顔で覗き込んでくる。
「どんなだったか覚えてる?」
「俺が戦ったのはよく物語に出てくるような、典型的な竜だったな。でかい翼で飛んで、火を吹いて」
「やっぱり強かった?」
「そりゃな。死ぬかと思ったぜ」
「あたし……大丈夫かな」
クララが顔を恐怖で歪めながら不安を口にする。
「ま、いまはレオがいるからな。前に出過ぎなけりゃ大丈夫じゃないか」
「うん、竜がどれぐらい強いのかはわからないけど、正面はなんとしてでも維持してみせるよ。って、ん……?」
途中まで得意気だったレオがいきなり首を傾げる。
「ちょ、ちょっと待って。なんだか自然に受け入れちゃっていたけど……アッシュくん、竜と戦ったことがあるっていったいどこで?」
「試練の塔らしいよ」
ルナが変わりに答えた。
クララとルナにはすべての試練の塔を制覇した話はしている。
「試練の塔に竜って……そんなの聞いたことないよ」
「誰にも挑まれず、ついには廃棄されたらしい塔の頂上にいたからな。知らないのも無理はない」
「もっと簡単な試練の塔があるのに、わざわざ竜がいる試練の塔に挑戦しようって思う人はいないだろうからね……それは廃棄もされるわけだ」
レオは頷いたのち、苦笑しながら話を継ぐ。
「で、そんな塔にどうして挑んだのかは……まあ、アッシュくんだからか」
「アッシュが100人ぐらいいたら、いまも廃棄されずにすんでたかもね、その塔」
ルナが冗談めかしてそう言った。
クララがその光景を想像したのか渋い顔をする。
「それはそれでジュラル島が騒がしくなりそう。どこにいても『狩り行こうぜ!』とか『狩り最高!』とか聞こえてきそうだし」
「そうかい? 僕は大歓迎だけどね。100人のアッシュくん……いいね、毎日が最高じゃないか」
なにやらレオが恍惚の笑みを浮かべていた。
クララには、ひとのことをなんだと思っているのか問いただしたいし、レオにはいますぐに妄想をやめろと言いたい。
「ったく、馬鹿なこと言ってないでそろそろ気持ち切り替えろよー」
話しているうちに塔前の広場に辿りついた。
アッシュは背負っていたハンマーアックスを手に取り、塔を見上げる。
過去、苦労して倒した竜が跋扈するという8等級階層。
その難度はいったいどれほどのものか。
いまから楽しみでしかたなかった。
◆◆◆◆◆
71階の転移門をくぐってから間もなく――。
真っ白で埋め尽くされた視界に色がつきはじめる。
灰に黒を混ぜたような、くすんだ色の岩肌ばかりが目に入った。血脈や根のように壁に巡った赤い線が胎動を思わせる速度でゆるやかに明滅している。
どうやら洞窟のようだ。
天井は見えるものの、とても届きそうにないほど高い。かなり広い空間だが、岩で作られた天然の柱があちこちにあるせいで解放感はまったくなかった。
「ちょっと涼しいかも」
「マスピンの涼水持ってきたけど、意味なかったかな」
クララが寒そうに自身の腕をさする中、ルナがポーチにかけていた手を下ろした、そのとき。アッシュは、右前方の2本の岩柱の間からこちらを覗く琥珀色の大きな瞳を捉えた。
「クララ、《フロストウォール》!」
応じてクララが慌てて手を突き出した。
正面の地面から氷壁がせり上がりはじめる。
その最中、影で薄れていた琥珀色の瞳の周囲が赤みを帯び、見るからに硬質の皮膚があらわになった。
ざらざらと地表をこするような音とともに琥珀色の瞳が見えなくなった。代わりに現れたのは、人の腕よりも長く刃のように鋭い歯を幾本も従えた巨大な口。
その口から火が吹かれたのと、《フロストウォール》が生成されたのはほぼ同時だった。
青白い透明な氷壁の向こう側から赤々とした火が吹きつける。あまりにも範囲が広く、氷壁の上方、左右から溢れ出るようにしてこちらへと火炎が流れてくる。
直接触れていないにもかかわらず全身が焼けそうだ。
視界の中では《フロストウォール》が早くも溶けはじめていた。
「うぇえっ」
クララが情けない声とともに氷壁を5枚重ねる。少し過剰な気もしたが、おかげで氷壁が溶けきることはなかった。
火炎の勢いが収まると、岩の砕ける音が聞こえてきた。火炎を吐いた魔物――敵が間にあった岩柱を砕いたのだ。そのままこちらへと踏み出してくる。
「避けろ!」
アッシュは後衛組とともに右方へと跳んだ。
敵がこちらに近づいたことで、その全容がようやくあらわになった。
翼を持たない歩行型の竜――地竜だ。
爬虫類を思わせる形状だが、体は似ても似つかないほどに隆々としている。その胴体を支える四足もとてもたくましく、人間など簡単に踏み潰せるほどだった。
ほかに特徴的なのは頭の後部辺りから後方へと流れるように伸びた角か。人の手でどれだけ磨こうとも至れないほどの艶を持ち、黒々としている。まさに竜の象徴といっても過言ではない存在感だ。
敵は見るからに鈍重そうだが、そんなことはまったくなかった。その体に相応しい極太の尻尾を左右に揺らしながら、どすどすと音を鳴らして真っ直ぐに突進してくる。
アッシュは後衛組とともに突進の直線状からすでに逃れている。だが、レオは重装備とあってか、回避を諦めてその場に留まっていた。
敵の突進を真正面から受け、そのまま入口近くの壁に激突する。とてつもなく重い音が洞窟内に響き渡った。衝突された壁から幾つもの岩がぽろぽろとこぼれ落ちる。
「レオッ!」
「……僕は大丈夫っ!」
レオの声が聞こえた直後、敵が頭部を振った。
弾き出されるようにして盾を構えたレオが飛び出てくる。
さすがの硬さだ。彼はそのまま注意を引きつけんと右手に持った長剣で敵の頭部へと攻撃をしかける。その光景を横目に見ながら、アッシュは駆けだした。
両側からはクララの《フロストレイ》、ルナの青属性矢が飛んでいき、先んじて敵の背中や左側面へと命中する。が、どちらも敵の皮膚に氷をつけるだけでまるで損傷を与えられていなかった。
アッシュは遅れて敵に肉迫し、跳躍。敵の背中へとアックスで斬りかかった。ガンッという鈍い音が鳴る。まるで硬い岩を殴ったかのようだ。傷はつけられたが、浅い。集中して攻撃すれば辛うじて攻撃を徹せるか――。
先ほどクララやルナが攻撃した箇所を見やる。ほとんど効果なしといった感じだ。予想はしていたが、やはり竜の鱗はおそろしく硬い。
「ルナは目、口を狙え! クララはレオの援護をしつつ余裕があれば攻撃も頼む!」
後衛組から了解の声が飛んできたと同時、敵が呻きながら頭部を跳ね上げた。その口から血が出ている。どうやらレオが正面から敵の舌を刺したようだ。
敵がもがき苦しむように暴れはじめた。アッシュは振り落とされないようにと背中にしがみつく。その間にもルナの矢が敵の目や口を捉え、突きたてられていく。
負けてはいられない。
アッシュはなんとか二の足で立ち、敵の背に幾度もアックスを振り落とす。そのたびに腕がしびれるような感覚に見舞われたが、5度目にしてようやく鱗の先がかすかに覗いた。硬質な鱗とは違い、柔らかそうな赤色の肉だ。
と、敵が大きく体をひねり、まるで辺りの地表を掃除するかのように尻尾を振り回した。レオがまたも盾で受け止めるが、さすがの威力に体勢を維持できず、弾き飛ばされてしまう。
「レオさんっ!」
クララから《ヒール》を受け、レオがすぐさま起き上がって敵の正面に向かう。さすがのレオでも竜の攻撃を受けるのは楽ではないらしい。よほどのことがない限り崩れることはないその顔が歪んでいた。
時間をかければかけるだけ不利だ。
――この一撃で決める。
そう自身に言い聞かせながら、アッシュは思い切りアックスを振り落とした。これまでとは違う柔らかな感触。肉から血が飛び散る中、さらに奥へと刃を突き入れると敵が体をそらし、硬直。けたたましい声をあげてその肉体を消滅させた。
敵の体がなくなり、アッシュは地面に着地する。入口の、それもたった1頭の竜が相手だったというのにまるで余裕がなかった。だが、それでも倒すことはできた。
アッシュはたしかな手応えを感じた。クララやルナだけでなく、レオすらも安堵の笑みを浮かべて全員が顔を見合わせた、そのとき――。
咆哮が聞こえてきた。
まるで縄張りを荒らされた肉食獣のように激しく威圧するようなものだ。
辺りに巨大な影が差し、さらに頭上から力強く空気を叩くような音が聞こえてきた。アッシュは誘われるようにして見上げる。
1頭の竜が飛んでいた。先の地竜に比べると、やや細身で洗練されているが、形状はほぼ同じ。大きく違うのは1点のみ。その背から生えた翼だ。その身をたやすく包み込むほどに大きく、また勇ましい。
はばたいた翼によって起こった風が上空から吹きつける中、アッシュは思わず口の端を吊り上げてしまう。
「早速、おでましか……!」
それは《廃棄された塔》の頂上で戦った竜、そのものだった。





